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病院に通い続けている頃に見た、消防士の腹筋運動。

 もう随分と昔のことだけど、2000年頃、母親に介護が必要になった。

病院に通い続ける日々

 その過程で、私自身が心臓の発作に襲われる。
 心房細動。初めて聞く病名だったが、その発作の時は、あばら骨の中で、知らない生物が暴れ回っていて、飛び出てくるような感覚があったから、もう死ぬんだな、と冷静に思えた。医師に「過労死一歩手前。もう少し無理すると死にますよ」といわれたことにも説得力を感じていた。

 母親を病院に預けることにした。
 同じ頃、妻の母親が、だんだん介護が必要になってきた。
 私は、仕事をやめ、介護に専念することにした。

 毎日のように母の病院に通ったのは、怖かったからだ。自分が行っても、医学的にはプラスかどうかも分からなかったけれど、行かないことによって、二度とコミュニケーションがとれなくなることを想像すると、気がついたら、病院に通っていた。

 それはお見舞いといったことではなく「通い介護」と名づけていい行為だったと思う。似たようなことを思って、病院に通い続けていた人たちと知り合いになったことで、その言葉の方が、自分たちの行為を表すには、適切な表現なのではないか、と思うようになった。

 病院に通って、なんだかやたらと疲れて、帰ってきて、妻と一緒に義母の介護をする。

 そんな毎日は、社会ではなく、どこか別の場所に押し出され、そこで生きているようだった。息を止めるような生活だった。

 人と会うことも苦痛になり、ほとんど誰とも会わなくなった。
 病院と、家で暮らしていた。

バスターミナル

 家から電車を乗り継ぎ、母のいる病院の最寄り駅に着く。
 ここまでで、1時間以上が経っている。

 そこから、バスに乗る。
 坂道を上り、さらに上り、どこまで行くのだろう、と思って不安が増して、また上ったあたりで、駅から30分弱で、終点のバス停に着く。そこに大学があるから、存続していると思われる路線。そこから、病院まで、さらに少し歩く。

 最初に病院に来たときは、さいはて、という言葉が浮かぶくらいだった。

 私は、ただ、うつむき加減で通っていた。母の病室にいて、面会時間終了の午後7時になってから、病院を出て、そこから7〜8分歩いて、バスターミナルに着く頃は、夜だった。緑が多いから、街灯が照らす場所以外は、黒く見える。

 そこからバスに乗る。
 場合によっては、大学生のグループと一緒になり、そのエネルギーや、未来がある感じが、勝手にうらやましく、自分の先のなさを、余計に思って、気持ちが暗くなっていた。

消防署

 バスが出発すると、そばに消防署がある。

 それは、そんなに巨大な施設ではないけれど、消防車が何台か止まっていて、いわゆる「火の見やぐら」的な高い部分もある建物だった。

 ほとんど何も感じないまま、座って、外を見ている。

 消防車を止める場所から、道路に出るところは、緩やかに下り坂になっている。そこを使って、腹筋運動を続けている、若い、おそらくは消防士の男性がいた。

 下っている部分を頭にして、あおむけの姿勢をとっているから、それだけで微妙に負荷が増しているはずだった。バスは信号で止まっているけれど、その間も一生懸命、その動きを繰り返しているのが見える。バスが出発して、振り返りながら見ていても、視界のなかで、小さくなっても、腹筋運動を続けているようだった。

 その姿は、時々、見るようになった。

 元気づけられる、みたいな気持ちにはならなかったけれど、見かけると、ほんの少しだけ、気持ちが軽くなる気がしていた。

 夜に外であおむけになって、腹筋運動をする。
 その彼の視界から、夜空が見えていたりすることを、少し想像すると、自分の気持ちにも、ほんのわずかだけ、広がりが出ていたのかもしれない。

 いつの間にか、その姿は見なくなった。

 他の消防士が、腹筋運動をしていたのを見たことがなかったから、そんなことをしている消防士は、少数派なのだろうか。
 そんなことをふと思ったこともあったけれど、病院に通い続ける毎日では、それ以上、何かを考え続ける気力にまでは育たなかった。

 病院に通い続けた日々は、約7年で終わった。

 母親が、病院で亡くなったからだ。




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おちまこと
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