「迷子の不安」は、特別かもしれない。
知っている道を歩いていたはずなのに、いつの間にか、知らない場所にいることに、急に気づく。
今、どこにいるのか、わからない。
そんな不安にたちまち覆われ、少しの間、たちすくむ。
それは、おそらくは子どもの頃に多く経験している気がする。
大人になってからは、そんなに大きな不安で、目の前が少し暗くなるようなことはなくなるのは、こういうときに、どうすればいいのか。さらには地図を見つければいいし、もしくは街だったら番地表記もある。スマホを持っている人だったら、地図も見ることができる。
そんな情報が豊富にあるから、同じように、今、どこにいるのかわからなくなっても、子どもの時のような、怖さにも通じるような、本当に帰れなくなるのではないか、といった黒い不安につぶされることはなくなる。
だから、あの「迷子の不安」は、ある時期だけ持つことができる特別な感覚かもしれない。
そう書きながら、あの感じまでは、子どもの無力さがなくなっている今では、完全に思い出すことは、もうできないことに気がつく。
アメリカ大陸
大人になってから、それに近い不安になったのは、海外だった。
仕事で初めてアメリカ大陸に飛行機で降りて、また乗り継いで、違う飛行場で降り、そこから1人で目的の街に、レンタカーを借りてクルマで向かった時も、ずっと迷子の不安のようなものと一緒だった。普通に走って、一時間くらいかかるはずだった。
高速道路は気持ち良くて、ラジオからホイットニー・ヒューストンの曲が流れ、降りるべきインターチェンジを通りすぎそうになりながら、また一般の道路に降りたら、再び、迷子の不安が大きくなった。
途中、その街に進んでいるのか、わからなくなり、家の芝刈りをしている、自分にとっては初めて目にする「典型的なアメリカ人男性」に、カタコトの英語で、道順を聞いたら、ここをまっすぐ行けばいいんだ、グッドラック、みたいな明るい笑顔で言われて、そこから、迷子の不安は少し減った。ありがたかった。
そこから、道を進んで、初めての街の名前を見た時は、ホッとしたし、あとは、住所のメモをなくしてしまったモーテルを探す作業が残っていたが、それは、わりとすぐに見つかって、やっぱり、とても安心した。予定よりも時間はかかっていた。
初めての左ハンドルで、ウインカーを出そうとして、何度もワイパーを動かしながら、やっと着いた。
東ヨーロッパ
友人と初めて海外旅行へ行った時も、迷子になりそうになった。
東ヨーロッパの街を巡った。
時々、それぞれ自由行動をとる時間をとって、1人で、本当に全く知らない街を歩く。
向こうから近づいてくる現地の人は「チェンジマネー」ばかりを言ってくる。どうやら、旅行客が持っているドル紙幣などと、現地のお金を両替する、という交渉らしいが、当たり前だけど、相当に怪しいことだし、正当な金額で替えてくれる気もしないから、断るか、聞こえないふりをして、歩く。
そのうちに、街全体が石でできているような古い東ヨーロッパの街の中で、今、どこにいるかわからなくなった。
久しぶりの迷子の不安。それも、かなり本格的なものだった。
地図を見ながら、あちこち歩いて、宿泊しているホテルを探す。その国の言葉もわからないし、ここまでそんなに歩いていないので、そのうちに見つかるだろう、と思う気持ちもあったのに、思った以上に見つからない。
どう歩いたのか、覚えていないくらいになって、ウソのように、あっさりと、気がついたら、ホテルのそばを歩いていた。
誰に、何に、助けられたのだろう。
そんな気持ちにもなった。
帰り道
基本的には、ずっと「方向音痴」の自覚はあるので、出かける時は、地図をプリンアウトしていくし、どこかに出かけて、不安がある時は、人に尋ねて道順を確認することが多い。
その時、行きはタクシーに乗ったけれど、仕事も終わったし、帰りは歩いても20分くらいだし、天気も悪くないし、次の予定もないから、歩いて行こうと思って、その場所にある地図をザッと見て、駅までの道もそれほど難しくなさそうなので、歩き出した。
そこから、ウソのように道に迷った。
地図を見て、覚えた通りの道のはずなのに、見覚えのない川が流れていて、その周りには林といっていい木々が茂っていた。普段は、都内に住んでいて、それほど都心ではないにしても、こうした深い緑にはほぼ接していないので、その独特の静かさみたいなものが、歩いても、歩いても、緑に囲まれた場所から出られないので、だんだん怖くなってきた。
さっき見た川の光景に、また戻ってきたような気がする。
都内から2時間ほどの場所。だけど、自然の強さみたいなものを勝手に、怖く感じていた。
この頃、母親の症状が悪くなり、不安だけど、どこかでなんとかなるのかも、という思いと、だから、なんとなく帰りたくないような気持ちもあったかもしれず、だけど、そんなことを思いながらも、とにかく駅につきたいのに、人が住んでいるような場所にさえ、なかなかたどりつかない。
何も思い通りにいかず、不思議と、誰ともすれ違ったりもしなかった。
2時間以上は、歩き続けて、いろいろな道を試してみたけれど、ダメで、でも、こんなふうに迷って、軽い遭難みたいなこともあるのだろうか、と携帯もスマホも持っていない人間だから、余計に、そんな気持ちにもなる。
いつになったら帰れるのだろう。
気がついたら、道に出ていた。そして、駅までのルートもわかるような場所に来ていた。
どうやって、ここまで来たのか、やっぱり覚えていない。
「迷子の不安」とずっと一緒だった。だけど、やっと駅に着いたけれど、それほど気持ちが晴れなかったのは、これから、こんなことがあるようだから、やっぱりロクなことがないのではないか、という嫌な予感もふくらんでいたせいだ。
この仕事の後、介護が始まってしまった。いろいろあって、仕事をやめることになった。それから10年以上、無職で、介護だけを続ける時間が続くことになり、介護生活が終わるのは、19年後のことになった。
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