歳差運動3-②

職務命令に屈した悔しさを、俺は“気晴らしに行くんだ”という小さなプラス思考に転換して道徳の研修会に行くことにした。

それでも消極的参加態度は拭えず、開始時刻ぎりぎりに着いたものだから、郊外の巨大ショッピングモールにあるような広々とした駐車場の会場入り口から最も離れた駐車枠に愛車を留めることを余儀なくされた。

碁石のように整然と並んだ数々の車の間をパックマン(古いよなあ)のように、そして“俺は直角”(もっと古いなあ)のように直進と90◦転換を繰り返して、やっと大規模な文化総合施設の大ホールに滑り込んだ。

研修プログラムの冒頭は特別講師による講演になっていた。            

1500人が座れる座席はほぼ埋まっており、前方にパラパラと空席が見られる程の盛況だった。                  仕方なく学習意欲に反比例した状態で最前列の中央付近に歩を進めた。

開会時刻が迫っており、壇上には既に関係者が勢揃いしていた。           その付近のライトが当たらない陰の部分を探して、背中を丸めながら目立たぬようにそろりとオレンジ色の椅子に腰掛けた。

ゆっくり腰を据えて最初に浮かんだのが、こんな一番前の臨場感溢れるところでは居眠りなどできないだろうという不謹慎な考えだった。                  

ところが意外や意外、この場所はリラックスできるおあつらえ向きの場所であることに気がついた。壇上のお偉方の視線と俺の視線との角度が急勾配のため、一番前に座る参加者の様子などは正に眼中に入らない。    しかも、脚を思う存分伸ばして疲れた筋肉をほぐすこともできる。映画館で一番前は辛いが、ここなら壇上のオヤジたちのテカった顔を見なくて済む。

俺にうってつけの席だ、などと考えていたら後ろからの冷ややかな視線をこそばゆく背中に感じた。               振り向くと、俺と同じような年齢の参加者はなく、殆どが2,30代の若手教師ばかりであった。                  ここは安室奈美恵のコンサート会場かと錯覚するほどだった。俺が好きな昭和歌謡を口ずさみそうなオジサンは入室禁止になっているのかと思った。

その若者たちが鋭い視線をステージに向けていた。その視線と彼らのヤル気のオーラが俺の背中に照射されていたのだった。

すると今度は落ち着かなくなった。

俺は川原に横たわっている小さな石ころに過ぎない存在だ。けれども俺は角張っている。他の周りの石たちはみんな丸みを帯びている。川の流れに身を任せコロコロと転がりながら角がとれて丸くなった。       なぜ俺だけが角張っているのか?     おそらく、近くの崖の一部が剥がれ、真っ逆さまに落ちて砕けた岩の一部だからなんだろう。                  無数にある川原の石の中で角張った石は目立ちすぎる。               そんな存在が今ここにいる俺の姿なのだろうと思った。


~続く