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「記憶力のばらつき」……干支と、アニメの主題歌と、中国の王朝名。

 干支が、ぜんぶ言えない。
 ね、うし、とら、う、たつ、み。
 ここで、記憶が途切れて、そのあとは視界を失うような気持ちで、何も言えなくなる。(といっても、それが本当だと証明する手段もないけれど)

 時々、ここから先を覚えようとしたこともある。
 うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、い。

 最後の「い」まで言えると、ちょっと気持ちがいい。

 だけど、今も、覚えていて書けるのは、「み」までで、それ以上は、たとえば全部言える妻に聞いて、自分が途方にくれている時、「うま」などと言ってくれると、それがきっかけになって、古いエンジンのように、「い」まで、ひっかかりながら行けることもあるけど、いつまでたっても、スムーズには進めない。

 今書くと、ちょうど半分だけ覚えているのが分かるけど、ある年齢を超えると、こうした規則性の薄い、ある意味ではアトランダムなものを覚えるのは、無理ではないか、と思うことがある。

 意味があったり、すごいと感じたり、感心したりすることは、今でも覚えられる気はするのだけど、こういうことを記憶するには、年齢的に臨界点があるのではないか、と思ったりもする。

干支の根強さと不思議さ

 今だに干支が無視できないのは、知っている。
 いつのまにか、言われなくなるような古い習慣になるかと思ったら、たぶん、誰もが、自分の生まれ年の干支は把握していると思う。

 多くの人が関係ある学校という場所で、1学年という単位は、4月生まれからだいたい3月までなので、そうなると、1クラスの中で、干支が違ってくる。ということは、もしかすると、小学校や中学校など学校の1学年の単位が、1月から12月におさまって、干支が一緒だったら、逆に重要性は減るのだろうか。

 推測に過ぎないけれど、おそらくは上下関係に敏感な「社会の癖」がまだ強いままだから、干支は年齢の目安として、思った以上に未来まで、安泰かもしれない、と思うこともある。

 

 何かの事件で容疑者となった女性が、年齢をかなり若く「自称」していて、それがたしか24歳若く語っていて、その中途半端さが気になったのだけど、どこかで聞いたのは、年齢のサバを読むのであれば、干支を同じにすべき、ということを知り、その知恵に感心した記憶もある。だから、年齢で(大きく)うそをつくのであれば、12、24、36といった数字を選んだほうがいいらしい。

 さらにこれは、干支からは外れるが、年齢の工夫で思い出すのは、デーモン小暮氏だった。今年の11月10日で、満10万58歳になっているのだけど、世を忍ぶ仮の年齢が58歳であるのだから、いつ年齢を聞かれても、10万を足すことで「正確」に答えられるわけだから、ここにも悪魔の凄さを感じさせてくれる。参考にする機会はなさそうだけど、何かに応用できるようにさえ、思ってしまう。

 パチンコ屋などで、明らかに10代前半の学生ではないか、といった若い人間がいた場合に「干支を聞かれる」という「伝説」があったが、それは本当だろうか。そして、本当だとすれば、今でも行われているのだろうか。

 そうなると、干支を全部言えないことは、社会人としては、重大な欠陥になるのだろうか。

アニメや特撮番組の主題歌

 これは、年代によって違うとは思うのだけど、個人的には子供の頃は曜日とアニメ番組が一致したりしていた(リンクあり)。同時に、そのアニメのオープニングやエンディングの歌は、今でも覚えている。

 かなり古くて申し訳ないのだけど、たとえば、最初の「タイガーマスク」のオープニングと、かなり暗いエンディング「あしたのジョー」や、特撮ものだけど「レインボーマン」のエンディングの「死ね死ね団」の歌まで覚えている。

 「三丁目の夕日」より、もう少し後の時代になるとしても、まだ貧乏が色濃くあったせいで、暗い歌がゴールデンタイムで流れることにも抵抗が少なかった記憶がある。

 明るくても、暗くても、自分の歌唱力は別としても、まだアニメの主題歌などは歌えるから、歌詞もメロディーも覚えていることになる。

 年齢とともに記憶力は衰えて、元々そんなに記憶力に自信がないから、そのことへのショックは少ないものの(リンクあり)、それでも、こうした記憶が占めている脳の容量を考えると、いつまでも残っているし、それは、役に立つかどうかについては、かなり微妙なので、時々、その記憶がもったいないと思う時もある。

 ただ、それを覚えていることを確認するたびに、小さい頃ほど記憶力がいい、というのは本当だと思えてくる。

それ以前の記憶の行方

 そうした記憶のことを考える時に、そのアニメの主題歌を聴いていた自分は、今とは別人といっていいような存在とは言っても、その時の気持ちや、その時の光景とともに、現在と確実につながっている感触はある。

 だから、今の自分の歴史としての記憶として、無駄と思えることも記憶から欠けていくと、自分の存在の連続性がなくなってしまっていき、それは、怖いことかもしれない、などと思う。そこから連想すれば、これは無責任に例えられないとしても、このもっと激しい変化が、認知症なのかもしれないと思うと、その怖さはほんの少し想像できると思う。さらに、ここで、改めて不思議に感じるのは、自分にとっては、アニメの主題歌よりも、それ以前の記憶のことだ。

