10万円絶欲正義マン
私が学生時代の話だが、当時親しくしていた友人が2chに晒された
理由も特になく、ただ「見た目が気持ち悪いから」と言った理由だった。
本人は「こんな事で晒されるんですね、もう外にいけないなぁ」なんて困り顔で笑っていた。
私はとてもおこした。激おこぷんぷん丸だった、でもそれを別の友人に諫められた。
「他人のために怒れるのはとてもいいことだね、でも本人以上に怒ってはいけないよ、それだと被害を受けた本人が怒りたくても怒れなくなるからね」
私は納得した。それを学生時代に学んだ。そして私は大人になった。
時が経ち今SNSを見ると人のために怒れる人がたくさんいる。
なんてここは優しい世界だろう「人のために怒れるのはとてもいいこと」だし、みんな人のために怒れるなんてとてもいい人なんだなぁ。
そう思いながらタイムラインを眺める。
「30万給付の幅が少なすぎる!これでは本当に困っている人には届かない!政府はお金を配りたくないだけだ!一律10万円給付をしろ!」
「政府の対応は足りない!緊急事態宣言を今すぐ出せ!それを出さないからみんな自粛をしたくても仕事に行かなければならないんだ!」
「対象を絞るなんておかしい!みんな平等にしなければ!」
「どうして自粛を求められているのに仕事はしなくてはいけないんだ!休日自粛しても仕事なら意味ないだろう!仕事を休めないのは政府のせいなのに」
みんな人のために怒っている、素晴らしい世界だ。
しかしそんなツイートを見ているうちに私はとある事に気づいてしまった。
『声高らかに要求をしている人は、そこまで困っていないのである』
パッと見優しい世界だ、みんな他人を思い口々に政府を叩いている。
しかし気付いてしまった。
『みんな、お金が欲しい、だけなのだ』
もちろん、本当に困っている人はいるのだろう。
政府の無利子小口金や、休業補償などでも足りない人はいるんだろう、そういう人はしっかり足りない理由や何故ダメなのかを声をあげるのは正しいと思う。
でも、声が大きい人ほど困ってはいなかった。
みんな正義マンの皮をかぶってお金が欲しいだけだった。
要約するとこうだった「お仕事は休みたい、けどお金は欲しい、緊急事態宣言が出たら保証されるんだよね?じゃあ宣言出してよ!」
もちろん、本当に困っている人もいるんだと思う、けどそんな声は正義マンにかき消されていた。
私はふと思い出した。
「他人が怒ってしまうとその人は怒れなくなる。」
きっとその人の言いたかった本来の意味は違うのだろうけど、この正義マンの声を聴いて私は思ったのだ。
「正義マンが弱いものを盾にして自分の意見を言うから、本当に怒りたい人足りない人の声が消えてるんだ」
だからみんな、正直に言おう、政府叩きや正義をかぶって発言するからだめなんだよ。
声を大にして言うんだ。
『お金が欲しい!仕事は行きたくない!でもお金ほしい!』
こう思うのは悪いことじゃないんだ、だって、みんなそうだから。
みんなお金は欲しいんだ。
こんな事を書いて正義マンを叩いている私だって本当はお金は欲しいし、仕事なんか行きたくないし、なんならお家で寝てるだけでご飯が出てきてほしいしゲームをしていたい。
けどそれを本当に困っている人を盾にして、政府を叩きながら正義の皮をかぶってさも自分が正しいかのように振る舞う浅ましい人間に私はなりたくない、だから私は言うんだ。
僕は5000兆円欲しい。
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