人生のスポットライト
💡これは数年前に、急に書きたくなって書いた記事です。ずっとパソコンの中で眠っていました。
今回リライトしながら、20年前の出来事に想いを馳せることができました。
noteの海にいる皆さまに読んでいただけたら幸いです💐
東京の病院で、看護師として病棟勤務をしている時のおはなし。
スポットライトへの憧れ
看護師は裏方の仕事が多い。
裏方よりも「縁の下の力持ち」と言ったほうが似合うのかもしれない。
医師の指示を受けて診療の補助をし、患者の日常生活を援助する。
看護計画を立て、その患者に合った目標を定めてより良い状態になるように、快適に過ごせるように様々な援助を行っていくのが主な仕事だ。
医療チームの一員であり、
食事や清潔、排泄の援助まで、日常生活の細部に立ち入り、患者に最も近いところに存在しているのが看護師である(そう在りたい)。
さて、、、
私が未だとっても若かった頃、ある憧れというか羨望があった。
実際に口に出したことはなく、秘めたる想いだったので、気恥ずかしく書くのもためらってしまうけれど。
東京の総合病院に入職して、最初に配属されたのが手術室だったので、
「こんな絵になるショットないのになぁ」
と....オペ着を着て初々しく右往左往していた頃、
残念気に心の中でつぶやいていたものだった。
自分のしていることを、多くの人に見て貰いたい気持ちが渦巻いていた。
今でいう“カメラ映え”する瞬間は無数にある気がした。
自分がサマになるとは思っていなかったけど、
いかにも「新人ナース奮闘記 in オペ室」 みたいなドキュメントを作るならピッタリな絵柄では?
と...勝手に思っていた(ナンテコッタ...)
そんな私も4年が経ち、外科病棟に配属替えを希望し、病棟の看護師として働きながらだんだん解ってきたことがあった。
本当に大切なことは密やかに行われる
「小さな輝くような瞬間は、レンズ越しに捉えることはできないし、そこにスポットライトが当たることもない」
本当に自然に、日々の仕事の積み重ねがそう私に教えてくれた。
では、
スポットライトが当たらない仕事は無意味なのか?
地味で目立たない裏方の仕事。
夜勤中の薄暗い病棟で黙々と仕事をしながら、早朝の秒刻みの仕事をやっつけながら、グルグルと頭に浮かびあがる雑多な想いに揺れながら、やらなければならない仕事は、いつも山とあった。
夜間、懐中電灯片手に一つ一つの病室を確認しながら定時毎に巡回する。
患者の生存確認と、必要なルーティンの仕事。
聞こえるのは自分の足音と患者の寝息。
そこに器械音が混ざることもある。
懐中電灯をそっと照らし、胸が呼吸で動いているかを確認する。布団がずれていればそおっと直す。
余りにも何気なく当たり前の行為。
これらをカメラがとらえることはないだろう。
もしカメラが回っていたとしても、価値ある映像にはならないはずだった。
けれども、
そこにこそ尊いものが在るようで、それらは密やかに誰も知らないところで日々起きていると思った。個人の記憶にも残るか残らないかの、その小さな行いこそ愛しく尊いと感じるようになった。
スポットライトなんて当たらなくていい。
看護師の自分と患者が共有できる一瞬や、自分だけが知るものでいい。
それらは静かに確かに存在している。
そこに証人は必要ないと思っていた。
けれどたった一度だけ例外があった。
私はこの例外に居合わせられたことに、今でも深く感謝している。
彼女が教えてくれたこと
その人は大腸ガンのため、この病棟に入退院を繰り返していた。
50代の知的障害を持つYさんは、いつも優しい両親に付き添われていて、あどけなくて自分の状態をどこまで把握しているのかは分からなかった。
子供のような振る舞いの愛嬌一杯の彼女は、病棟看護師達から大切にされていたし、入院中もいつもにこやかで陽気だった。
そのYさんがいよいよ末期状態となり、幾度目かの最後の入院になった。
ベッドに寝たきりになる日が多く、体を動かすのも辛そうな様子だった。
ある夕暮れ時、その日の担当だった私は、暗くなりつつある病室を訪ねた。
老父が付添い用ベッドに座り、ぐっすり眠り込んでおられた。数日前から交代で昼夜、付き添っておられた。
見るとひざ掛けが足元にずり落ちていた。
私はそれを拾い上げ、起こさないようソッと膝にかけ直した。
その瞬間、隣りのベッドで眠っているとばかり思っていたYさんの、弱々しいけれどはっきりとした声が私の耳に届いた。
「ありがとうね・・・」
薄闇のなかで聞こえたその声にハッとした。
それは、いつもの知的障害のあるYさんの口調とは思えないほど落ち着いたものだった。
それ以上彼女は何も言うことなく、横たわったまま私をじっと見つめていた。
その目に深い深い慈しみの光があった。
発せられた短い言葉に、彼女の老父に対する労りや哀惜の念が凝縮していた。
この瞬間に悟った。
彼女は全てを分かっている。
自分の命が残り少ないことも、老いた両親を残して逝くこと、それらが意味する諸々のことも、全部。
そして私は自分を恥じた。
なぜ分かっていないと思っていたのだろう。
彼女は自分が置かれている状況を分かっているし、老いた父を労わる気持ちまで持っていた。
礼を言い、私を見つめる眼差しは思いやりに満ちていた。
私こそ何を言うべきか、一切の言葉が見つからなかった。
感謝と思いやりを持って、彼女はそこにそっと横たわっていた。
その人に、言うべき言葉が一つも見つからず、伝えるすべを持たないのは私のほうだった。
あの毛布をかけ直した何気ない動作も、その時の私の心の動きも、彼女は誠実に見抜いていた。
私が無意識に持った、老父に対する気持ちを彼女は瞬間的に汲み取ってくれていた。
いつもならそこに目撃者はいないはずなのに・・・
あの日から20年近くが経った。
今まで幾度も思い出し、教えられ続けている。
これからも私は忘れないだろう。
あの時の深い声を。
“ありがとうね” という短い言葉で、大切なことを伝えてくれたYさんのことを。
そして私が “ありがとう”を伝え続けていきたい。