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【前世探求の闇】私の黒歴史❹

23歳のとき、旅先の史跡でお寺の看板に書かれていた『空海』という名前を見て、突然前世の記憶を思い出した私。
「私の前世は最澄で、これまで何度も法華経の修行者として転生を繰り返してきた!」

その直後訪れた別の史跡では、ふたりの僧侶が愛し合っていたのに別れたという記憶が蘇った。


何度もしつこく書くが、これらは本当の前世の記憶ではない。しかしこの時の私にはそんなことがわかるはずもなかった。

輪廻転生の知識どころか、そもそもそんなものを否定していた当時の私に、我が身に突然降りかかった災難がなんなのか、そもそも災難であるという認識すらなかったのだ。


ふたつの史跡で前世の記憶を思い出した私、その日の夜、友人たちとみんなで泊まったホテルで、こんな夢を見た。

当時私は祖母からもらった弘法大師のお守りを持ち歩いていた。といっても、可愛らしい稚児大師のお守りである。

その夜、夢に稚児姿の弘法大師が現れた。
しかしなにも言わない。
ただ稚児大師は両手を差し出し文字を示した。

『三連』

(えっ、さ、さんれん?)

『三連』とだけ示すと、すぅーーっと稚児大師は消えてしまった。

目が覚めた私は三連の意味を考えた。
(三回続いたという意味だろうか?何が?ああ、輪廻転生が三回続いた?いや、そうじゃなくて、『三』という文字は私の実家に関係するのかな?うーーん、三という数字には、色々思い当たるけど、どれもしっくりこない。)
色々考えたがわからなかった。

(違うなぁ……)

わからないままに私たちの旅は進み、翌日以降も次々と関東の史跡をまわり、最終日には日光東照宮にも参拝した。

この時私は東照宮で漫画家になれるようにと祈願した。当時私は漫画家志望で、編集者と連絡を取り合い勉強する身だったのだ。天下を取った人物のお墓で祈願したら、とても大きな気持ちになれた。

それだけじゃない。私は前世の記憶を思い出したのだ。しかもそれは歴史上の人物が出てきたり、男同士の恋愛の物語だったりと、ボーイズラブの漫画家になろうとしている私にとってはネタの宝庫のように思われた。

「やったぞ!私はこれからこれをネタに漫画を描くんだ!!」

そんな気持ちで旅行から帰宅した私は、まず帰宅直後に夢を見た。その夢は僧侶だった私が弟子たちに看取られて死んでいく臨終場面の映像だった。過労で倒れ、何日も床に伏していた私が最期に聞いたのは、大切に育ててきた弟子たちの冷たい言葉だった。長年の努力の末、疲れ果て、誰にも惜しまれず死んだ私の魂は絶望のあまり真っ暗で寒いところに堕ちた。

それは死後数日後のことだった。

誰かが私のために泣いている声が闇の底に届いた。その声は死んだ私に対してとても怒っていたが、同時に深く悲しんでいた。男の悲しみはまばゆい光となって、私を暗闇から救ったのだった。


これが23歳の私が初めて見た前世の夢である。私はそれまで生きてきて、これほど誰かに悲しんでもらったことはなかった。

それまで私は両親から大切にされた覚えはなかった。いつも周りは殺伐としていて、誰かに優しくされたことのない人生だった。でも、前世はそうではなかったらしい。

前世では私を心配して、その死を泣いてくれる人がいたのだ。(泣きながら怒ってたけど)

嬉しかった。
前世とはいえ、私のためにそんなふうに泣いてくれるひとがいたことがとても嬉しかった。

そして私はその日から、その夢で見た人物を探すことになった。

彼の名前はわからない。
旅先で最初に前世を思い出すきっかけとなった空海という人がその人かもしれない。だが確証はなかった。

顔は見えなかった。特徴的だったのは声で、あの世の闇の中で座り込む私に、「おい!立てよ!!」と乱暴な言い方をしていたところから、ちょっと粗野な印象を受けた。おそらく田舎育ちで、都会的な人物ではない。

