「応援の向こう側ー2007年の横浜スタジアム」(前半)
毎年、1月3日には「ライスボウル」というアメリカンフットボールの試合がある。その土地の名産品などを名前にするというルールがあって、それに則って、「米」を頭につけて「ライスボウル」。
それは、学生代表と社会人代表が戦って日本一を決めるゲームで、今年もその試合は、東京ドームで行われ、2021年1月3日は、学生代表の関西学院大学と、社会人代表のオービックシーガルズが戦うことになった。キックオフは午後3時になる。NHK BS1で中継もある。
この「ライスボウル」を毎年、現場で見ていた頃があった。
バブルの頃の、日本のアメリカンフットボール
1980年代には、バブル経済の勢いに乗って、日本でもアメリカンフットボール、特に社会人チーム同志が戦う試合では、景気の良さを背景にして東京ドームが満員になるようなこともあった。
関係者の間では、「ライバルは日本のプロ野球」と、シリアスなトーンで語る人たちもいたらしいが、その頃、取材という形で関わっていた私にとっても、それが全くの夢物語ではないような印象まであった。
それが、バブル崩壊後の1990年代初頭には、急速に観客動員は下がり、プレーヤーや関係者の熱意は変わらないとしても、周囲の環境は変わっていった。私自身も、1990年代の後半から介護に専念する生活になり、仕事もやめてしまったので、アメリカンフットボールを見る機会も極端に減った。
時々、介護の合間に、観客として観戦するくらいになっていた。
フィールドには、取材している時に、お世話になった関係者の姿を見て、自分の境遇との違いに、悲しくなることもあった。
そして2000年代も後半になっていた。
2007年11月3日 横浜スタジアム
1点差で、社会人アメリカンフットボールのリーグ優勝を決める試合は終わった。最後まで緊迫していて、その熱気はまだ横浜スタジアムに残っていたが、まだ次の試合もあるのに、人がどっと帰っていった。
11月に入っているから、午後5時を過ぎるとすでに暗くなってきて、気温も下がってきて、ホントに空気が冷えてきたと思える頃に、今日最後の試合のチームが入場する時間になる。
私が座っている席から見て、フィールドをはさんで向こう側のスタンドが応援席になるチームは、今日までリーグ2位に入って次のトーナメントに進む可能性もあったが、前の試合の結果でその可能性も消えていた。それでも、ヘルメットからユニフォームまで深い青で統一された数十名の選手達は、フィールドにあらわれ、拍手をあびていた。
そして、私が座っている、こちら側のチームは、去年、2部リーグで戦っていた。優勝できず1部昇格もなかったはずだが、1部に所属していた伝統ある企業チームが休部になったためチャンスがおとずれ、それをつかんで今年初めて1部リーグで戦ってきた。しかし、ここまで全敗。すでに最下位が決まっていた。
前の試合も最後の方しか見られなかったし、入場料2000円も払ったし、こちら側の赤のチームの試合を一度見たかったし、と思い、途中まで見たら帰ろうと思って、私はスタンドにいた。
2007年11月3日。日本社会人アメリカンフットボールの1部リーグ…「Xリーグ」のセントラルディビジョン(他に2つのディビジョンがあり、1部は全部で18チームある)…の最終戦は午後6時に始まった。
赤のチーム VS 青のチーム
深い青のユニフォームの選手達の方が、体が大きいのが遠くからでも分かる。このスポーツは、激しいぶつかりあいのため、ヘルメットとプロテクターをつけていて、選手たちは、より大きく感じる。
最初にオフェンスを始めた青のチームは、パスを通し、走り、どんどん前進する。アメリカンフットボールのオフェンスは、何しろ1ヤードでも前へ進むことが目的になる。対する赤のチームのディフェンスは粘りを見せて、相手のパスを途中でキャッチするインターセプトをして、一瞬で攻守を交代させた。
攻守がはっきりと分かれ、専門性の高いこのスポーツでは、オフェンスとディフェンスでは、ほぼ全員が入れ替わる。一つのチームにまるで2つのチームが同居している、とも言われている。どちらもフィールド上には11人。
ディフェンスの活躍で、フィールドに登場した赤のチームのオフェンスは、ほとんど前へ進めずに、あっさりと、また相手に攻撃権がうつり、またディフェンスの出番になる。
