「2007年のワールドカップ」④
初めての方は、この記事を見つけていただき、ありがとうございます。
基本的には、アメリカンフットボールの試合の観戦記です。そして、第4回目なので、初めての方は、もし、よろしかったら、「2007年のワールドカップ」①(リンクあり)から、読んでいただければ、ありがたいです。
「2007年のワールドカップ」③(リンクあり)までを読んでいただいた方は、ありがとうございます。この記事の目次で「オーバータイム」の項目から読んで頂ければ、よりスムーズに話がつながると思います。
2007年のワールドカップ
アメリカンフットボールでも、ワールドカップが行われていて、第1回は、1999年にイタリアで行われ、日本代表が優勝している。そのあと2003年のドイツ大会でも、日本代表が連覇をしたが、アメリカ代表が参加していないこともあり、大きく報じられることもなかった。
そして、第3回のワールドカップは、2007年、日本の神奈川県川崎市で行われた。
個人的には、取材をして書く仕事をしていたのだけど、1999年からは、介護のため仕事をやめ、当然、アメリカンフットボールの取材にも関わらなくなっていた。
それでも、2007年の大会には、入場料を払って観戦をした。その戦いは、大学生主体とはいえ、初めてアメリカ代表が参加したこともあり、緊張感の高い時間が続いていた。
もちろん、アメリカンフットボールの専門誌では、大きく取り上げたものの、全くの個人としても、もっと広く伝えたいという気持ちもあって、このワールドカップのことを書いて、そして、公募された賞にも応募したものの、落選をした。
それから10年以上の時間が経って、今、ふと振り返っても、あの時のワールドカップのことは、昔の話であっても、まだ伝わりきっていないし、そのときに見た観客の一人として、能力の限界は感じながらも、まだ、伝える意味はあるのではないか、と思った。
こうしてnoteを始めるようになり、少しでも多くの方の目に留まる機会が作れるのではないか、と思い、人によって、古いし、関心がない方には申し訳ないのだけど、「スーパーボウル」という世界最高峰のアメリカンフットボールのゲームが行われた時期に、伝え始めようと思いました。
2月に入ってから、毎週火曜日に、何回かに分けて、「2007年 アメリカンフットボールのワールドカップ」のことをお伝えしてきましたが、今回で最後です。
もし、少しでも興味を持っていただければ、読んでもらえたら、とてもうれしいです。
今回は、アメリカンフットボール、2007年ワールドカップの決勝。アメリカ代表と日本代表が戦い、試合が終了した時点で同点となった。そして、勝敗を決するために延長戦=オーバータイムが始まろうとしているところからです。
(「2007年のワールドカップ」④は、約5000字です)。
オーバータイム
選手達は、スタッフは、それぞれのサイドラインで、次の対策に取り組んでいる。
それでも、時間の流れが急にゆっくりになっていた。
私が座っている席から、何列か前の男性は、ビールを飲んでいた。手元にある空き缶を数えたら、いま手にしているので500ミリリットルで5本目だった。
午後5時30分。
アメリカの選手達の何人かは両手を組むように合わせ、さらに暗くなった空に向かって、ひざまづき祈りをささげている。
試合が始まってから、もう2時間以上はたった。そして、あと少しで本当にすべてが決まる。
オーバータイム。
ゴールラインまで25ヤードの地点から、お互いにオフェンスを行い、それで勝負を決める。他のスポーツのたとえを出すのはおかしいのだが、サッカーのPK戦と似た感じだった。
コイントス。日本が後攻になる。
有利な順番だった。相手の状況によって、オフェンスの組み立て方を決められるせいだ。もしアメリカのオフェンスを日本のディフェンスが0点に押さえたら、無理せずにフィールドゴールを決めれば、それで勝利が決まる。
アメリカのオフェンスの11人が散らばる。
日本のディフェンスの11人もポジションにつく。
スイッチが入ったように、スタンドの歓声も急激に大きくなる。
プレーが始まる。
ボールが渡ったクォーターバックを目で追っていると、はじかれるように早いスピードで日本の選手が来た。クォーターバックにタックルして、倒した。QBサックと言われるプレー。
