とても個人的な音楽史①ボブ・ディラン
ボブ・ディランのライブ中止のメールが来た。延期などは、すぐに予定が立たないので、払い戻し、ということだった。今も、本当の意味で現役である姿を、一度は見たいと思って、約2万円を思い切って払って、4月1日に、行こうとしたのに、ああ、やっぱり、という気持ちと、これで、もう見ることはできないかもしれない、という気持ちになった。
1970年代、初めてのドーナツ版レコード
40年くらい前に初めて買ったレコードは、ボブ・ディランだった。
たぶん中学生か高校生くらいだったけど、音楽を買うという習慣も、必要性も感じていなかったので、あまりはっきりと覚えていない。だけど、周囲が、ビートルズとか、サイモン&ガーファンクルとか、ディープパープルとか、カーペンターズとか、いろいろな固有名詞を言い始めて、音楽くらいは知っておかないといけないんじゃないか。誰か、1人くらいはファンになったりしないといけないのかも、と思ったのが、1970年代の半ばくらいのことだった。昼休みになると、電源が入っていないギターや、ベースとかいったものを、教室の後ろで音もしないのに、熱心にさわっている男子も何人もいた。卒業文集に、ロックのことだけを書いている人間もいた。
そして、純粋に音楽好きの人からは怒られそうだけど、少しひねくれた理由で、周囲で、あまり名前があがっていなかったボブ・ディランにしようと思った。ドーナツ版と言われる直径17センチで、真ん中に大きく穴があいているレコードを買った。その当時で、すでに過去の人になっていたらしく、だから、あまり名前を聞かなくなっていたようなのだけど、「風に吹かれて」と「ライク・ア・ローリング・ストーン」の両A面のシングルのレコードを買った。家には、ノートブックパソコンを2台並べたくらいの大きさで、高さは10センチくらいの、小さいレコードプレーヤーしかなく、そこにのせて、こわごわと、針をそっと下ろした。
これも、すでになつかしい曲になっていたが、「学生街の喫茶店」(GARO・1972年発売)の中に、彼女とよく聞いていたのがボブ・ディラン、と名前も出ていたから、10代の貧困な想像力に加えて、音楽的な教養もゼロに近かったので、勝手に、少しロマンチックなのかも、と思っていたのが、全然、違う音だった。ごそごそした演奏で、声の引っかかりは強い。特に「風に吹かれて」は、すごくゆっくり聞こえて、プレーヤーの回転数が間違っているのかもしれない、と機械を、あれこれいじったくらい違和感があった。「ライク・ア・ローリング・ストーン」は、もうちょっと早かったが、それでも、こんなに投げやりな歌い方でいいのだろうか、と思いながら、でも、何回か聞いた。
音楽は、今よりも、聞くのに、お金がかかる時代で、家にステレオといった音楽機器もなかった。もう少し聞きたいと思ったら、レコードを買うしかなくて、次に買ったのが、ベスト盤で直径30センチのLPだった。
小さいレコードプレーヤーを机に置いて、小さいスピーカーから流れるボブ・ディランを何度か聞いた。LPレコードを置くと、プレーヤーから、少しはみだすくらいの大きさだったけど、「風に吹かれて」や「ライク・ア・ローリング・ストーン」だけでなく、くるくる回る黒い丸い板から流れる「時代は変わる」や「ミスター・タンブリン・マン」は、なんとなく覚えた。声にも少し慣れてきた。
そのうちに、何で読んだか忘れたけれど、ボブ・ディランはベスト版などを聞いてはダメだ、オリジナルアルバムではないと意味はない、といった強めの文章を読んだ。自分はダメなんだ、みたいなことも思った。それでも、さらにレコードを買うような金銭的な余裕もなく、たぶん、音楽に対して、そんなに必要性を感じていなかったのだと思う。あまり、音楽そのものを聞かなくなっていった。
すでに、いろいろな伝説に覆われたような人だったのだけど、その中で、本名まで「ボブ・ディラン」にしている、というエピソードは妙に気になり続けた。
1980年代、「ウィー・アー・ザ・ワールド」
その後、1970年後半から、1980年代には、時々、どこからか流れてくるボブ・ディランに「あ、ボブ・ディランだ」と反射的に思うくらいだった。ただ、それ以上、何か感慨深くなることもなく、それでも、あの声は、そんなに熱心に聞いたわけでもないのに、何か引っかかりが強く、耳が覚えていたようで、だから、外から聞こえてくると反射的に、気持ちの注意が向いていたのだと思う。
とても熱心なファンが全世界にいるのは知るようになったから、こんな距離感は、とてもふざけた態度で、どこか後ろめたい気持ちもあった。だけど、どこかで、とても薄い関心なのだけど、ずっと気になっていた。
街角のレコードショップで、ボブ・ディランの歌声と姿を見たのは、1985年のチャリティーソング「ウィ・アー・ザ・ワールド」のビデオだった。その中で、短いのだけど、あいからず、すぐに分かる声と歌い方をしていて、なんだか、ひそかに、勝手に安心した。そのビデオの前で、映像を見ながら泣いている若い女性がいたのだけど、誰に、どこで、涙していたのかは分からなかった。
2000年代、またピークを迎えていたボブ・ディラン
