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より大衆に向け、より宇宙に向けて、若い牽引力は未来を夢見た1961 年

1961年、アメリカでは大衆の心を掴んだ若き大統領=ジョンFケネディが就任する。ハリウッド作品ウェストサイド物語は歴史的なヒットを記録、どちらも若いアメリカのパワーを感じさせる潮流だったものです。

トヨタが小型車市場に画期的なパブリック・カーを発売したのがこの昭和36年。

そのころ一般大衆に最も近い存在は,まだ40万円近くもしたスバル360のみだった。そこに数年も前のモーターショーから前輪駆動の小型試作車を公開していたトヨタがクラウン、コロナよりも買い易い価帯で広く普及させることを目指したのが公募で名前が決定したパブリカの戦略だった。
それまでの様に専売する販売ネットワークは組織されず、結果的には成功作とみなされなかったパブリカは当時の1000ドル=36万円を目標として開発された意欲作。モーターショー試作車よりも遥かにコストダウンに主眼を置いた設計だった。

当時売れ筋だったスバル360がほぼ同価格帯。エンジンルームに収まったのはシトロエンやbmwに先例のある水平対抗二気筒700cc空冷のエンジン.上級車なら銀メッキで飾る様な部品もホイールキャップも樹脂製部品でコストダウン.2ドアボディにはライトバンも追加され幅広く需要に応える布陣だったものの・・・・・
その頃、モデルチェンジを経たばかりのコロナは様々な新機軸が裏目に出て,とりわけタクシー業界からの評判が芳しくなかった。劣勢を回避すべく1500ccエンジンに増強したコロナ1500は後にリア・サスペンションを普通の板バネ式に戻し,信頼も回復.その強靭さをアピールするため、崖上から新車のコロナを転げ落し,ボンネットがくの字に折れ曲った見るも無惨な車体にテストドライバーが駆け寄ると、当り前のようにエンジンをかけてそのまま走り去る、という超過激なTVコマーシャルが話題を集めたものだった


三輪トラックも生産していた三菱(岡山・水島工場)では4論の軽貨物車として三菱360を発売。小型車をそのまま縮小したような後輪駆動のライトバンで,これがミニカの原型となる。リアにエンジンを載せるスバル360ではこうした手段が採れず,スバルからはワンボックスのあたらしい形状の軽商用車が生まれた。サンバーと呼ばれるトラック/ライトバンは前輪の真上に運転席を置き、エンジンは最後部の床下,間に生まれる広いドア1枚分のスペースは低い床から目一杯高さを荷物スペースに充てられる。この頃、行楽地でホットドッグを移動販売していた車両はほぼ例外無くスバルサンバーのバンだった。

スバル同様のリアエンジン車フランス・ルノ−4CVをライセンス生産していた日野自動車は自前のやや大きめボディをのせた4ドアセダン=コンテッサ900を発売。小型枠のタクシーはこぞってこのコンテッサに置き換った。ルノーのずんぐりした古臭いデザインに比べ、フロントにラジエーターのない軽快なフロント。ピンと跳ね上がったテールランプがラジエーターグリルを挟むような形のリア・デザインは今でもカルト的人気を保つミケロッティ・デザインのクーペの素地として見ても興味深い。

日産からは新型フェアレディ1500が登場。まだフレーム構造だったブルーバードの土台を借用しセドリックにも積まれた1500エンジンでデビュー。元々がセダンの足回りゆえ後席スペースは残っているが横に向けた3人乗りは、補助シートの域を出なかった。母体のブルーバードがモノコックボディの新型に改まってもフェアレディは旧いフレーム式を継承したのは屋根のないオープンボディーには好都合だったから。

全国の国鉄非電化路線でこだまの様なツートーンカラーの特急列車が相次ぎ生まれるキッカケとなったのは初期故障に悩まされたキハ81型ディーゼル特急車両の改良型=キハ82系で、北海道から中国,四国地方でも昭和の終わりにかけて永らく特急用車両として活躍を続ける事になる。

ソ連がまたもやアメリカに先駆けて人間を宇宙飛行を成功させたニュースは、とりわけケネディ政権にはショックだった様で,ケネディは1960年代中に人類史上初の月面着陸を宣言.その公約は69年7月に果される事になるもののケネディがそれを目にすることはできなかった・・・・

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