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どうしても手に入れたかった🇺🇸・・・・・伊江島(いえじま)慰霊の島へ

沖縄本島からフェリーで渡れる離島の一つに伊江島がある。
遠くから見える島影は中央に帽子の様に(○くびの様にも)見える城山(ぐすくやま)が特徴的だ。(世界でも伊江島しかない「オフスクレープ現象」という「古い岩盤の一部が剥がれて新しい岩盤の上に乗る現象」によって形づくられたそうです)


航空法の適用範囲をわずかにかする高さに聳えるその頂点までは徒歩で登ることができる。見下ろせば島の大部分は平坦な台地で占められており、伊江島空港滑走路(閉鎖中)や演習用の滑走路(未使用)が平地の多くを占めているのが一目瞭然!

そうです。沖縄陥落の前、米軍が喉から手が出るほど欲しがっていたのがこの島でした。沖縄より2か月早く4月の21日に伊江島は陥落。日本軍の2000人に加え島の住民からなる援護隊やサポート人員1500人が敵国の犠牲となり故国の土に還ったのでした。
航空輸送と揚陸艦向きのビーチを併せ持つこの島は本島攻撃の前線基地として好条件に溢れていたことだろう。

芳魂の塔

小高い丘の中腹には犠牲者たちを祀る慰霊碑が建っていた。その墓碑銘には犠牲となった一人一人の名前が記されている。よく聞く沖縄の苗字がいくつも並ぶ、がファーストネームを眺めていくと兄弟・親子と思しき家族が連名で記されているのに気付かされる。それも数組ではなく幾つもの家族が総員で亡くなっていったことを静かに物語っている。

大半が島のじゅうみん、地区ごとに分けられる。氏名不詳の将兵もさらに存在するはず

地区ごとに分けられた人名のほかに全国他府県の出身者の名前も。将兵としてこの地に送り込まれ、帰らぬ人となった英霊たちなのだろう。

よく聞かされるフレーズに この尊い犠牲の上に今の繁栄、平和があるのだ と言う文言がある。

果たしてそうなのか?と疑問を呈してみる。もちろん第一義には敵国の攻撃が有った故の犠牲だが、戦争状態に入る決断をしたのは一誰なのか?事故死ならば業務上過失死罪を問われるのはどこの誰なのか?
戦争責任をもう一度深く考え直す教育があっても良いのでは無いかと思ってみた。
尊い犠牲を払われた事と我々が享受している戦後の幸福・繁栄・平和は果たしてトレードオフの関係なのだろうか?

若き軍神たち、サポートした島民達は死ななければ平和が訪れなかったのだろうか?どうしても詭弁に聞こえてしまう。カウントできるだけでも3500人の犠牲者と言えば膨大な規模で戦艦大和の乗員数さえも上回りそうな数だ。

戦争の判断を下した人間により奪われた命だとはとても教科書には書けますまい。

墓碑銘に名前を刻まれ亡くなっていった人々に一体どんな言葉で報いたらいいのだろう?

防衛力強化、敵国の攻撃力の無力化が無駄な努力だとは思わない。でもその先に起こりうる犠牲が、果たして何の為のものなのか?もう一度深く考えてみる必要はありそうではないか?もしもこれから行われる可能性のある戦闘がこの海域で起こるならば、人の住んでいない離島は真っ先に狙われるだろうことは容易に想像がつく。
勿論、人の住んでいない小さな島であっても他所者の専有を許さないための防衛が大切であることは沖縄戦に先んじて陥落したこの島の存在を考えても明白すぎるではないか。

昨今どこかの金萬な國がやたらと嗅ぎ回っている離島の防衛について改めて考えさせられる。伊江島では沖縄本土陥落の2ヶ月前に全島を制圧され、軍民合わせて3500名の犠牲を払っている。巨大な航空母艦のような離島は本当攻略の戦略上、補給基地、並びに航空戦力の発進基地としてもどうしても必要な存在だったのだ。

沖縄県民の命を守るためにも、もちろん離島の島民の暮らしと命を守るためにも、この国は2度と惨劇を味わせないよう努力すべきなのだ。尖閣の陣取り合戦は漁業権云々といった些細な問題では済まされないことを国民みんなが認識してほしい。このタイミングで実は軍備にも長けた石破総理がリーダーで結局良かったと思う。

車を港の駐車場に預けて村営の立派なフェリー「ぐすく」の船客となって30分、この船旅だけでも十分に旅気分を満喫出来たが、予想外の思い出も残すことができた伊江島の旅、行って来て良かった。

沖縄を初めて旅することの意義がここで見つけられた思いだった。

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