小学生のとき、学校の敷地内で、田植えとお茶摘みをした話。
小学生の時に、学校の田んぼがあって、そこで田植えをした。
小学校の生垣が、お茶だったから、春になると、そこで茶葉をつんだ。
どちらも、給食の時に自分たちで食べたり、飲んだりした。
ただ、それだけの経験で、その頃は、ただの日常だったけど、それから随分と時間が経って、別の場所で生活するようになって、それが、それなりに珍しいことだと知った。
1970年代の小学生
随分、昔の話で申し訳ないのだけど、1970年代に、中部地方のある県で暮らしていた。
小学校まで片道2キロの、両方が田んぼに囲まれたような通学路を毎日歩いた。
その学校は、古い木造校舎で、隣は農協だった。学校の周りにも田んぼがひろがり、そのうちの一部は、どうやら小学校の所有物だったらしい。
1学年に1クラスしかない。全校でも230人程度。
毎日、給食の時間は、体育館にテーブルを並べて、全校生徒一緒に食べた。
それは、その頃の自分にとっては、毎日のことだから当たり前になっていたけれど、大人になってから人に話したら、珍しいことだと知った。
小学2年生の時に、関東地方から転校してきて、最初は言葉の違いなどもあって、からかわれたりもしたけれど、少したったら、馴染んできたようだった。だから、関東では、それぞれの教室で給食を食べていたはずだけど、その記憶の方が自分にとっては薄いものになっていった。
茶摘み
すぐそばに国道が通っていて、それほどの交通量ではないとしても、クルマの排気ガスなどを考えたら、それほど衛生的でないと思うけれど、その道路に面したところに小学校の生垣があって、その植物がお茶であることは、しばらくたってから知った。
それは、小学校の5年生になると、その生垣のお茶の葉を、確か5月頃にクラスの人間と一緒に、つんだ。そんなに細かい指導をされた覚えもないのだけど、お茶の葉っぱの薄くキレイな緑の、本当に先っぽだけを柔らかくとって、みたいなことは、教師に言われ、粗い作業をするたびに注意をされていたから、少しずつは、やり方は学んでいたと思う。
その生徒たちがつんだお茶の葉は、校内の空いている場所に広げられて、太陽の日をあび、乾かされていた。今になってみると、誰がその頃合いを見ていたのかは分からないが、いつの間にか、その姿がなくなると、給食の時間に大きなヤカンで、お茶として登場していた。誰かが、お茶として加工してくれて、それを全校生徒で飲んでいた。
自分たちがつんだ、といっても、そんなに感慨もなかったのは、その前から、毎年、確か5年生がつんで、それがお茶になって、ということが毎年のように繰り返されてきたからだった。
だけど、それは、考えたら、貴重な経験だったとも思う。
田植え
同じ時期、小学校5年生の春頃、学校の隣の田んぼで田植えをすることになっている。
同級生には、農家の子供も少なくなかったから、彼ら彼女らにとっては珍しいことでもなく、私のような転校生にとっても、通学の行き帰りに、マシーンを使って、その腕が規則正しく回りながら、きれいな直線で苗が植えていかれる姿だけは見ていたから、まったく知らないことではなかった。
それでも、液体に近くなった泥の中に足を入れて、ぬるっと飲み込まれるような、そして、ポコっみたいな音が時々するような、かなりの密着感とともに、次の一歩を踏み出すためには足が泥に取られて重い、といった感じは新鮮だった。
周りには大人がいて、田植えをするための束になった苗はすでに用意されていて、あとは、それを泥のようにしか思えない田んぼの中に植えていく。その作業の繰り返しで、何しろ、どのくらいの力でそこに植えていいのかも分からず、大人たちの指導もあって、なんとか形にはなったりしたが、いろいろなことを言われ、楽しい感じはなかった。
ほぼ液体のような泥に足を取られて自由が効かない。
そんな印象だけが残った時間だった。
その後、夏には草取りが必要になるが、それは、母親によると親たちも協力させられた、と言っていた。その後の刈り取りなどは、すでに誰が行っていたかもわからず、春頃に行った作業についての記憶は、小学生にとっては夏が過ぎて、秋の頃までには、他にもやることもあったし、忘れていた。
そのころに、全校一斉の給食の時に、自分たちが田植えをしたお米です、といった形で、それも五目ご飯のようなものに形を変えて、テーブルに並び、みんなで食べた。そのことは、教師からのアナウンスがあったから知ったのだろうけど、言われなければ、当然のことだけど分からなかったし、特においしい、といった印象もなかった。
それでも、こうして遠い記憶なのに覚えているのは、それ以来、そんなことをすることはほぼなかったし、その上、子供の時に体を動かしたことは、どれだけ時間がたっても、忘れにくいということかもしれない。
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