アメリカは、次のオフェンスを、クォーターバックが倒れた地点から始めなくてはいけない。最初のところから10ヤード下がった場所だった。
「うわーっ」という声に聞こえるような歓声が上がる。
本当に勝てるかもしれない。視界まで明るくなった気がした。
次のオフェンス。
アメリカのパスは失敗した。
「にっぽん」。
「にっぽん」。
「にっぽん」。
ざわざわと、スタンドにそんな声がわきおこっている。
3回目の攻撃。サードダウン。
アメリカのクォーターバックは、今度はパスを通し、9ヤードだけ前進した。
ファーストダウンには届かず、4回目の攻撃になる。もう、フィールドゴールを狙うしかなかった。ポールまで、43ヤードある。難しい距離だった。
騒音のような歓声が上がり、プレーが始まり、日本の選手たちが激しいラッシュをした。
ボールを蹴るプレーヤーの視界には、目の前に殺到して、手を伸ばす相手のディフェンスが見えているかもしれなかった。そのプレッシャーの中でアメリカのキッカーは、きっちりボールを蹴って、ポールの間を通してきた。
これで、3点が入った。
日本代表のオフェンス
選手達がほとんど入れ替わる。
次は日本のオフェンス。クォーターバックは13番。富澤優一。
11人の選手達が、自分のポジションにつく。
ゴールラインまで25ヤード。得点できなかったら、それで終わりだ。
プレーが始まる。
富澤は、いつものように、という動作でパスを投げた。そのボールはアメリカの選手の手にあたり、カットされかかったが、まだ空中にあるうちにキャッチしたのは日本の選手だった。
結果として日本代表は、12ヤード進んだ。10ヤード以上前進したので、また攻撃を続けられる権利でもある、ファーストダウンを更新した。また4回、オフェンスが出来る。
ツキもある。勝てるかもしれない。観客としての自分の中に、また、そういう気持ちが盛り上がりそうになり、あんまりそう思うと、ツキが逃げるかもしれない、と気持ちを意識的に抑えて、フィールドを見続けた。
ゴールラインまで、あと13ヤード。
そこから3回オフェンスしたが、合計で2ヤードしか進めなかった。
日本代表も、フィールドゴールを選択した。
選手達は大幅に入れ替わる。時計が止まる。
11人がそれぞれのポジションにつく。
そこで日本がタイムアウトをとった。
「選手達が配置につくのが遅れたので落ち着かせるため」という目的だったと後で知った。どちらの選手達もいったんサイドラインに戻り、コーチの指示を受けていた。
その間、ボールを蹴る役割のキッカーは、フィールドの中、一人で立ったまま、静かにたたずんでいた。せっかく集中してつかんでいる成功へのイメージが崩れないように、ものすごく微妙なところにとどまっているようだった。静かな、孤独な後ろ姿に見えた。
他の選手達が戻ってくる。
ホイッスルが吹かれる。
ボールがスナップされ、22人が一斉に動く。
アメリカのラッシュは、当然だけど、本気だった。ディフェンスのプレーヤー達が、キッカーに襲いかかっているようだ。遠くから見ている観客でさえも、少し恐い。さっきパスをカットされたイメージが一瞬重なる。
そうした激しい激突が起こっているフィールドで、キッカーはボールを蹴り、それはポールの間を通っていった。
3対3の同点になった。
まだ続く。
勝負が決まるまで、同じことが繰り返される。
微妙な混乱
その後、フィールドに軽い混乱が生じていた。選手達が右往左往していた。でも、よく見ると、動いているのは日本の選手ばかりで、アメリカの選手達は固まりとなって動いていない。審判が日本側に来て何か話している。
オーバータイムのプレーは、1回ごとにオフェンスの順番が代わる。
1回目の先攻はアメリカだったから、次の2回目は日本が先攻になるが、フィールドに今いる日本の選手達はディフェンスだった。日本代表が間違えたことになる。だけど、観客でも、その混乱の理由が最初は分からなかった。少なくとも、私にとってはオーバータイムが2回目のプレーに入るのを見るのは初めてだった。
アメリカ代表は、静かなまま、フィールドにいた。
そして、ディフェンス陣に代わって、日本はオフェンスが出てきて、プレーが始まろうとしていた。
時間は、また流れ始めた。スタンドの歓声もわき起こってきた。
オフェンスが始まる。
ランニングバック・古谷拓也が走り、6ヤード進んだ。
その次のオフェンスは、富澤がパスを投げて通らなかった。