それから、時間がさらに長くたって、また、ボブ・ディランの名前を聞くようになったのは、2000年代になってからだった。ボブ・ディランは、60歳を超えていたはずだけど、ビルボードチャートで、30年ぶりくらいに1位になった、といったニュースを聞いた。それも新作だから、なんだか信じられないような出来事だった。
時間は、また、さらに流れ、自分も歳をとった。家族の介護に専念して、10年以上の長い無職の時代があり、油断をするといろいろなことをあきらめそうになってしまう時間があった後、資格をとって、やっと少し仕事を再開できた頃に、ボブディランについて書かれた本を読んだ。2014年のことだった。
著者の萩原健太氏が、すごくボブ・ディランが好きで、同時に、当然だけど、音楽の専門家としても、きちんと聴き続けて、見続けてきたのが、よく分かる本だった。この本によると、ボブ・ディランは、かなり長い時間、試行錯誤をしてきて、人によっては迷走とも思える道筋を通ってきていたのを今さらだけど、改めて知った。「ウィー・アー・ザ・ワールド」で、いつものように、余裕で歌っていたように見えたのだけど、実はボブ・ディランは、自信なくレコーディングにのぞみ、どうやって歌っていいか分からず、スティービーワンダーに自分の歌いかたをしてもらって、それをなぞるように真似していく、といった映像も残っているのも初めて知った。あんなに伝説みたいな人でも、そんなに迷っていたのを知らなかった。それだけに、2000年代になってから、60歳を超えて、自由になったように、今も新しいことを、自分がやりたいことをやっているらしいと知って、本当に、すごいんだと思った。
それから、2000年代以降のボブ・ディランを、図書館で CDを借りてきて、また、少しずつ聞くようになった。
2010年代、音楽そのものを伝え始めたように思えるボブ・ディラン
2015年には、フランクシナトラが歌っていた曲をカバーしたアルバムを出した。その中でのボブ・ディランは、あの、いわゆるダミ声でもなく、ちょっと美声で歌っている曲まであった。オリジナリティを超えて、音楽そのものを伝えようとしているのかもしれない、と思った。単に、歌いたい歌を、歌っているだけかもしれないとも、同時に思った。
2016年には、ノーベル文学賞もとった。
70歳をとっくに超えているのに、ライブなどでは、昔の名曲などはやらず、今、自分がやりたい音楽ばかりをするらしい、という話を、失礼ながら、どこで読んだか、聞いたか覚えていないが、知った。(ラジオで、みうらじゅん氏が話してくれたのは、覚えている)。たぶん、複数の情報に触れたはずだから、多くの人が知っている有名な話だと思う。すごい事だと思った。本当に現役なんだ、と感じた。
こんなに薄い関心の人間が何かを言うのは、申し訳ないのだけど、やっぱり、ずっと〝自分がやりたいようにやっているか、ベストを尽くしているのか〟と遠くから、言われ続けていたんだ、と改めて感じた。どこかで、時々聞こえてくるボブ・ディランは、気がつかないうちに、自分がダメになり過ぎないように、支えてもらっていたような気もする。
同時に、〝楽しめ、自由にやれ〟と、特に最近のボブ・ディランは言っていると、こちらがそう思いたいだけかもしれないが、そんな風にも聞こえてくる。
この1〜2年、昔、マスメディアで働いている頃に、とてもお世話になっていた人たちに、何十年ぶりかで会う機会が持てるようになった。その方々は、みんなずっとマスメディアで働き続けている人たちで、20年も前に、途中でやめてしまった人間にとっては、会う事自体が、どこかうしろめたい気持ちもあった。それでも、そうした集まりに誘ってもらえて、それは、私のことを少しは覚えていてもらっているということでもあるから、しみじみとうれしいことだった。
その集まりの中で、ある人が歌ってくれたのが、ボブ・ディランの「くよくよするなよ」だった。ギターを弾きながら、気持ちに静かに染みるように、歌ってくれた。帰り際に、今は、何も書いてないことを伝えると、「そうなんだ、もったいないね」と、自然に言ってくれたのも、とてもありがたかった。
2020年、ライブは中止になったけれど
ボブ・ディランが、ライブハウスでライブをやる、というのを知ったのは、2019年の去年のことで、迷ったのだけど、チケットを買った。自分にとっては約二万円は大金だった。ずっと立っているのは、ややしんどい年齢になっている。だけど、たぶん、自分が知らない、今のボブ・ディランが歌いたい、これからの曲も歌ってくれるはずだ。
現在も、70代後半になっても、自分が進みたい方向へ、進み続けている姿を見ることは、これから老いていく自分にとって、必要だと思った。
ただ、見たいと思うようになっていた。
中止になったのは、少し前から予想できた事だった。
また遠いままになってしまった。
それでも、今も、熱心なファンには申し訳ないような気持ちはあるが、たぶん、ずっと薄くても、すごく遠くても、ボブ・ディランへの関心と音楽への興味は続くと思う。そのことで、襟を正すような気持ちになれるから、だと思っている。
その②も書きました。
クリックすると、そのnoteにいきます。ご興味があれば、こちらも読んでいただけると、幸いです。