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読書感想 『グレタ たったひとりのストライキ』 「地獄をくぐり抜けたあとの“声の力”」

 おそらく、多くの人と同じように、私も、「グレタ・トゥーンベリ」という存在を知ったのは、国連でのスピーチだった。

 それは、2018年9月23日の「気候行動サミット」での約4分のスピーチだったが、「ゆるさない」と怒るように話している姿と、その後に、インターネット上のあちこちで、“気候変動対策も大事だけど、経済も重要なんだ”と諭すようなニュアンスでの、主に中年以上の男性の言説が目立ったこと。

 そういう流れとセットで、一つの「事件」として記憶に残った。

怒りと危機感の印象

 そのスピーチをしたときに、グレタさんは16歳の女性だった。その怒りと、主張の強さの印象自体を、個人的には、不思議に感じていた。

 あれだけの伝わる力を持てるのは、かなりの蓄積がないと無理で、しかも、その危機感の持ち方も、長年の恐怖を持たないと不可能なはずのに。と、短い映像しか見ていないにしても、そんなふうに、感じさせられた。

 その疑問が、どこかに残っていたから、この書籍を読んだのだと思う。(以下は、基本的には敬称略です)。

『グレタ たったひとりのストライキ』  マレーナ&ベアタ・エルンマン グレタ&スヴァンテ・トゥーンベリ  

 実は、グレタが、「現在のグレタ」になるための「はじまり」は、両親によれば、とてもはっきりしているようだ。(この書籍の著者として、グレタ、グレタの両親、グレタの妹の4人が記されている)。

 すべては、グレタが授業で世界中の海に浮遊する大量のごみに関する映画を観たことから始まった。南太平洋では浮遊プラスチックごみが集まり、その面積がメキシコよりも大きい。“島”をつくっている。その映画のあいだじゅう、グレタは泣きつづけた。クラスメートたちも動揺していたが、それは教師が「今週末に結婚式を挙げるの、ニューヨーク郊外のコネチカットで」と言うまでだった。

 環境汚染。気候変動。その言葉は、随分と昔から言われていて、そしてあらゆる方法で、それらの危機は、伝えられてきた。

 ただ、この文章にあるように、そこに接している時は、そのメッセージを受け止められたとしても、その時間が終わると、完全に忘れないとしても、今の「日常」に戻っていく人間が大部分で、振り返れば、ここに出てくる「クラスメート」だけではなく、私自身もそんな態度を繰り返してきたように思う。

 ただ、グレタは違っていた、という。

ランチはハンバーガーだったが、彼女は食べられなかった。
 グレタは泣きはじめた。家に帰りたかったが、学校食堂で動物の死体を食べ、ブランドの服や化粧品、携帯電話の話をするのが嫌だというのは、帰宅の理由にはならなかった。 

 環境汚染の映像が、おそらくは、グレタにとっては、遠くにあるものではなくて、自分のそばにある危機として感じられたからこその、反応のはずだった。

 それは、もしかしたら、ドキュメンタリーの製作者にとっては、理想的な視聴者だったのかもしれないし、その後のグレタのことを少しでも知ると、この表現↓が大げさでなかったのだろう、と思わせる。

 なぜなら彼女には、私たちほかの人間が見ようとしないものが見えるからだ。
 彼女の眼には、私たちが排出した二酸化炭素が見える。工場の煙突からたちのぼる温室効果ガスが風に吹かれ、大気中に大量の灰塵をまき散らしているのが見える。

地獄のような年月

 そして、その映画を見てから、グレタの体調は下がる一方だった。

 5年生になったばかりのグレタの調子はすぐれなかった。毎晩、寝つくまで泣いた。登校しながら泣いた。授業中でも休み時間でも泣きとおし、教師たちはほぼ毎日、電話をかけてきた。そのたびにスヴェンテは学校に駆けつけ、娘を連れて帰った。 

