さんざいこの日記

※作品とは一切関係のない、アカウント主の文章になりますのでご注意ください。

TikTokに投稿を始めたきっかけは、
"自分の作品に対する熱意を共有してみたい"
ただそれだけだったと、記憶しています。

作品に出会うタイミングは一人一人違いますから、「いつから好きで、どれだけお金をかけていて」というようなマウンティングは得意じゃないですし、それが全てではないと思うのです。
作品を通して、自分の内なるものが変わった、あるいは人生そのものが一変した
心が救われた、夢を、希望を、光を見つけた

そういう「出会い」全てが、熱量だと思うのです。
これは全て、たった19年生きてきただけの主観ですので異論は山のように出てくると思います。

興味本位がここまで受け入れられ、新たな出会いを呼び込んだことがどれだけありがたいことだろうと、感謝してもしきれません。
この運をしっかり温めたいと、決意したいと思います。

話は変わりますが、春が終わり夏に向けて
少し憂鬱で重たい時期がまた巡ってきました。
この時期は誰でも、少しため息が増えるのではないでしょうか。
そういう時は、気圧でも、社会でも、朝のアラームのせいにでもして、少し怠けた方が楽な気がします。

人生の壁にぶつかった時、
目の前が暗く、酸素が薄く、朝が憂鬱で夜が怖い
そんな日々が、時間が、重く長くのしかかる。
どんな壁であろうと、容赦なく膝をつかせてくる

「ああ、またか」
膝をつく度に、頭が項垂れる度に、
訳もなく涙が溢れる度に思い出す、長い夜がある

そういう時に限って、思考は体に反して俊敏で敏感で過剰であったりする。
嫌な点と嫌な点を勝手に結んで、複雑な傷心を生み出していく。それがまた憂鬱で、自尊心を自ら加虐しているようで、目を逸らしたくなる。

それでいいと思います。

筋書きのない、毎秒アドリブの現実なのだから
むしろ規則的で機械的である方が寂しいかもしれません。

見ず知らずの土地に馴染もうと根を張り茎を伸ばし葉を広げ、暖かな日の色を纏うべく踏まれても立ち上がらなければならない、そんな近い未来の運命を

全て風の運ぶままに、穏やかに任せてしまう
たんぽぽの綿毛の様に

また春の陽の光を浴びるまで、全て風の流れに任せてしまうのです。
また春が来て、たんぽぽを見つける度に
「また会えたね」と、手を振るために生きたい

前を向けと言われるかもしれない
でも、たんぽぽは下にしかないから
今一時、下を向くことを許して欲しい
辛く寒い冬を乗り越え、今ようやく陽の光との再開に感動を分かちあっているのだから。

下を向くことも、流れに任せてしまうのも
人間らしくて満点だと思います。

春のように暖かな人や物に囲まれ
たんぽぽの花のように、寒い冬を乗り越え咲いて欲しい
根を張り、茎を伸ばし葉を広げた場所が
道の端や自販機の影だったとしても
誰かの視線を浴び、足を止め、

「また会えたね」と、笑顔を向けてもらうために
痛い夏を、哀しい秋を、寒い冬を、乗り越えて欲しい

この文に目を通す人の春が、
希望であることを願って。

たんぽぽの花言葉
愛の神託 幸せ 神託 真心の愛

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