洋楽“Passive”(映画『コンスタンティン』挿入歌)について歌詞和訳&考察
この曲はキアヌ・リーブス主演の映画「コンスタンティン」内の挿入歌になっていて、独特な世界観と興味深い歌詞で、かなり前にハマってしまった。歌っているアーティストは”A Perfect Circle”で、ジャンルはオルタナティブ・ロック等に分類される。
是非異世界感の漂うこの曲を聴いてみて、興味を持った方、また歌詞だけでも面白いので気になった方はこの記事を読んでみて欲しい。
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“Passive” by A Perfect Circle
この曲では、消極的な主人公の気持ちがテーマになっている。医者(診察してくれる主治医)に対する固執的な歌詞だが、医者の存在も自己のメタファーと感じられるような、自己固着も強いと感じられる歌詞だったので、自分がメンタルを病んでいる時につい共感してしまうような歌詞でもあった。歌詞原文のち和訳、その次に自分の解釈や考察を載せていこうと思う。
また、最後には「診察」という観点から少し意見を述べようかと思っている。
“限り無く死んでいるも同然だと
医者は俺に伝える”
👩・・・ここで言われている「死んでいる」とはどういう状態だろう?無感動?心が動かない?
“だけど俺は単に彼を信じることが出来ない
楽観的な人間だろうからな”
👩・・・彼は「死んでいる」と言われた事を否定している。つまり自分には感情があると彼は思っている。そして医者の事を楽観的で、自分とは異なる人間として捉えている。
“俺はお前の能力に確信を持っている
俺の完璧な敵となることを”
👩・・・先程「楽観的」と彼は医者を定義した。完璧な敵とは、完璧に相反するという事で、彼は悲観主義者だ。それ故に、悲観主義者で消極的な自分を変えてくれるのではないかと、彼は医者にまだ期待を持っている。彼は二元論的で、0・100思考だ。
0・100思考の人間は病みやすい。
彼の確信する「能力」の根拠は何だろう?楽観性と能力の高低差には特に関係がないがとりあえず彼はこの医者に期待している。
“目を覚ませ そして俺と向き合え
死んだフリはよせ、何故なら多分
いつか俺は立ち去るだろうからそして云う
お前には失望させられた
多分お前にはこの方がいいんだろう”
👩・・・医者に、自分に向き合って欲しい。もしその望みが敵わないなら、捨て台詞を言ってやりたいぐらい、悔しい気持ちになるだろう。個人的には医者を変えた方が良さそうな気がする。
“此処でお前の上に屈み込む
冷たく硬直している”
👩・・・この比喩はよく分からないが、医者が死んだ所を想像していると思われる。凄く医者に固執している。
“俺は一瞬の内省を得る
お前が何者でありえたか、ありえたかも知れないのか
それはお前の権利とお前の能力だ
俺の完璧な敵となる為の”
👩・・・完璧な固執。自分の為に、医者は存在していると考えている。
自分と正反対の素質を持っていると「自分が」認めているのだから、期待に応えて欲しい。
医者が生きている間に、自分に向き合って欲しい。中々重い想いだ。と言うよりも救って欲しいのだと思われる。
“目を覚ませ そして俺と向き合え
(何故出来ない?)
(さあ今すぐ)
死んだフリはよせ、何故なら多分
(死んだフリはよせ)”
👩・・・「死んだフリ」をしているのは医者と彼、どちらなのだろうか?「死んでいるのは自分じゃなくお前だ、それは自分に対する怠慢だ」という怒りも感じる。
“(何故なら多分)
いつか俺は立ち去るだろうから、そして言うんだ
(いつか俺は)
お前には失望させられた
多分お前にはこの方がいいんだろう”
👩・・・捨て台詞を言うのは、向き合って貰えなかった悲しさ。彼には間違いなく感情はあると思われる。なのでたしかに医者の見立ては間違っている。が、彼は消極的なので、向き合う事が困難なのでは?
“多分お前にはこの方がいいんだろう
多分お前にはこの方がいいんだろう
多分お前にはこの方がいいんだろう
お前にはこの方が
お前にはこの方が
多分お前にとっては”
👩・・・凄く鬱々としている。思い詰めて、思考がそこから動かない感じ。
“目を覚ませ そして俺と向き合え
(何故出来ない?)
(さあ今すぐ)
死んだマネはよせ、何故なら多分
(死んだマネはよせ)
(何故なら多分)
いつか俺は立ち去るだろうからそして言う
(いつか俺は)
お前は俺を失望させやがった
多分お前にはこの方がいいんだろう”
👩・・・段々と、向き合ってくれない医師への不満が高じて攻撃的になっていく。
“どうぞ、死んだフリをしてろ
(やれよ)
お前が俺のこの言葉が聞けることは分かっているんだ
(やれよ)
どうぞ、死んだフリをしてろ
(やれよ)
何故俺に向きあえないんだ?
(何故?)
何故俺に向きあえないんだ?
(何故?)
何故俺に向きあえないんだ?
(何故?)
何故俺に向きあえないんだ?
(やれよ)
お前は俺を失望させやがった”
👩・・・自分に向き合えないのは、医者が「消極的」なせい、というすり替えが起こっている。本当に「消極的」なのはどちらだろうか。
“消極的 好戦的 戯言
消極的 好戦的 戯言
消極的 好戦的 戯言…”
👩・・・本当は自分が「消極的かつ好戦的かつバカバカしい事を言ってる」事が分かっている。自己分析を最終的に持ってくる所に安心を覚えた。この情けなさが非常に人間的だ。
おわりに
この曲は、情けないんだけれど、同時に内面の葛藤が異世界的でカッコよく、怒りが非常に情熱的で、その上繊細さを感じるという天才的な曲だと思っている。
内面の表現が一面的でなく、さらに危うい内面を表現している所が芸術的で美しい。
精神的な観点で言うと、自己固着のあまり、それを医者に投影していて、医者に向けた発言に見えるが、自分への発言とも取れる箇所が沢山ある。これは病んでる人あるあるというか、病んでる人が怒ってる時、他者に対して怒っているはずが、どうもめちゃくちゃブーメランだったり、自己紹介だったりしがちで自分への怒りというのがベースにありそうだなと感じたりもする。
ところで、「心療内科などでちゃんと診察してもらいたい」という観点でこの曲からヒントを貰うとしたら、passive(消極的)な人間でも要点はメモに書くなどして、カウンセリングを行っている病院で診察を受けるのがいいと思う。医者自身がカウンセリングを行っている場合もあるので。あまり、医者自体の性格が「楽天的だから云々」は関係なく専門性の高い医者にかかればいいと思う。
特に0か100かで物事を考えるような、歌詞の彼のような精神状態の人の場合、認知行動療法が必要だと思うので、それもカウンセリング内で行われるのが望ましい。
好きな曲なので、いつか考察してみたいと思っていたので今回出来てよかったと思う。私なりの考察だけど、楽しんでくれる人がいたら嬉しい。