 スヴェンテは、グレタの父親で、この文章は、母親のマレーナ・エルンマンが書いているようだ。

 私たちはやれることはすべてやったが、無駄だった。グレタは暗闇の中に隠れ、あらゆる意欲を失った。ピアノを弾かなくなった。笑わなくなった。話さなくなった。
 そして、食べなくなった。


 この書籍を読んでいて意外なことであって、自分の無知を改めて知ったのが、スウェーデンの児童精神医学の状況が、日本よりもはるかに優れているという意識があったのだけど、それは正確な認識ではないらしいことだった。

(もしかしたら、オープンダイアローグを始めた病院の存在するフィンランドのイメージで、北欧全てを同じように考えていて、それは雑な把握だったようだ)。

 グレタのこうした状況に対して、有効な介入をできる専門家がいないまま、時間がたっていった。

 面談の相談者は6人になることもあった。誰もが手助けしたい、手助けできると言ってくれたが、具体的支援策はまったくなかった。私たちは暗闇の中を手探りで歩いた。
 2か月もまともな食事をしなかったグレタの体重は、10キロほど減ってしまった。もともと小柄だったので大打撃だ。体温も低く、脈拍と血圧は餓死の兆候を示していた。もはや階段もあがれなくなっていた。うつ病の罹患テストでは、高い数値を弾き出した。

 そんな年月が、続いた。

 おそらくは、同じようなショックであっても、やはり若いほど、正面から受け止め、しかも傷つきやすいと思われるし、さらには、10代、しかも前半の、その年月は、永遠に思えるほどの時間だっただろうし、母親のマレーナは「地獄のような4、5年を過ごした」と表現していて、それは、本当にそうだろうと思った。

 おそらく、もっとも深い地獄にいたのは、グレタ本人だったはずだ。

学校ストライキ

 その時間のあと、国会の前に座り込んで、気候危機を訴える「学校ストライキ」を、グレタが最初は、ひとりで始めたのが、2018年の7月のことだった。

 3週間の「ストライキ」の期間中で、元々は、人と接するのが苦手な性質でもあるグレタが(アスペルガー症候群、高機能自閉症、強迫性障がいの診断名がついている)、協力者だけでなく、その行動の知名度を企業の利益に使おうとする大人に対しても、堂々と適切に接したこともあり、その行動は大きな反響を呼んだ。

 ストライキ最終日には、子どもと大人合わせて約1000人がグレタとともに座りこんだ。
 彼女のおかげで、気候問題が少しは、あるいはかなり大々的に注目されるようになった。政治家やマスメディアが数年かけてしてきたことより、彼女ひとりのほうがずっと気候問題に貢献した、という人もいた。
 だが、グレタは意を唱える。「何も変わってない」と彼女は言う。「排出量は増えつづけているし、目に見える変化は何も起こっていない」

国連でのスピーチ 

 そして、グレタは注目されて、公の場所でスピーチを重ねるようになる。
 この書籍に収録されているスピーチだけでも、10カ所を超える。

 2018年には、2カ所。
 2019年には9カ所。それも1月から5月まで。

 そうやって、話す機会も重ねて、あのスピーチにつながっている。だから、その蓄積も、危機感も、説得力を持つのも当然だった。あれは「地獄をくぐり抜けてきた後の声」だったのだと思う。


2019年1月23日「世界経済フォーラム」での、グレタのスピーチの結びの言葉。

 あなたたちには、パニックになってもらいたいのです。
 私が毎日感じている恐怖を味わってもらいたい。
 それから、行動を起こしてもらいたい。
 危機のさなかにいるような行動をとってください。
 あなたの家が燃えているときのような行動をとってください。
 実際、そうなのですから。


 私も、本当は、もっと行動を起こすべきだという後めたさを抱えながら、まずは、この本を紹介しようと思いました。

 気候変動だけでなく、「グレタ・トゥーンベリ」のスピーチに少しでも興味を持った人。もしくは、これからの未来を考えたい人に、おすすめできる書籍だと思います。



(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。




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おちまこと
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