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テレビについて㉟「どのドラマにも同じ俳優が出ている」と思うのは、どういうことなのだろうか。

 少し前は〝田中圭は、ホントは田中Aから田中Kまでいるのかもしれない〟と、くだらない冗談が浮かぶほど、いつドラマを見ても、出ていたような気がしていた。

 休みは、どうするのだろうか、という気持ちと、これだけ重宝されるということは、セリフを覚えるのが異常に早く、N Gを出さないのではないか、とも思った。

 そして、今も田中圭は、よくドラマに出ている。そんな揶揄するような思いを受けているとしても、きちんと、その役として、テレビ画面にいる。単純に力がある俳優というだけなのだろう。

 ただ、そんな見方は、ドラマをただ純粋に見ているとは言い難く、だけど今の世の中に生きていれば、そういう少し距離を持った見方から完全に免れる方が難しいから、それは自分だけではなく視聴者の感覚が変わってきた、と言えるのかもしれない。

同じ俳優

 ドラマを見ていて、豪華キャストでもあるのだけど、演技力が高いとされる俳優が揃っていると、ここに演技力に自信がない俳優が出演したら、もしかしたら地獄のような気持ちになるのかもしれない、などと思う。(演技力って、なんだろうというのは、ただの視聴者では語る力がないけれど)。

 そんなドラマが最近、始まった。

 4人が主演とも言えるのだろうけど、その一人の柄本佑は、関東では同じ時刻に、ドラマの主役をしている。

 特にここ数年、同じ時期でも、同じ俳優があちこちのドラマに出ているような印象は強くなっているのだけど、ここまで重なるのは珍しいと思う。これは、やはりコロナ禍の影響で、出演者が感染して予定が遅れたりと、普段と違うことが起こっているのだとは思う。

 それでも、この答えのように、いつもと同じです、と冷静に答えている人もいるから、確かに、この傾向はずっと続いているのだろう。

 さらには、この傾向を印象だけに終わらせずに、こうして、きちんと調べて書いている人(kihoさん)もいるから、「同じ俳優ばかりがドラマに出ている」傾向は「異常」なのではなく、ずっと続いていて、このところ夜中に放送されているドラマも見るようになり、自分自身のドラマ視聴の機会が増えているだけなのかもしれない。

企業の姿勢

 こうして「人気俳優」や「有名俳優」だけに出演機会が集中する傾向に対して、いろいろなことが言われていたのは、少しだけ知っている。

 その中で、説得力を感じたのは、企業の姿勢に関することだった。

 不況が続く現在では、新しいことを試みて失敗するよりは安全策を取りたい。だから、スポンサーになるドラマでも、未知のことよりも、既知のこと。安心できることをして、失点を防ぎたい。だから、好感度の高い俳優は、集中的にあちこちのドラマに出ることになる。そして、何年も先のスケジュールまでうまっていく。

 だから、どのドラマも、そして今期のドラマも、来期のドラマも、多分、知っている俳優のドラマを見ることになるのだろうと思うと、それは、何年も続く、とても長いドラマを見ているような錯覚を起こすことさえあるはずだ。

 時々、違うドラマでも、同じロケ地を使い、同じ俳優を起用して、同じ日に、違う役を演じてもらって撮影しているのではないか、と思えることもあるくらいで、それは実際には無理だと思いつつも、そんな想像をしてしまうほど、ドラマの同質性が高まっているのは事実だとも思う。

無名であること

 こういう状況が続く中で、勝手に想像するのが、無名の俳優のことだ。比べるのは失礼だとは思うのだけど、自分自身が、就職活動をしていた頃を思い出す。

 経験者募集。そんな条件を見て、最初は未経験なのに、その経験を積むために、こうして仕事を探しているのに、どうしたらいいんでしょうか?

