大人になってから友達と出逢うタイミングについての考察。
ドイツに暮らすようになって切望していたものがあります。
それは友人。新しい友人関係。
アフリカで出逢った夫がドイツ人だった、という理由のみでドイツに住むようになったのは32歳の頃でした。
縁もゆかりもないこの国に住むことになるとは想像したこともなく、ドイツについての予備知識はほとんど何もありませんでした。
ただ一つ不思議なのは子どもの頃、国と首都を覚えるという授業があり、
「東ドイツの首都はベルリンで西ドイツの首都はボン」と記憶したことはハッキリと憶えています。
たぶん東西に分断され、二つの首都を持つ国が印象的だったのかもしれません。
ボンという響きがいいなぁ...と口のなかで何度か
「ボン、ボン」と唱えたことを記憶しています。
そして「ライン川」にほのかなロマンを感じていました。
伝説のジークフリードやドラゴンを想像していた頃、いつの日かそのライン川のすぐ傍に住むことになる日が在るなんて....
人生というものはまったく不思議です。
大人になってから友人を作るなんて無理なんじゃないか....?
異国で親しい人間関係を作れず、上辺だけのことしか話せない関係しか得られないのでは?
と、真剣に悩んでいた頃の私に教えてあげたい。
「大丈夫だよ、焦らなくても時期が来たら巡り逢えるから」と。
子供が通う土曜日の補習校で多くの日本人と知り合うなかで、“この人ときっと良い友達になれるのではないかな?”と、思う人がいても実際にはなかなか思い描く友人関係にはなれませんでした。
ある時、
あぁもしかして友達を作るのって相性よりもお互いの時期が大切なのかもしれない....
「相性よりもニーズだな...」と悟ってからは一気に気が楽になり焦らなくなりました。
学生時代ならクラスメイトとして意気投合できた相手でも、大人になり互いに家庭を築いている状況では時間が合わなかったり、ライフステージが違ったり。
お互いが同じタイミングで求め合わなければ友人関係という踏み込んだ間柄になかなかなれないものです。
肩の力が抜けてから、色々な状況を経てその中で少しづつ親しくなっていける人と出遭っていきました。
お互いがもっと親しくなりたい....と思えたら自然と友人関係に発展していったり、思いがけないところで友人と呼べる人が見つかったり。
いつか何処で聞いたように「友人は作るものではない出逢うもの」なのだと実感しました。
“大人になったら友人なんて出来ない”という言説が有りますが、自分がオープンな心で居さえすればコレも当てはまらないなぁと思っています。
むしろ大人になって、時間をかけながら求め合った関係というのは学生時代とはひと味違った友人関係を築けるような気がします。
関係性や時間に制約は有りますが、彼らは別の形の人生の歩み方を見せてくれる人達でもあります。
上手くゆくコツのようなものがあるとしてら、
自分と比較しないということだけかもしれません。
どんなに親しくしてもそれぞれの事情や抱えているものを全て理解しているわけでもないし、結局人間は自分が見たいものしか見えていないことも多い。
人間関係で「マウント」という言葉が浸透して久しいですが、そんなものを取ったり取られたりする関係ほど虚しいものは無い、と重々理解しておきたいものです。
(この言葉を聞くといつも“猿”を連想するのは私だけでしょうか?)
せっかく縁あって出逢えた関係。
これまで全く違った人生を歩んで来て年齢も違う、スキルやキャリア、出身地もバラバラな女同士。
それでも仲が良くなるのは目に見えない何かにお互い惹かれ合っての事。
ゆっくりとした関係の中でそれが何なのか?を読み解いていくのが人間関係の醍醐味のような気がしています。