 今は両親共に亡くなってしまったので、確認することもできなくなってしまったが、いわゆる「親バカ」のエピソードの一つとして、何度も聞いていたのが、まだ物心もついていないから、それこそ自分はまったく覚えていない幼い時に、クルマが好きで、道路を通り過ぎていく車種を全部わかった、という話だった。その後の自分の記憶力を考えると、信憑性を自分で疑ってしまうが、それでも、何十種類も全部覚えていたのは本当らしい。

 問題は、それが本当かどうかではなく、もしも、それを話半分としても、クルマの名前を5つや6つは覚えていてもおかしくないはずなのに、若い頃も、今も、まったく記憶にない。

 物心つく前の記憶は、その後の幼い時の記憶の保存の良さを考えると、それ以前だから、さらに記憶力のほうが優れている可能性まである。それが、まったく記憶にないのは、成長のどこかの時点で、それ以前の記憶はリセットされてしまうのか。それとも、今の自分からはアクセスできないような場所に保管されているのか、といったことは、記憶力の謎だと思ったけれど、もしかしたら、私が無知なだけで、そのことはすでに解明されているのかもしれない。

 そう考えると、「記憶保持力の臨界点」は、年齢の後半にあるだけでなく、人生のかなり冒頭にもある可能性を考えられないだろうか。

中国王朝は覚えている

 いん、しゅう、しゅんじゅう、せんごく、しん、かん、しん、かん、さんごく、しん、しん、なんぼく、ずい、とう、ごだい、そう、そう、げん、みん、しん。

 これは、中国の歴代王朝の覚えかたで、厳密にいえば、正式名称とは微妙に違うのだけど、何も見ないで書けた(といっても、誰もそれを証明してくれないのだけど)ということは、今でも覚えているのだろう。

 高校1年生だから、15歳か16歳。その後は、授業中はほとんど寝る生活が始まるので、まだまじめに授業を聞いていた、たぶん入学初期、世界史の授業で、この中国の歴代王朝を記憶させられたのだと思う。

 それから数年後、10代の後半になった時に、受験勉強などをしている時に、周囲の同世代と比べると、圧倒的に記憶力が劣る自分を自覚するようになったから、その時は、おそらくは、中国の歴代王朝のような、並び方に必然性がないものを覚えられない可能性も高かった。

 そうであれば、記憶が難しそうでも、必要だったら覚えられる、という「強引な記憶保持力の臨界点」は、自分にとっては、おそらくは、16歳くらいだと、推測できる。それは、元々の記憶力が劣っていたせいで、早めに「臨界点」を迎えてしまったのかもしれない。

 元々の記憶力に恵まれた上に、この「臨界点」がもう少し長く、10代が終わる頃まで続く人が、受験勉強での「強者」であり、さらに、20代前半まで、この「強引な記憶保持力の臨界点」が伸びる人は、弁護士や公認会計士や国家公務員などの「難関」も突破する可能性が高い、ということになるのではないか。

 そんなことを考えると、自分自身の「強引な記憶保持力のピーク」は、5歳くらいから16歳までと推測できる。それは、「いい仕事ができる期間は10年間説」みたいな話をどこかで読んだ記憶もあるので、その期間とほぼ一致する。人間の「記憶保持力」は、人によってピークの期間が違うと思うので、そのことを知れば、有効に利用できるのかもしれない。

 だから、詰め込み教育は評判が悪かったけれど、ある時期(たとえば、小学生から中学生の期間)であれば、多少、詰め込んでも、「強引な記憶保持力」は、個人差はあっても強い時期だから、合理的な方法だった可能性はある、と今だから思える。(それがわかっても、記憶の詰め込みが嫌なのは変わらないけれど)。

干支がいえない理由

 そして、話を最初に戻して、干支がいえないのはどうしてなのか?と考えると、「強引な記憶保持力のピーク期間」に覚えたことは、象徴的にいえば、脳に深く刻み込まれる可能性が高いはずだから、とても個人的な話だけど、干支のことを、5歳から16歳の「自分の記憶保持力のピークの期間」に全部覚えようとしなかったので、チャンスを逃してしまったのだろうから、おそらく、これから先も覚えるのは難しい。

 そうであれば、改めて、記憶力に関しては無理をせず、メモを使ったり、資料を使用したり、人に尋ねたりを心がけたほうがいいのだと思う。あとは、こうして、人によっては、よくわからない屁理屈だとは思うのだけど、こうしてあれこれと「考え続ける力」のピークは、まだ下りきっていないような気がするので、使える力を、有効に使うことに集中しようと思います。

 変な言い訳のようで、以前も似たようなことを書いた記憶もうっすらとあるのですが、これが、今回の一応の結論です。



(他にもいろいろと書いています↓。読んでいただければ、うれしく思います)。


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おちまこと
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