3回目は、古谷がまた走って、2ヤード進んだ。
フィールドゴール
日本代表は、3回のオフェンスで合計10ヤードに届かなかった。フィールドゴールを選択するしかなくなった。今度は34ヤードある。さっきよりも、10ヤードくらい遠い。
時計は止まる。選手達は入れ替わる。
キッカーは選手達が密集している場所からは少し離れて、片方の足を前に出し、少し前傾姿勢で、プレー開始を待っている。スタンドからは、すごく小さい姿にしか見えないのに、その緊張感が伝わってくるような気がしていた。
プレーが始まる。22人が一斉に動く。無数の激突。キッカーはボールを蹴った。
アメリカのプレーヤー達の、いくつもの腕が、飛んでいくボールをさわろうと伸ばされる。ボールはその上を通って、さらに飛んでいく。もっと飛んで、ゴールラインも超えた。
でも、H字型ポールの間を通らなかった。少し間を置いてから、審判が2人、腕を横に振って、失敗を示した。
何ともいえない気持ちになる。
次のアメリカのオフェンスがあるから、選手達は一斉に入れ替わり、すでに次のプレーに動いているのだが、私はキッカーを目で追っていた。一人で歩いて、サイドラインに戻り、首脳陣に肩をたたかれている。
でも、その足取りはフィールドにへばりつくように重く見える。いろいろねぎらいの言葉もかけられているようだが、さらに歩き、選手達の多くいる場所からは少し離れた場所に一人で立ち、フィールドを見ている。
止まらないオフェンス
アメリカのオフェンスが始まる。
ランプレーで2ヤード進んだ。
日本代表は、とにかく止めて、止めて、0点に終わらせれば次も続く。ただ、そうした場合でも負けないだけで、次のオフェンスで点をとり、さらには相手のオフェンスをまた押さえなければ勝てない。そんな想像を走らせているだけで少し気が遠くなるような気もしてくるが、とにかく、今、止めなくてはいけなかった。そんな覚悟みたいなものは、日本のディフェンスのタックルの激しさに、あらわれているようにも見えた。
アメリカは、3回目の攻撃になっていた。サードダウン。ファーストダウン更新までは、あと5ヤードになっていた。3回の攻撃で、合計10ヤード以上進めば、また攻撃を続けられる。
ここで止めたい。少なくとも、ここで攻撃をいったん終わらせて、やや長い距離の残る、この地点からのフィールドゴールにさせたい。
歓声が、スタンドよりも下の方からわき上がってきているように響いている。
アメリカ代表は、走った。
止めた、と思ったら、いくら力を入れても指の間からこぼれる柔らかいもののように、まだ進まれた。私は左のふくらはぎに妙に力が入っていた。
きっちりと5ヤード進んだ。ファーストダウン。アメリカ代表の攻撃は、まだ続く。
なんだか、少しフィールドの光景が薄くなったように感じた。
アメリカ代表のフィールドゴール
それから3回のオフェンスで、アメリカは、さらに、しっかりと前進してきた。
ゴールラインまで残り6ヤードまで来ていた。そしてフィールドゴールを選択した。
選手達は入れ替わる。
日本のサイドラインの選手達も全員が見守っている。日本代表のキッカーも、一人で離れて、見ている。
膨大な歓声がフィールドに注がれている。
台風が近づいてきているせいか、雨と風が、激しい。
ボールがスナップされる。22人が一斉に動く。キッカーの前に楕円のボールがセットされる。日本の選手達は、ボールを止めようと、手を伸ばす。走り込んできたアメリカ代表のキッカーがボールを蹴る。ボールは、日本の選手達の伸ばした手の上を飛んで、ゴールラインを超えて、さらには、しっかりとH型ポールの間を抜けていった。
フィールドゴールは成功した。
アメリカ代表の勝利が決まり、初出場で、「第3回ワールドカップ」の優勝を勝ち取った。
フィールドに、本当に崩れるようにヒザから落ちる日本の選手達。サイドラインで深いおじぎをするように、体を前へ大きく曲げている日本のキッカー。
試合途中には、ロボットにも見えたアメリカの選手達が、その瞬間、空へ向かうように爆発的に喜んでいるのが、遠くからでも分かった。
何人かのアメリカの選手がすごいスピードで走って、フィールドに頭からすべりこんだ。水しぶきがあがって、思ったよりも雨がたまっているのが改めて分かった。とてつもない解放感が、遠くのスタンドまで伝わってきた。
アメリカンフットボール。
自分の国の名前がついたスポーツ。
