8月12日は名車/1937 Cord 812 Beverly Sedanの日
映画;雨に唄えば、に描かれた時代は1927年のアメリカ、ジャズエイジとも呼ばれた頃の話です。ラジオの普及,音の出る映画の出現、写真雑誌ライフが創刊され大衆向けのエンターテイメントが大きく飛躍したばかりでなく,経済面でも、のちのマンハッタンには相次ぐ超高層ビルが出現するなど様々な分野で革新的なイノベーションがもたらされました。
自動車開発の分野でも、時代は流線型デザインの始まる頃。保守的と思われがちなアメリカでも先進的な乗用車が開発されていました。
コード810という高級車は世界で初のリトラクトラブルヘッドランプ装備というだけでなく、本格的な前輪駆動を採用したアメリカ車としても、大きなマイルストーンとなるべき存在です。その、リトラクタブル部の珍しい開閉の瞬間をカメラに収めました。多分世界的に見てもレアな映像(のはず)
開閉の動作は運転席下の回転ハンドルをクルクル回して行います。
ゆえに左右別々、同乗者が手伝えば同時作動も夢じゃありませんが・・・・
こうした機構は70年代初頭のアメリカ車でも一時流行し、70年代後半の日本にも飛び火しています。日本で嚆矢となったのは67年のトヨタ2000GTでしたが、78年にマツダサバンナRX−7が採用すると、セリカ、いすゞピアッツア、スプリンター・86トレノ、フェアレディZ、インテグラと採用例が増えて85年頃にはアコード、コルサ・ターセルといったフツーの乗用車にまで採用されるようになっていました。(何を隠そう私の愛車も86年から97年までリトラ装着車でした)
小型のプロジェクター・ランプやLEDの実用化で、大きなヘッドランプを上げ下げする必然性もなくなり、今では過去の遺物でしかありませんが、これを見るにつけ自動車デザインの栄枯盛衰の激しさを感じずにはいられません。
参考までに元愛車ユーノスロードスターはモデルチェンジに際して固定式の猫目ヘッドライトに変更。重量増を避けたかったのと、国によってはライト位置の規制がかかってしまい、リトラ継続は難しかったのだとか。
最近は見かけないだけに装着車はお早めにお買い求め・・・・・
閑話休題
ところで8月12といえばエジソンが蓄音機を発明した日
電話機の開発競争でベルに先行を許したエジソンが、なんとかして音源を保存.再生できないものか?と工夫したのがレコード盤の始まりだったわけ。時は1877年、日本の鉄道史よりも新しいんです。105年後にはアナログ振幅ではなくレコード針にも頼らないコンパクトディスクが登場して、デジタル音源が一般庶民にも普及してゆきます。
そしてもう一人英雄が誕生したのが1962年のこの日
堀江謙一青年が小さなヨット、マーメイド号で単独太平洋おうだんをやってのけ、サンフランシスコ港に到着した日。パスポートも英会話能力も金もなし。不法入国で訴えられてもおかしくないところを行政側は即座に名誉市民と認定、ニッポンの名もなき青年をヒーローに位置付けました。これが逆なら日本政府はどうしていたでしょうね?
今では船舶位置情報も衛星電話も使える時代、卓上で毎日の航跡を確認する事さえできますが、60年前には文字通りの手探りで星の高さだけを頼りに太平洋の向こう側を目指していた・・・・・破天荒な冒険が難しくなった今から見れば、ちょっと羨ましくもある環境です・・・・・