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しずかに雨の降る日には

その声を聞くと、胸がぱぁ!っと、きぅんとなって。
この手に、柔らかく温かな手触りを感じれば、そのぬくもりに癒されて。
ジィっと、そのまなざしと向き合い、意思疎通を試みようと声を掛け合ったりもして。でも、大概は、言葉なんて通じなくっても、不思議と、心が通いあっているような存在。
それは、ひとりと一匹、お互いにとっての、何物にも代えがたい事実で。
ある時は、明確な意思をもって、またある時は、明らかに気まぐれに。
だけど、こちらへの愛は、そこかしこに溢れていて。
だから…というわけではないのだけれどー。
こちらからは、もう常に愛情ダダもれ状態になりがちだったりするのです。
時に、のしかかってくるような、或いは、膝の上に飛び乗ってくる時の、体重の軽い重いは関係なく、その重さに。
彼らの命の重さをひし、と感じたりもして。
この子らの命は、私がまもっている。まもっていかねばならない。
そんな決意にも似た想いに駆られる瞬間があるのです。
 
ある一匹は、川べりの段ボールに捨てられていた生まれたての子犬。
まるでドラマにありがちな、ベタな展開を地でいく出遭いだったのです。
しとしとと、雨が降る日の昼間でした。
ランドセルの肩紐と自分の首との間に、傘の柄を挟み込んで。
何とか、彼だか彼女だけは、それ以上、もう雨に濡れることがないように。
ダンボールごと、よいしょっと両腕で抱え上げ、箱の中のその子に、「もう大丈夫だからね!おなかすいたよね!」などと、ずーっと声をかけながら、家までの道のりを歩きました。
目も開ききっていないような子犬を目にするのは初めてで。今にも死んでしまいそうな、それでも、何かを求めて懸命に手足を動かしながら、ふるふると震えながら這いずろうとするその姿に。一秒でも早く帰宅して、親に何とかしてもらわねば!と、その一心でした。

また、ある一匹は、仕事で疲れて帰宅すると、どこからともなく現れて。
駐車場から自宅玄関まで、ずぅっとニィニィ…と、か細い声で鳴きながらついてくる仔猫でした。声をかけつつ「ごめんね」と離れて家に入ろうとすると、一緒に入ってきてしまうのです!それはもう、コントみたいに!抱えて、外へ出しても、小走りにドアの隙間から入ってきちゃうのです。
そんなことを何度か繰り返し、それでも。「ごめんね、お家には入れてあげられないの」と、断腸の想いで扉を閉ざしたのです。
その日も、しずかに。けれども、降りやまぬ雨が降る、そんな夜でした。
ところが翌朝。私が出かけようと、玄関の扉を開けると、その子が、我が家のドア玄関マットの上で、ひん死の状態で倒れていて。
さいわい、徒歩数分のところに動物病院があるのを目にしていたので、即、抱え上げ、動物病院へ連れて行きー
責任を持って家族として迎え入れることにしたのでした。
 
そうこうして迎え入れた彼らは、いずれも大病を抱えており(初めての健康診断や、ワクチン接種の際などに気付くことになったのです)およそ、一般的な犬や猫たちの寿命とは程遠い寿命を宣告されたりもしたのですが…
その時はね、やはり、ショックでした。
考えられなかった。考えたくなかった、が正しい表現でしょうか…。
でも、受け入れていくしかなかったのです。
だって、彼らは、それでも。
愛くるしい目を向けて、私を信じて、つらいであろう闘病生活を闘い抜こうとしてくれていたから。
私が憂いている場合などではなかったのです。
彼らは、懸命に、生きている。
そんな彼らの一生に、私は関与することを決意したのですから。
飼い主として、私が彼らの為にしてあげられることは、一体なんなのだろうか。やがて、時間が経つにつれて。症状の悪化、病状の経過を辿るなかで、常に試行錯誤を繰り返しながら。まるで見えない何かに打ち勝つために、
必死に共闘している、そんな日々の連続でした。
やがて、彼らの命の灯が尽きるその日まで。
私は、私に出来得る限りのことをしました。
彼らが旅立ったあの日も。しずかに雨が降っていました。
 
雨が多少降り出していたとしても、私が、この小窓を閉めずにいるのは。
もしかしたら、彼らの声が聴こえてくるかもしれないと、思ってしまうからなのです。
今日みたいに、しずかに雨の降る日には、特に。
雨の日に出遭い、雨の日にお別れした彼らとの、優しい想い出で、この胸がいっぱいになるのです。
 
雨が降った後のお空には、虹が見えることがある、なんて言うけれど。
なるほど。
彼らは、そうして、虹の橋を渡って、新たな世界へと冒険に旅立ったのでしょうね。
一匹、また一匹と、見送るたびに、つらくて、悲しくて、どうしようもない気持ちになってしまったのです。
だけど。
どうしても抗えない、時の虚しさに直面せねばならぬ時は、必ず、来てしまうのです。
いつかは見送り、見送られるというコト。
それは、ひとりと一匹が出逢い、共に過ごしていくコトを決意した瞬間から定められた、抗いようのない、カミサマですら、どうしようもない、きまりごとなのです。
 
虹の橋の向こうの世界では、ケガや病気もなく、健やかに、駆け回ったり飛び跳ねたり。彼らにとってのパラダイスが広がっていると言います。
なんちゃらチュールとかも、食べ放題なのかな?
…もはや、ドリンクバーみたいな?
(だって、もう、何食べたっていいんですもの!好きなだけ、お食べ!!)
少し先に、虹の橋を渡った先輩方に優しく迎え入れられ、美しい新たな世界での大冒険に繰り出しているのかもしれません。
そうこうしながら、彼らのご主人様と、つまり、私やアナタさまと、再び出逢えることを楽しみに待っているのです。
 
ふたたび出逢える、その時に。
「へ?ご主人様…老けた?」とか
「え?お前、ホントに、俺のご主人様かよっ?」とかね、
盛大なツッコミを受けないようにするためにも!
虹の橋のこちら側の世界で。
私は、いましばらく、彼らのいないこの世界での日々を楽しまなくてはなりません。
彼らだって、新天地で大冒険に繰り出しているのです。
私だって、まだまだ、大冒険に繰り出せるのです。
まずは、明日、髪を切りに行くのです。
グルーミングは、とっても大切!
それから、帰りに、お気に入りの喫茶店にでも寄って、美味しいケーキを食べるのです。
ご褒美、チュールタイムも、とっても大切だから!
彼らにとって、一番、頼もしくって、甘えたいって思えて…
願わくば、可愛らしいご主人様だ!って、そう、思ってもらいたいから。
 
雨上がりの空に、そう簡単には、虹の橋はかかってはくれないけれど
見上げていると、彼らの声が、ほら、聴こえてきそうな気がするのです。

しずかに雨の降る日には、心に虹の橋かかる
彼らを想い切なくも、傘をさして、歩くのです。


つばめの声で聴けます♪
キモチ、たっぷり、込めてます!
◆つばめble「しずかに雨の降る日には」音声版 @stand.FM より👇

「しずかに雨の降る日には」と対を成すような作品(noteにもございます)
◆つばめble「しずかな雨が止んだなら」音声版@stand.FM より👇



《作品利用につきまして》
上記「しずかに雨の降る日には」を朗読等に活用したい。
そう思って頂けた方へ。
当方、別ページにてご案内させて頂いております、
「作品利用につきまして」をご一読頂きました上、
ご活用下さいますようお願い申し上げます。


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