初めて経験する「夏マスク」と「夏ビニール」。2020.6.18.
昼ごろ家を出る。駅に着く。
ホームにいる人が、みんなマスクをつけている。
考えたら、この季節で、この気温になって、そんな姿ばかりなのは、これまでは、たぶん見たことがない。
「夏マスク」
いつの間にか季節が進んで、初めての「夏マスク」に近づいている。
分散登校のせいか、この時間でも学生が車両に多い。人がけっこう「密」になっていて、いったん消えてしまった「距離」はやっぱり戻ることもないようだった。テレビなどを見ていると、そこに映っている出演者たちは、ソーシャルディスタンスを必死に守っているように見え、それは世間からの非難を恐れるためのポーズかもしれないけれど、もっと人数が多い場所で、「距離」が消えていたら、あまり意味がないような気もしてくる。
外出して、人をたくさん見たりしていると、急に不安が大きくなってくる。
電車を乗り換える。まだ、広告主が少ないようで、改札の上のポスターが、駅からのメッセージになっている。
「目標はなくなったかもしれない
しかし3年間の汗と努力、
仲間との日々はなくならない
私たちは、これからも、学生生活の思い出の一コマになれるようにベストをつくします。
かつては青春時代を過ごした〇〇駅社員一同」
階段の壁には、駅や車両の感染予防のために、消毒するスタッフの姿が写真におさめられたポスターが、何枚か並んでいる。
『お知らせ』 「駅や列車を安心して快適に利用していただくため、消毒や清掃に取り組んでいます」
乗り換えた電車の車両は、やはり「距離」が消えていた。
以前は、アンパンなどを食べて、コーヒーを飲んで、本を読んで、移動ができたのだけど、今は、もう車内で何かを食べることが、いろいろな意味でできなくなった。
今月からプロ野球は開幕するし、Jリーグも7月から始まると聞いた。
無観客で始まるらしいが、それでもプレーできるのは間違いなくて、それに比べると、7月に予選が始まり、8月に本戦があったはずの高校野球の「甲子園」はすでに中止が決まっていて、どちらかといえば、アマチュアのほうが、元々、無観客のはずなのに、といった何ともいえない気持ちになる高校生もいるのではないか、と車両の学生を見て、勝手に思ったりもする。
駅をいくつも通り過ぎて、前に立っていた高校生が、読んでいた参考書をカバンに入れて、文庫本を取り出して、読み始めた。少し遠くに座っている中学生らしき3人が、学校のたわいもない話を続けて、笑っていた。
なんだか、ホッとした。
駅で降りて、歩いて、橋を渡り、川べりの道を歩いていると、人工の中洲のような場所に小さな子供が2人いて、その子たちは、そばにいるネコを見つめていて、ネコは川の魚を狙っているように見ている。
外出すると、緊張して、感染のことを一瞬も忘れたことがなかったのに、ちょっと意識から離れていた。今の状況に、少し慣れてきたのかもしれない、と思った。
「夏ビニール」
店だけでなく、様々な施設で、ビニールが貼られている。受付の多い建物だと、あちこちにビニールがぶら下げられていて、空気の流れは極端に悪くなり、これから気温があがったら、窓も閉められないから、もしかしたらビニールハウスみたいな感じになるのかもしれない。寒い時に、温度を下げないためのものがビニールハウスなのに、これから、あと1ヶ月もたてば、本格的な、初めての「夏ビニール」の季節も始まる。
建物の中のトイレに入り、手を洗っていたら、せっけんは自動的に出てきて、水も自動的に出てくるのだけど、数秒でいったん水流が止まる。その設定は、コロナ禍以前の基準であって、もっと長く30秒くらいは続けて流れてくれればいいのに、といったことを思ってしまうのは、自分が、すでに発想が変わってしまっているからなのは、分かる。
午後2時前に、どこかの樹木で、スズメがちゅんちゅんちゅんと数多く鳴き続けているのが、聞こえてくる。
帰りの電車は、行きよりも空いている。
そのせいか、少し「距離」が復活していて、座席に座ったら、通路をはさんだ正面に日焼けをした丈夫そうな中年男性がマスクなしで、座って、あっついなー、と独り言を言っている。シャツの下に手を突っ込んで、かゆいのか、体をかきはじめている。細かいことは気にしないんだろうと思って、うらやましさをこわさの両方を感じている。
自分自身がもっと頑丈な体で、もう少し若かったら、もっと違う感覚で暮らしているのだろうか、とやっぱり思ったりする。
帰りに車内で食べようと思ったアンパンの袋を出して、ちょっと見つめ、まだ、周囲の何にもさわっていないし、自分が何を恐れているのかすでにちょっと分からないが、食べるのがこわくなり、そのままカバンの中に、つぶれないようにしまった。
次の駅に着いて、男女の学生が集団で乗ってきて、もう「距離」はなくなっていた。若い人間にとっては、今の状況も、まったく違う光景に見えているはずだし、そんなに明快な理由も語られていない自粛は、おそらく辛さの質が違うはずだから、緊急事態宣言が解除されたら、こうして大きい声で会話しているのも自然だと思う。だけど、マスクをしていない人もいて、笑っていて、それ自体はいい光景でもあるのだけど、やっぱりちょっと怖い。
初めての「新しさ」
温度はあがってきて、冷房が入っているけど、窓もあちこちで開いている。
電車内で、他の人の体臭を感じるような季節になってきたと、改めて思う。
若い母親と小さい女の子が一緒に、駅のホームに立っていて、車両に乗り込んでくる前に、母親が、女の子のマスクを、きちんとつけなおしている。
さらに人が増えてきて、すぐ隣に人が座ってきたけど、以前のように立ち上がる気力もなくなっていた。ただ、身を少し縮めるようにして、隣の人と接触しないようにしていた。
さらに駅を重ねると、人が減り、また「距離」が復活し、私の隣の人も降りて行った。少し安心したせいか、気がついたら眠っていた。乗り過ごしたかと思ったら、まだ次の駅に着いていなかった。
電車内のドアの上の小さな画面にニュースが流れている。
雨が降っていなくても、子供たちが傘差し登下校。
距離をとることと、熱中症対策のため。
感染予防のためのビニールなどの手袋。
ずっとつけ続けていると、かえって感染のリスク上昇が判明。
これまでに聞いたことがないような、初めての「新しい」ことばかりだった。
もう夕方で、午後5時を過ぎていた。
また電車を乗り換える。
乗った時には、かなり人がいるけれど、まだぎりぎり「距離」を保てていた。
もうすぐ自分が降りる駅だけど、その前に、大きい会社の最寄り駅がある。
ホームに人がたくさんいるのが見えた。
緊急事態宣言の時には、リモートワークに切り替えていたせいか、このくらいの時間でも、人がほとんどいなかったのに、もうすっかり、ほぼ元に戻っているように思えた。
乗り込んでくるビジネスパーソンたちの歩みは早く、私に荷物がぶつかっても、関係なく、車両の奥に進んでいく。また、カバンをちょっとぶつけられる。言葉は当然ない。体も接触する。ここまで、混んでいる電車を避けてきたのだけど、もうほぼ「密」な状態だった。
普通に毎日、満員電車に乗っている人に比べたら、とてもゆるい状況なのだろうけど、私にとっては、久々だったので、やっぱり、ちょっと背中が冷えるような、体が反応してしまう恐さがあった。それは、今では、大げさな条件反射と思われるのかもしれない。
降りるまで、それでも、ちょっと恐さが続いていた。
もうすぐ、初めての「夏マスク」と「夏ビニール」の季節になる。それに、耐えられるのだろうか、という「新しい」不安が、また増えた。
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