赤のチームのベンチには切迫感がなかった。味方が守っている間、オフェスの選手達はコーチを中心に次のプレーのためにミーティングしている事が多いのに、今のところそんな気配もない。ベンチゾーンには、いつ交代してもいいスポーツのため、何十人もいるから、スポーツの中では、最大の人数が参加する競技かもしれない。
アメリカンフットボールのオフェンスは、とにかく前へ進むことを目指す。4回の攻撃で10ヤード進めれば、また攻撃を続けられる。だから、ディフェンスは、相手のオフェンスが進むのを止めることに力を尽くす。フィールドのすみにあるラインを超えたところにボールを持ち込めば、タッチダウンとして6点が入る事になる。
先取点
赤のチームのディフェンスは踏ん張り、青のチームに得点を許さない。
ただ、赤のチームのオフェンスは前に進めないため、すぐにディフェンスが出なくてはいけない。だから、ディフェンスのプレー時間が長くなる上に、ベンチで休む時間も短くなる。これだけ休みなく守っていたら、そのうちにやられるのでは、と思う頃、青のチームにタッチダウンされた。
試合が始まって7分がたっていた。タッチダウンのあと、オフェンスにはトライフォーポイントと言われる得点機会も与えられ、キックをして、H型ポールの間にボールを通して、さらに1点が追加される。
0対7。
「がんばれ」。失点した側の、まばらな応援席に小さな男の子の声が思ったよりも響く。おそらく赤のチームの選手か、関係者の子供だろう、と思った。
長い時間
もうすっかり暗くなってきた。寒さはさらに増した。スタンドに人が少ないせいか、よけいに冷える気がする。
「第1クォーターなげえな。パスが多いせいだ…。さっきの試合、短かったのに…」。
若い男性の話し声がうしろから聞こえる。
アメリカンフットボールの試合時間は、第1クォーターから第4クォーターまで分かれている。そして、プレーによっては時計が止まったりするので、試合によって、かなり時間の長さが変わってくる。例えばオフェンスの時、パスを投げて失敗すると時計は止まるが、ボールを持って走るプレーを選択した時は、ディフェンスに止められてからも、時計は進む。
確かに、ここまでパスが多かった。それだけでなく、反則も多く、何度もプレーが止まった。そのうちに両チームの一人ずつが退場になった。試合が少し荒れていた。
時間が長い。
そのうちに、また青のチームにタッチダウンをとられ、0対14になって、第1クォーターがやっと終わった。
前半終了
第2クォーターに入ってから、赤のチームのオフェンスは、この試合で初めてといっていい見せ場を作り、前へ進んだ。
スタンドにいる私から見て、右斜め前方にかなりベテランの男女数人のグループがいる。
失敗には「バカ!」と声をあげ、いいプレーには大きく拍手をし、熱心に応援していたが、何しろここまではいいところがなく、だから、この試合で最も盛り上がる時間を迎えていた。
でも、もう少しで得点になりそうな場所まで来たのに、赤のチームのパスが相手にとられてしまった。一瞬でチャンスは消え、攻守交代になり、青のチームにまた得点を許してしまった。
0対20。
またさらに寒くなってきたのに、チアリーダー達はおなかの出るようなユニフォームで…もしかしたら薄い肌色の素材の衣服を着ているのかもしれないけれど…ずっと笑顔で応援を続けている。
赤のチームは、このゲームのために準備してきたであろうトリッキーなオフェンスを見せたが、その途中でボールを落として相手に押さえられて、また攻守交代になり、それで、また青のチームにタッチダウンをとられた。
踏んだり蹴ったりの展開だった。
それでも、赤のチームの応援は続いていた。
チームの状況によって「オーフェンス!」。または「ディーフェンス!」。さらには「タッチダウン!」など、いろいろな応援の言葉があるはずなのに、赤のチームの見せ場が続かないため、チアリーダーたちは「ゴーゴー!」という声を出すことが多くなった。それでもテンションは下がらないし、笑顔だし、スタンドの観客も声を出し続けていた。
0対33で前半が終わった。
※「後半」に続きます。
【2007年の時の記録です。公募された賞に応募し、落選した文章に加筆・修正しています】
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