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「雑草の庭」が消滅した話。

 おそらくは1年中、何かしらの手間をかけて、近くの道路の並木の下のスペースに「雑草の庭」を、妻が整えているのは知っていた。

 雑草の名前を調べて、名札を立てたりしている。どこかへ出かけて帰ってくる時には、そのささやかな「庭」を見ると、ちょっとホッとする。

 道を歩く人で、そのことを話題にする人も、時々いる。

 それが、急になくなっていた。

「雑草の庭」の消滅

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 なんだか、ショックで、ちょっと悲しかった。

 妻が言うには、町内の緑化運動か何かで、引き抜かれてしまったのではないか、といったことらしい。

 他のスペースでは、例えば、花屋で売っているような植物をぎっしりと植えているようなところは、こんなことはないのに、雑草とはいえ、名札が立っていて、明らかに人の手が入っているのに、それを踏みにじるように、全部がなくなっていることは、とても乱暴なことだと思った。

 もちろん、公道だから、管理権は、国か東京都にあるはずだから、ここで個人が何かしらをするのは厳密にいえば、違法なのかもしれない。それはわかっているのだけど、でも、場所によっては大目に見られる一方で、ここは全部抜かれる、というような違いがあると、やっぱりもやもやはする。

雑草の力

 ただ、妻は、もっと冷静だった。

『元々、個人がやってはいけなくて、だけど、もっとガッツリと植えたりしたら、それは抜かれないかもしれないけど。……「雑草の庭」みたいな看板を、小さくても立てれば違うかもしれないけど、そこまではしたくないし…。それに、今の雑草の庭は、ピークを過ぎていたから、抜かれても仕方がないかもしれない…』。

 自分が思っていたこと(看板を立てること)も先に言われ、そして、それを下品な方法として、穏やかに採択しない妻の言葉を聞いて、自分は少し恥ずかしかったけれど、同時に、妻の自然な選択に、清々しい気持ちになった。

「ちょうど、季節の変わり目だし、また雑草は生えてくるよ」。

 妻は、そんな言い方もしていた上に、並木の下ではなく、道行く人から見えるような位置で、自分の家の敷地内くらいに、ビワの植木を一つ減らすことで、また新しく「雑草の庭」を作ることで対応できるのではないか、といった話にまで進んでいた。道行く人の中で、見て、楽しんでくれた人のことも考えているようだった。

 私は、何もしないで、ただ見ていた観客なのに、勝手にがっかりしていたことに改めて気がついた。

ざわざわする気持ち

 それでも名札があるのに、全部、無慈悲に抜くなんて、という気持ちは、まだ少しあった。

 勝手なことだと分かっている。そこは本来、違法みたいなことも理解した上でも、その一方で路上に鉢植えが置いていあるのを大目に見る、ような情状酌量もあるのに、といったことも思っていた。

 気がついたら、更地のようになってしまっていて、そのビジュアルの急激な変化に、意外と、ショックを受けていたようだった。

 それで、ざわざわする気持ちも、ちょっと残っていたようだ。

 それでも、家の庭の中には、雑草だけではないけれど、かなりナチュラルに整えられている、限りなく「雑草の庭」のような場所もある。それに、どれだけ抜かれても、また生えてくる、ということを妻が信じているので、私も、しぶといのが、雑草だから、またこれからも、違う姿を見せてくれる、と思うようにしよう、と思った。



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おちまこと
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