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結局、「クールな大人」になれなかった。

 10代から、20代前半くらい、大人になろうとする年代で、モテたい、という気持ちが、特に強い頃、周囲に一人くらいは、やけにモテている人間がいた。

 自分よりも、ちょっと先に世の中を知ってしまったような、そして、少しオシャレでセンスも良くて、何より全体のイメージとしては知的で冷静な気配があるから、悔しいけれど、モテても仕方がないと思っていた。

 同時に、今は感情的な自分でも、もっと歳をとって、いろいろな経験を積んだりすると、「クールな大人」になれるかもしれない。声を大にして言うには、恥ずかしいような希望を、やっぱり持っていた。

中年

 20代とか、30代とかは、目の前に課題があったり、遠いところの目標があったりするので、なんとなく余裕もなくて、バタバタしていて、気がついたら、40代になっていた。

 若い頃は、「クール」ではなくて、年齢よりも上に見られていた。それは「大人」ではなくて、単に「老けて」見られていたのだけど、40代になったら、なぜか、実年齢よりも下の年齢に見られるようになった。

 それは、元々の顔形や雰囲気に若さが足りない、といった要素も大きいのかもしれないが、年齢より若く見えるようになったとしても、明らかに「クールな大人」までは、距離があった。

 もっと歳を取らないといけないのだろうか。

感情的であること

 何があっても動じないようなそんな冷静さは身につかないままだった。

 40歳を超えて歳を重ねていけば、若い時よりはエネルギーも減るし、経験も増えるし、もしかしたら少しは知性の力も高まるから、自分の感情のコントロールができるようになるのではないか。

 そんな期待をしていたのだけど、実際にその年齢になっても、そんなに変わらなかった。

 ちょっとしたことで嬉しくなったり、小さなことでイライラしたり、低い壁に当たっても落ち込んでいた。変わったのは、その感情を表に出さない技術が、少し上がったことかもしれない。それに、好きなことや、好きなものはそんなに変わらなかった。30代から、好きなこととして、アートが加わったことが、自分にとっての変化だった。

 もういい加減、気がつき始めていたのは、「クールな大人」になれるのは、元々が、「クールな若者」だった人たちだけで、だから、「感情的な若者」は、基本的には「感情的な大人にしかなれない」ということだった。

感情的な大人

 サッカーは好きだったので、マラドーナはすごいと思っていた。

 同時に、いくつになっても、この人はとても「感情的な大人」という表現には収まりきらないような「自由な人」だと、遠くアジアの人間から見ても、分かるような気がしていた。

 空気銃乱射事件を起こしたり、永遠のライバルであるブラジルが大差で負けると、その数字を指で形どって、はしゃいでいたり、その一方で、W杯で監督をしたときに、試合後に選手をハグする姿からは、気持ちがこもっていることが、テレビ画面を通しても伝わってきた。

 晩年は、突然「整形」をしたり、といったニュースまであったし、最後まで「感情的な大人」のまま、60歳という若さで亡くなってしまったのだけど、それでも、偉大なサッカープレーヤーだったことは、そのプレーを数十秒でも見たら、嫌でもわかるような存在だった。

 マラドーナが、感情的であることと、そのプレーや、人としての魅力も、おそらく切り離せないことで、こうした天才と比べるのはおこがましいけれど、感情的な人間は、感情的なまま大人になるしかないのかもしれない、とも思えた。

自分なりの大人

 かなりの年齢になっても、「まだ大人ではないですから」といった言い方をするのは、個人的には、少し無責任なような気がするので、なるべく使わないようにしている。

 今は、18歳を過ぎたら、「大人」になって、自分自身の時は、20歳を過ぎたら「大人」になっていたのだけど、大事なのは、少しでも「まともな大人」になることだと思う。

 だから「大人になっていない」と言うのは、謙虚さもあるかもしれないけれど、その責任みたいなものから、目を背けることにもなるし、個人的には、怠けやすい性格なので、よりだらけてしまう、と思っていたせいもあって、なるべく言葉にしないようにしている。

 「まともな大人」にどこまでなれたのか。その基準もはっきりとはしないから、現状の自分が、どこまで到達しているか分からないが、まだ目指している一方で、「クールな大人」になることは、かなりあきらめることができた。

 結局は、「感情的な自分」は、それを変えることは難しいので、それを生かしながら、その先にある「自分なりのまともな大人」を目指した方がいいと、いつの頃からか、思えるようになった。

(あくまで個人的な感覚ですが)恐ろしいことに、いくつになっても「クールな大人」は、そのクールさを保ちながら、年齢なりに、今もモテているようで、それを思うと、心がざわざわするものの、それでも、もしかしたら、他の人が、とっくに気づいていたことを、「自分なりの大人」になればいいということを、やっと、納得できるようになった。

 自分とは違う人間にはなれない。自分が伸びやすい方向へ進んだ方がいい。そのほうが、おそらく幸福感は高いと思う。

 

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