ただ、それだけではなんともいえなかった。私は彼の正体を知るためには歴史を調べねばならないと思った。

この時わかっていた私の前世にまつわる情報は、
①空海と最澄に関わりがある。
②同性愛の恋人たちの出会いと別れ。
③稚児大師が夢で示した『三連』というキーワード。
④私の死を数日後に知って、泣いて怒っていた気性の激しい男。彼はおそらく粗野な田舎者だった。

この程度しかこの時にはわからなかった。しかも②の同性愛については全く見当違いの別件だったが、私はここから本気で前世探究を始めることになったのだ。なぜこの程度の情報しかわからない中で前世探求などしようと思ったのか。

それは死んだ私のために、本気で泣いてくれた男が誰なのかを知りたかったからだ。同性愛かどうかは知らないが、彼こそが私の真の友だった。そう思った。

真の友を絶対に見つける。
いま彼がどこにいるか、生まれ変わっているか、いないか、全くわからないが、探さねばならない。
孤独な私のために泣いてくれたその気持ちに応えるために。

「とにかく今唯一はっきりわかっているのは空海と最澄の名前。まずはこれを調べなきゃ。」

「そうだ、展覧会に行こう。最澄や空海の真筆を見たらもっとなにか思いだせるかもしれない!」

ちょうど旅先から帰宅する道すがらだったろうか、比叡山と高野山の合同による展覧会が奈良で開催されているというポスターを偶然目にしていた。

前世の記憶を思い出した数日後、私は奈良に向かった。

当時買った図録。
いまだにこれだけは捨てられずにいる。
1997年、もうずっと昔のことだ。

この展覧会で、私は不思議なものを見た。
会場の入り口付近に弘法大師像と伝教大師像が並んで配置されていたのだが、弘法大師像からものすごく大きく力強いオーラが出ていて、そのオーラが伝教大師像を守るように包んでいたのを見た。

弘法大師の像からものすごいオーラが出てた
その隣におられた伝教大師像

びっくりして、しばらくその場に固まっていた私だった。完全に面喰ってしまった。あまりにもこのオーラの印象が強すぎて、その後他の展示物を見た感想をあまり覚えていない。真筆を見たと思うのだが、あまり印象に残っていない。

とりあえず、この弘法大師像の巨大なオーラによるメッセージをどう考えたらいいものか、帰宅後もそのことで頭がいっぱいになった。

旅先で前世の記憶を最初に思い出したあの時、私は『空海』という人をとても性格の悪い人だと思った。思いだすだけで「あんのやろう!」と思う。しかしそれは訂正しなければならないと思った。思ったより悪い人じゃない。むしろ、彼の魂は死後も伝教大師を守ろうしているように見えた。

(じゃあ、この二人の大師には、いったい何があったんだ?)

当時の私は仏教の歴史どころか、歴史全般に興味がなく、当然最澄や空海のことなど全く調べたこともないが、さすがの無知な私もこの両大師の仲が悪かったことくらいは聞いたことはあった。

比叡山と高野山は犬猿の仲だとか、そんなことを聞いた。

「この二人、本当に仲が悪かったのかなぁ……?ていうか、恋人だったの?」

(おい!恋人なわけないだろう!!)
そんなわけは絶対にないのだが、私はこの時はまだ『僧侶同士の同性愛の記憶』を両大師の件と絡めて解釈していたのであった。しかし幸いというべきか、空海への激しい怒りの記憶が、『同性愛の記憶』のおかげで緩和されていた。もう私は旅先でのように怒ってはいなかった。

ふたりの大師の間でなにがあったのか?
それを知るために、その日から私は仏教関連の書籍を買い集め調べるようになっていった。



(ふおおおお!!!)
(若い頃の恥を隠さず書くと決めたものの、書いててめちゃくちゃ黒歴史すぎて、お恥ずかしいやら、申し訳ないやら、ふおおおお……💦)


次回予告、
『奈良時代の女性夢枕に立つ』
です。

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