「イチョウの葉っぱ」の「植物活動」。
最近は紅葉の時期が遅くなって、12月になってもイチョウは黄色くなって、そして落ちてくる。
昔は、近くに工場があって、そこに通るトラックなどが多く、そのためにイチョウ並木を植えたのではないか、といった疑惑を勝手に抱いているせいもあって、イチョウに対して、手放しで肯定的な気持ちになれない。
何より、この落葉の季節になると、毎日のようにたくさん落ちてきて、道路にいっぱいになって、それを妻や近所の方が掃除をしていて、自分がやらないから、あんまり言う資格もないと思っているのだけど、近くのイチョウの木がかなり年老いて、枯れそうになっている時に、もし、この木がなくなるときは、ここには植えないでほしい、と思っていたのに、気がついたら、新しい細めで背も小さいイチョウの木があった。
近所の人間に、何も聞かないまま、事態が進んでいて、いやな気持ちになった。
朝の音
今年も風が吹いたり、刺激があると、イチョウの葉っぱは、うそのようにバサッバサバサとたくさん落ちてくる。
朝になって、妻が階段を急いで降りる音が聞こえて、外へ出る気配があって、しばらくそのままだったから、布団の中で寝ていたのだけど、気になって、見に行った。私と妻の生活のリズムは、介護をしていた時に、私が夜間担当になっていたなごりもあって、まだ2時間くらい起床時間は違うのだけど、外を見たら、ご近所の方と話をしていた。
そのあとに、大丈夫?と声をかけて、イチョウの葉っぱを掃いてる、というので、大変だね、と声をかけたら、楽しいよ、と予想外の答えがかえってきた。
いろんな形があるし、きれいだし、といった明るい言葉が続いた。
日当たりでも違っていて、家の前のイチョウは黄色になるのが早めで、向かいのは、まだ緑でしょ、と話は続き、それで、自分は掃きもしないのに、イチョウをいやなものと思っていたので、心の狭さとかが、いろいろと恥ずかしくなって、また寝ようとしたが、それからあまり眠れないので、起きることにした。
イチョウの葉っぱ
ここまで、植物に関わる、何度も似たような話(リンクあり)が出ているのだけど、今回も妻にイチョウの葉っぱの話を聞いた。
…このところ、朝早くにご近所の方にイチョウの葉っぱは掃いてもらっていて、だから、今日は、どさっとあったので、はやめに掃いていたら、妻にとって、発見があった。
イチョウの葉っぱって、葉っぱによって、形が違う。
われてない葉っぱが落ちていて、ひろって、集めようかどうしようか迷って、でも、時間もとられるし、と思って、掃き集めた。
そうしたら、山積みの葉っぱになって、きれいだったから、それを写真におさめようと思って、カメラをとりにいって、でも、門があいているし、葉っぱはまだ集めていただけで、ちりとりもほうきも出しっぱなしだったから、急いでた、という。
この音で、私は目がさめたらしい。
イチョウの「植物活動」
妻はイチョウを掃き集めて、落ち葉にも新旧があって、やはり新しい落ち葉が、黄色がきれいで、さらに、少し古くなった落ち葉もいろいろな色があるけど、そういうくすみみたいな感じまでは、まだ味わいきれていない、と言っていた。
もともと、雑草のちいさい葉っぱが好きで、最近は、やっと木の葉っぱにも興味が出てきて、柿の葉は、いろいろな色があって、もてなしてくれるから、以前から、他の木の葉とは違う気持ちでいたのだけど、イチョウにもやっと興味が出てきた。
掃き集めて、雪みたいに一面葉っぱになったのを、最近見てなかったけど、まだ落ちてきそうだったから、長い柄のホウキでぽんぽんと叩いたら、バババババと落ちてきた。
ご近所の人がちょうど出てきたので、見てください、イチョウの葉っぱって、こんなに黄色くて、きれいで、といったことを伝えたけど、妻の熱量ほどは、伝わらないようだった。
でも、写真も撮ったし、あとは、自分が好きなものも置いて、撮れて、大満足だったという。
イチョウの葉っぱの形
それから、妻は私に、イチョウの葉っぱにいろいろあると、朝に言ったこともあって、あちこち集めて、改めて、割れ方が深かったり、ふちがなみなみだったりと、いろいろとあることを知って、他にも、もっと、おもしろいのがあるのではないか、と思ったらしい。
こうして並べてくれたから、私も見ることができて、なんだか楽しかったけれど、いつも目にするイチョウの葉っぱは全部同じようにしか見えていなかったけれど、妻は、こんな解像度で見ることができるから、だてに「植物活動」(リンクあり)をしているわけではないと知った。
(他にもいろいろと書いています↓。読んでいただければ、うれしいです)。