彼らも、きっと苦しかったんだ、とその姿を見て、初めて少し分かったような気さえした。
時間の流れは、急にゆっくりになっていった。
表彰式
表彰式の準備が、進められている。
選手達は、フィールドの中央付近に集まっている。
勝てば、これほど嬉しい時間はないかもしれない。でも、負けたら、これほど辛い時間はないのかもしれない。
陸上競技のトラックのところに報道陣も出てきた。知っている顔もあった。もう本当に立派なベテランになっていた。それまで選手しかいなかったフィールドに、いろいろな関係者が入ってきた。
そんな中、日本代表の選手達だけ、今だに少し固い、異質な空気を発していた。
午後6時15分。表彰式が始まる。
太陽が出てきた。明らかに晴れてきた。台風が通り過ぎたのだろうか。
私は、ただ試合を見ていただけなのに妙な気持ちになった。ここにいる、この日本代表の選手達にも恥ずかしくないように、自分も頑張らなければいけない、となぜか思っていた。
7月のせいか、この時間の太陽でも光はまだ強く、出来る影もくっきりと黒い。
表彰式が終わって、フィールドの中で選手とスタッフ全員で写真を撮られている。フラッシュが光って、その人達の固まりが何度か輝く。
それから、日本代表選手45人、スタッフ、おそらくすべて集まったサイドラインでの大きなハドルになった。そこで、言葉が交わされていたのだろう。
少し時間がたってから、そこから阿部敏明監督が出てきて、報道陣に囲まれ、その後に脇坂康生主将も出てきて取材されていた。脇坂は、ずっと泣いているように見えた。そして、それぞれの選手達は記者に囲まれたり、スタンドに向かって歩いていったり、ゆっくりと散っていった。
試合の後の光景
私はスタンドの1階に降りて、少し観客の減った立ち見席に移動し、さらにフィールドの近くにいった。試合中の強い雨と風が嘘のように天気が回復している。まだ太陽は強く、スタンドにも日差しがあたっている。
選手の名前を手描きで書いてある横断幕を、丁寧に小さく折り畳んでいる観客がいる。首の太さや体格から見て、現役の選手に見えた。
日本代表の選手達は、それぞれスタンドに近づいて、友人や家族や知人と思われる人達と言葉をかわしていた。もう笑顔もあった。
ここにしかないような、不思議な穏やかさを持つ空気が流れていた。
もう、完全に誰もいなくなったサイドラインには、誰も座っていないベンチが並び、いくつもパイプいすもあり、その下に陸上競技用のトラックを保護するためだろう、青いシートが広く敷いてある。その上には雨水がたまり、光をあび、きれいな銀色に光っている。
葬式に似ている。
突然、そんなことを思った。
もっとあれも出来たのに、これも出来たはずなのに、と何度も思っても、でも、もうすべてが終わって何も出来ない。だけど、もう完結してしまったのだから、いろいろと心配もしなくてもいい。もう手の届かないことになってしまった、という妙な穏やかさがあったように思えた。
8年の介護ののち、母親を亡くした、自分の2ヶ月前の経験と強引に重ねているだけかもしれないが、でも、すごく似ている空気を感じた。そして、ここには、どこか純粋な気配まで流れていた。
止まっていない時間
後日、雑誌(「タッチダウン」No.458)を読んだ。
表紙は、決勝戦が終わった後の日本代表の姿だった。
試合の翌日、最後のミーティングで、阿部監督が、全員の前で、キッカーにきちんとねぎらう言葉をかけたりしたことを知った。
そして、試合直後の阿部監督のコメントの内容も載っていた。
…それでも、彼らの伝統を乗り越えなければいけない。アメリカのフットボールに憧れているレベルを脱することを求めていかなくてはいけない…。
それは、膨大な歴史を持つアメリカとは違う方法を選択し、そして上回るという方向のはずだ。独特な道を歩むという、確実に、これまでよりも厳しい道になるのは間違いなかった。だけど、少なくとも、それを目指そうとする人が存在するのは凄いと思ったし、有り難いような、未来が見えたような、不思議に明るい気持ちになった。
まだ時間は止まっていない。
そして、もしかしたら、新しい流れが、もう始まっているのかもしれなかった。
(※「2007年のワールドカップ」は、今回で終了です。読んでいただき、ありがとうございました)。
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