とても個人的な音楽史③「シド・ヴィシャス」の「マイウェイ」。
誰にでも一度はあると勝手ながら考えているのですが、かなり追い詰められて、どうしようもなくて、まったく先も考えられなくて、という時期があるのではないか、と思っています。そんな時に、支えてくれる音楽が本当にあることにも、改めて気がついたりします。
わたしにとって、それは2000年という時代の変わり目の頃でした。
家族が病気になり、自分自身も心臓の発作を起こし、「これ以上無理すると、死にますよ」と、それまでいわれたことのないような言葉を言われ、何もできず、仕事もやめることになり、家族が入院した病院に、ただ通っていた時期がありました。
時々、めまいを起こしながら、夜はよく眠れませんでした。ふとんの中で、自分が心臓発作を起こした時の、周囲から追い込まれたような、いろいろな出来事を思い出すと、背骨の中から怒りが湧き出してくるようで、さらに眠れなくなる時がありました。
病院に通っている電車内では、ボーッとしていましたが、なるべく進行方向へ向くように座ろうとしていました。何も考えたくないし、何も考えられないし、何も感じないし、あまり周りのことも目に入りませんでした。
そんな頃、夜中のテレビで、何年か前に、1度だけ見た映像と声が、自分の頭の中で、流れ始めました。
「マイウェイ」を歌うセックス・ピストルズのシド・ヴィシャス。
それまで、ほとんど関心もありませんでしたから、どうして、その映像が流れるのか、分かりませんでした。
ドリアン助川氏という詩人の方が、毎回、ミュージシャンの映像を流し、それについて語る、「金髪先生」という番組だったと思います。何度か見たことがあり、そして、シド・ヴィシャスが「マイウェイ」を歌っているMVも、そこで見ました。最初は、酔っ払いが、がなっているような、ふざけた歌い方から、オーケストラとバンドの演奏が急に変わって、パンクの「マイウェイ」になっていく、という曲でした。その変わり方も含めて、司会のドリアン氏が、「めちゃくちゃ、かっこいいよね」と繰り返していました。確かに、若くてやせているシド・ヴィシャスには、他にはない、凄みと奇妙な自由みたいなものを感じたのですが、そこまでカッコイイとは思わず、そのまま、きれいに忘れていました。
リアルタイムで、パンクに触れることもできた世代でしたが、ほとんど関心もありませんでした。今から振り返ると、本当に困ったり、深刻に悩んだりしたことがなく、たぶん、人からみたら、ぬるま湯のような10代だったのだと思います。セックス・ピストルズの名前も知っていましたが、その音楽に触れたのは、船に乗って、何かを演奏している、という映像を見た、わずかな記憶だけでした。
それは、あとから考えると「ゴッド・セイブ・ザ・クィーン」を演奏していたセックス・ピストルズだったのですが、自分に切実さがあまりなかったので、聞いているけど、耳に入ってこなかったのだと思います。当時の、こうした態度は、本当のファンには失礼だとも思うのですが、ただ、私くらいの感覚が多数派だったような気もしています。
シド・ヴィシャスの「マイウェイ」を歌う声が、電車に乗るたびに、何度も、何度も頭の中で流れるようになりました。気持ちよさとも元気さとも無縁の音楽でしたが、その声が流れるたびに、何もなくなっていて、何も考えられなくて、何も感じられなくて、周囲の光景が晩年のようにしか見えなかった自分が、わずかに変わるようでした。その声が流れる時は、もっと落ちていくような感情が、底の底の方で、ほんの少しだけ、その地点で、ギリギリですが、キープされている感じがしました。
セックス・ピストルズは、実質、1枚のアルバムしか残していません。黄色とピンクのジャケットが印象的な「勝手にしやがれ」。ただ、そこには「マイウェイ」は収録されていなくて、今もセックス・ピストルズの名義を使用すること自体が論議になっているという「ザ・グレイト・ロックン・ロール・スウィンドル」に入っていました。そうした、いろいろな事情を知らないままでしたが、とにかく、その2枚のアルバムを購入しました。
それまで、頭の中でだけ流れていたシド・ヴィシャスの声がヘッドフォンから流れてきました。1回しか聞いたことがなかったのに、記憶力がいいほうでもないのに、自分の中で再生されていた曲が、ほぼ完全だったことに、密かにびっくりしました。
ヘッドフォンでシド・ヴィシャスの「マイウェイ」を聞くようになりました。リピートで10回くらいは、夜中の1時過ぎに聞いていました。少しずつボリュームをあげました。ものすごく大きい音を聞くには体力がいると、初めて分かり、そういう時に、自分が中年になっていることに改めて気がついたりしました。それは、パンクを聞くには、情けない視聴方法でもあったと思いますが、それでも1時間くらい聞き続けていました。他の曲はほとんど聞かなくなっていました。間違えて、クラシックの交響曲が流れてしまった時は、一瞬ですが、本当に吐き気がしました。
本当に辛い時期が、何年かたって、いつのまにか過ぎていた頃、シド・ヴィシャスの声は、頭の中でもだんだん流れなくなりました。気がついたら、CDでも、あまり聴かなくなっていました。
本当のファンから見たら、とてもぬるい関わり方で、申し訳ないような聴き方だと思います。それでも、一番辛い時に、すでに亡くなっていたシド・ヴィシャスの歌声が、気持ちの底の方で、本当に下まで落ちないように、確かに支えてくれていました。そして、その歌声を教えてくれたドリアン助川氏の、たぶん情熱のおかげで、私自身は気がついていなかったのですが、自分の心の中に確かに伝えてもらっていたのだと思いますし、それが、本当に辛い時に発動したことも、やはり、とてもありがたいことだと思っています。
その後、たまにシド・ヴィシャスの声が、自分の中に流れる時があります。それは、本人が気がつかない場合もありますが、自分にとっては、今が、とても負荷のかかる時だということを、その声が教えてくれて、そのおかげで、気持ちの準備もできています。
忘れたころに、そんなことがあるので、安直な表現ですが、本当に、鳴り止まないんだ、と思います。
(参考資料)
ほぼ2人で作られたセックス・ピストルズの『The Great Rock’n’Roll Swindle』https://www.udiscovermusic.jp/stories/rocknroll-swindle-sex-pistols
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読書感想 『公の時代』 「ヤバ」くて、「エクストリーム」な対談
マラドーナの、異質な行動の意味を、考える。 1994年と、2010年のW杯。