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「新幹線の時代」の遺産。

 まだ早いのでは、と、その変化に不安がありながらも、コロナ対策の緩和が進み、そういう時に、象徴的なニュースになるのが、長い休みの時の、新幹線の乗車率だった。

JR各社によりますと、新幹線はきょうが下りの混雑のピークになっています。各新幹線の下りの指定席は午前中はほぼ満席でした。自由席の乗車率も、東海道新幹線で最大180%に達しました。

 これは、今年の5月3日の記事だけど、新幹線は、今も人の流れを象徴するものとして捉えられている印象があり、その乗車率の多さが、コロナ明けを意味しているものとして、なんだか明るく伝えたれているようにさえ思った。

新幹線の時代

 新幹線が開業したのは、1964年のことで、それは、最初の東京オリンピックが行われた年だった。そして、その新幹線は、当時の日本社会にとって「ただ早い列車」という意味だけではないのは、少し歴史を振り返ると、ちょっとわかる気がする。

つまり日本は、イギリスよりも42年遅れて営業鉄道を導入した国なのだ。また、日本よりも先に営業鉄道を開業させた主な国としては、イギリスの他にフランスやドイツ、アメリカがある。これら4カ国から見れば、日本は「鉄道後進国」であり、かつては4カ国の技術的支援がなければ、自国の鉄道の建設・運営・維持をできなかった国だったのだ。

ところが日本は、1964年10月1日に世界初の高速鉄道である東海道新幹線を開業させ、世界最速(当時)の営業列車を走らせた。「鉄道後進国」だった日本が、いきなり前例がない高速鉄道を開業させ、営業最高速度で世界のトップの座に上り詰めたのだ。

 そんな歴史があるとすれば、当時の「新幹線開業」は、今では想像もつかないほどの誇らしい出来事であり、東京オリンピックは、大会が終われば過去になるが、新幹線は、その後も走り続けて、しばらくは、間違いなく「明るい未来」の象徴のように見えていたはずだった。

 それは、同時に、前面が、ちょっと丸っこい初代新幹線への乗車自体が、特別な体験である時代が、しばらく続くことでもあった。

0系は世界初の高速鉄道車両です。
東京オリンピックの開催に合わせて開業した東海道新幹線の初代の車両です。
初期はビュッフェ車や食堂車が設けられたこともありました。
東海道新幹線では1999年に運行を終了し、現在は全車廃車となっています。

 それは、高度経済成長とともに「新幹線の時代」と言っても、大げさではないのだと思う。

新幹線体験

 そんな晴れやかな「新幹線の時代」は、1970年代には、まだかろうじて続いていた個人的な印象がある。

 小さい頃、初めて「0系」の新幹線に乗った時は、その前から、ちょっとはしゃいでいた。

 トイレも、ちょっと違っていた。

 その頃は、長距離の在来線にあったトイレは、排泄物は、そのまま線路に落としていたはずだから、停車中は使えず、走っているときには、下の線路が見えていた。

 それと比べると、新幹線のトイレは、便器が金属式で、あとから「循環式」という方法だと知ったが、家の水洗トイレと同じように水を流せて、線路には落とさない構造になっていたと思う。それだけで、新しかった。


 さらに、車両の間のスペースにあった冷水器も、子どもにとっては、気持ちが盛り上がった。そこに備えてあった紙コップで、その水を飲むだけだったのだけど、他には見たことがなかったからだ。

 その紙コップは、今考えたら、省スペースのためだと思われるのだけど、平たく収納されていて、一見、ただの小さめの紙だった。それを、ふくらませるように、平ためのコップにして、その上部から水を入れて、それから、水を飲む、という方式だった。

 初めての時は慣れなかったけれど、そのうち、その独特のもどかしさも含めて、新幹線の特別さの象徴のように感じ、子どもの頃、その冷水器で、水を飲むのを楽しみにしていた。

 その頃の新幹線は、まだ輝かしい存在だった。

 それは、新幹線という「新しい乗り物」で時代に勢いをつけ、さらに、その時代の後押しがあって、新幹線が、より特別に見える。

 そんな、その時にしかない好循環のためだと思う。同時にそれは、再現不可能なことのはずだった。


「新幹線の時代」の遺産

 いつの間にか、新幹線から、そんな輝きのような印象はなくなった。

 車体が流線型になり、洗練されてきた頃には、当初の特別感は減ってきた気がして、高性能の車両という実質だけが強調されるようになったように思う。

 見出し写真は、新幹線が走るそばの注意喚起の看板だった。

 かなり高い柵を越えないと、その敷地に入ることはできないし、その柵のこちら側からでも、十分に新幹線は見えるから、そこまでする子どもがいるとは思えない。

 だけど、それは、21世紀現在の感覚で、1960年代前半の「新幹線の時代」には、新幹線が今よりも特別な存在だったから、子どもによっては完全に冷静さを失ない、少しでも近くで見るために、高い柵さえ乗り越えるのではないか。

 そんなことが考えられたから、こうした看板が掲げられたのだろう。

 この絵に描かれた新幹線は、明らかに「ゼロ系」だから、この看板自体が、かなり古いことも含めて、「新幹線時代の遺産」と言ってもいいのかもしれない。

「リニアの希望」は本物だろうか

 2021年にコロナ禍の緊急事態宣言下で、東京オリンピックが開催され、かなり無茶をしている印象もあったのだけど、さらには、大阪万博、札幌オリンピックまで、「再現」しようとしている。

 その「反復」は、こうした「汚職」↑があるように、何かしらの利益誘導も考えられるとは思うのだけど、それに加えて、関係者の年齢の高さもあるので、もしかしたら、あの「新幹線の時代」のような、晴れやかな雰囲気まで「再現」できるのではないか、というような「希望」も、あるせいではないだろうか。

 だけど、2度目の東京オリンピックが、最初の「新幹線の時代」のオリンピックほどの盛り上がりが見られなかったように、大阪万博も、札幌オリンピックも、そして、リニア新幹線も、あの高度経済成長期の新幹線のような「希望」を見せてくれるとは思えない。

 リニアの開業は、すでに予定より遅れが、明らかになっている。

 どちらにしても、すでに時代は変わっている。

 上り坂の時代は、もう2度と戻ってこないことを認めないと、おそらくは、本当の意味での「希望」を作ることはできないだろうし、ひどい下り方をするしかなくなってしまうのだと思う。




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