 今は無名であるけれど、意欲も実力もある俳優も、似たような思いをしていないだろうか。

 どんなドラマに出ていたの?え、出ていない。じゃあ、出演は難しいなあ。

 完全に妄想に近いのだけど、そんなことを言われている可能性はないだろうか。

 ほとんどの出演枠を「有名俳優」で占められている中で、「無名」である人は、どうやってチャンスをつかめばいいのだろうか。

朝ドラの役割

 今は、すでに「有名」な俳優を起用することが多くなっているけれど、以前のNHKの「連続テレビ小説」(朝ドラ)は、それまでほぼ「無名」の若い女優を起用して、1年(もしくは半年)のドラマ出演という実践を経験させることで、能力と、知名度の両方をあげていく、という役割も果たしていた。

 そのことで、今の「有名俳優」だけではなく、次の時代の「有名俳優」を育てる役割を果たしていたし、新人を起用することで、その演技力については、視聴者にも、その成長を見守ってもらいたい、という暗黙のメッセージを発していたように思う。

 ただ、それは、まだテレビ業界に、日本の社会に、余裕があったからできたことかもしれないけれど、「有名俳優」という限られた人たちを消耗するように使うだけでは未来がなくなってしまうのも事実だから、そろそろ、次のことも考えた方がいいのでは、とただのテレビ視聴者でも思うことがある。

 例えば、2年後のドラマでは広くオーディションを開催します。プロアマ問わず、動画によって第1次オーディションを行います、ということを大々的に告知し、そのことで、本当に無名だけど、未来を作れる人を見つけることは、(似たことはずっと行われてきたとは思うのだけど)そろそろ始めてもいいのではないか、とも思う。

 その時の審査員は、コネや忖度とは無縁な実力のある制作側の人に行ってもらえれば、その過程自体も、すでに似たようなドキュメンタリーは多く存在するとしても、その時点から、注目を集められるのは間違いない。

 無責任な思いつきで申し訳ないし、似たことを考えている関係者は多いと思うけれど、「M-1」が今の「笑い」を支えている部分が多いのだから、俳優部門での「M-1」的なものを作ってもいいのではないだろうか。

同じ名前

 基本的に「他人の物語」がいつまで必要になるか分からないという指摘はすでにされているから、こうしてテレビドラマを見ていられる時代も、それほど残されていないかもしれない

この四半世紀で、二次元の平面(紙、スクリーン、モニター)上に置かれた「他人の物語」ではなく、三次元の空間での体験、つまり「自分の物語」を発信することに人々の関心は大きく移行しつつある。

 

 それに、ここまででもドラマは多く制作されてきたのだから、あらゆる設定も作られ、試されてきて、だから、全く新しいドラマを見ることは、事実上、不可能だし、本当に「全く新しい」場合には、それを理解することも面白いと思うことも出来ないかもしれない。

 だけど、あまりにも設定などが重なると、やっぱり少し気になってしまう。

 例えば、役名(苗字)が同じであること。

 このドラマで西島秀俊が演じている役名が「小鳥智志」だった。

 そして、少し遅れて始まったけれど、(先ほども触れた)ほぼ同じ時期のドラマにも「小鳥」がいる。

 柄本佑が演じているのが「小鳥琉夏」だった。

 珍しい苗字は、ドラマではよく耳にするけれど、でも、これだけ同時期で登場するのは、珍しいのではないだろうか(自分が知らないだけかしれないけれど)。

似た能力

他にも、同じような設定がある。例えば、主人公の特殊能力が似ていること。

 小勝負勉(坂口健太郎)という登場人物が、一回見ただけで書類なども完璧に覚えている異常な記憶力を持っている。

 羽根岡桂男(中村倫也)も、一回見たことは、忘れない。


 どちらの主人公も尋常でない記憶力を持っているが、特に羽根岡の長いセリフを聞いていると、演じている中村自身に、とんでもない記憶力があるのではないか、と思える時もある。

 もちろん、これまでにもこうした設定が重なることは、いくらでもあったと思うし、その時々で、採用される「設定」や「役名」には、ある種の流行りもあると思うけれど、こうしたことも気にさせるのが、今のドラマの作り方なのかもしれない。

 そんなことも含めて考えたりしているのだから、今の自分はテレビドラマを、とても楽しんでいるのが、改めて分かる。

 ありがたいことだと思う。



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おちまこと
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