「アーティスティックスイミング」に名称変更すると聞いて、つい思ってしまったこと。
シンクロナイズドスイミングが名称を変えたことを知ったのは、お恥ずかしい話ですが、少し前のことです。
アーティスティックスイミングという名前に変えると決定したことを、すでに2017年の7月に報道されていたのも改めて知りました。
五輪専門サイト「インサイド・ザ・ゲームズ」によると、「芸術的な水泳」という意味合いで、競技内容をイメージしやすい名前に変えることで、種目の人気を高めるのが狙いだという。国際水連のサム・ランサミー副会長は、同サイトに「芸術的という表現の方が適切に感じている」と説明。新名称の方が、一般やメディアへの理解度が深まるとも話したという。
アーティスティックスイミングの「新しい演技」
このことを聞いた時に、つい思ってしまったことがあります。
それは、国際的な競技場での、こんな光景です。(あくまでフィクションです)。
ある国の代表チーム。「アーティスティックスイミング」のメンバーが入場してくる。これまでの「シンクロ」と同じく、揃った笑顔、機械のように同期した動き。
全員が、プールに向かって、歩いていく。
チーム全てが、水の中に突入するかと思ったら、チームのうちの1人だけが、プールに入っていく。
とまどう観客。
そんな中、1人だけプールに入った選手は、ソロとして見事な演技を続けている。
プールに入らなかった、他の選手は、プールサイドでありながら、プールの中の選手と完璧に「シンクロ」した演技を続けて、そして、規定の時間がたった。
1人だけプールからあがってくる選手を他の選手が全員で迎え、素早くピラミッドを作り、その頂点に、その1人の選手が立ち、リラックスした満面の笑顔を、全員が見せる。
しばらく沈黙のスタンド。そのあとに起こるスタンディングオベーション。
「アーティスティックスイミングが、ここに更新された」と書き始めるフランスの新聞記者。
もちろん、完全に妄想に近いのですが、そんな「新しい演技」のことを思ってしまいました。
アーティスティックと名付けるのであれば、無理と分かりつつ、もしかしたら関係者には失礼かもしれませんが、こうした演技も見たいと、つい思ってしまいました。
賛否両論のアーティスティックな演技
または、こんな場面。(もちろん、フィクションです)。
ペアで登場した選手たちが、無表情のまま、プールサイドへ向かう。
時間になる。
しかし、音楽もならず、無音のまま、しかも、選手たちは、プールサイドで2人で立ったまま、動かない。
もう少したったら、動くのでは、と周囲は思い、観客席は、ざわざわとし始める。
途中で、何かに気がつき、記事を書き始めるアメリカの新聞記者。
「これは、ジョン・ケージへの間違ったオマージュだ…」。
そのまま時間は過ぎ、何もしないまま、選手たちは、また退場していった。
非難の声と、拍手をする観客に分かれている。
もし、こんな演技が頻発する大会だったら、優勝するチームは、どんな演技をするのか?
本当にアーティスティックでありながら、これまでの「シンクロ」の価値観の中にいるかもしれない、全ての審査員まで納得させ、驚かせ、評価させる演技を思いつくには、あまりにも、私自身の知識と想像力が足りませんでした。(すみません)。
なので、ここまでの演技しか考えつきませんでしたが、でも、せっかくアーティスティックという名称にするのであれば、こうした幅のある演技も見たいと、つい思ってしまいました。
ロシアの反対
アーティスティックスイミングへの名称変更の際の、前述の報道には、こんな部分もありました。
ただ、反対の声も上がっている。ロシア代表のポクロフスカヤ・ヘッドコーチの「われわれは従来の名称に満足している。決定には反対だ」というコメントも紹介した。
ロシアは、すでに強豪であって、ということは、これまでの「シンクロナイズドスイミング」に適応しているのは間違いありません。
「シンクロナイズド」=「同期」といった正確性が重視される名称から、「アーティスティック」=「芸術的」という名前になった場合への、変化の可能性をロシアは恐れているかもしれません。
今回、個人的に、つい思ってしまったような極端なことは、もちろん考えにくいにしても、アーティスティックという名称にしたことで、アート関係者からの注目により、万が一にでも、そういう要素が入り込み過ぎたら、やりにくくなるかもしれない。だから、そういった可能性が、本当にわずかでもあれば、つぶしておきたい。
そんな意図もあってのロシアの反対だったのではないか、と邪推してしまいました。
名称変更の不思議さ
もともと、「ソロ」という種目がある以上、「シンクロナイズド」(同期)という名称に矛盾が生じる部分はあったと思うのですが、それにしても、大胆な名称の変更は不思議だとも思います。
フィギュアスケートでも、あれだけアーティスティックな演技があったり、審査員が芸術的な部分を評価したりしても、フィギュアという、図形を正確に描くことからつけられた、と言われている名称を手放していません。
競技である以上、正確な技術を、まず優先させるべき、という思想を変えない、という意志も働いているように思えるのですが、それは、素人の考え過ぎなのでしょうか。
シンクロナイズドという名称は、フィギュアという名前と響き合っているようにも思えますから、これで、もしも、「アーティスティックスイミング」が、劇的に幅を広げつつも、もっと技術もあげる、といった奇跡的な進化を見せたとしたら、フィギュアスケートも、アーティスティックスケート、という名称に変える可能性も出てくるかもしれません。そこまで妄想が走るのは、さすがに進み過ぎだと思いますので、もし、考えが発展することがあったら、別の機会に書くかもしれません。(書かなかったら、すみません)。
ところで、これまでは「シンクロナイズド スイミング」は、少なくとも日本国内では「シンクロ」と呼ばれていたと思いますが、「アーティスティックスイミング」は、「アート」と言われるようになるのでしょうか。
(参考資料)
日本水泳連盟 (AS) https://www.swim.or.jp/compe_sync/
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