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読書感想(おちまこと)

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読んだ本の感想を書いています。
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#ネタバレ

読書感想 『コロナの時代の僕ら』 パオロ・ジョルダーノ  「不安の中での知性のあり方」

  2020年に入ってすぐの頃、1月くらいを思い出そうとしても、とても遠くに感じる。そして、今とはまったく違う社会だったのだけど、それも含めて、すでに記憶があやふやになっている。  それは、私だけが特殊というのではなく、今の日本に生きている人たちとは、かなりの部分で共有できるように思っている。 海外の人たちへの関心の薄さ  最初は、そんなに大ごとではなかった。  新しい病気がやってきそうだけど、そんなに危険ではない。あまり致死率が高くなく、いってみれば、毎年、流行を繰り返す

読書感想 『バリ山行』 松永K三蔵    「地に足がついた創造」

 芥川賞受賞作なのは知っていた。  だけど、小説のタイトルも、作者の名前も、トリッキーで、覚えることができなかった。  だから、勝手な話だけど、少し警戒心を持ってしまったのは、以前の芥川賞のイメージの「難解」という記憶が蘇ってしまったからだと思う。  そして、冒頭では、会社では居心地が悪く、その一方で、わきあいあいとした山登りの話が描かれ、ちょっと拍子抜けしたような思いになり、芥川賞受賞の理由などを、生意気にも考えてしまっていた。 (※ここから先は、小説の引用などもし

読書感想 『「コーダ」のぼくがみる世界 聴こえない親のもとに生まれて』  「知らないことの多さを、知らされる」

 何かを知ると、さらに知らないことの多さが見えてくるような気がして、どんどんわからないことが広がっていくような怖さがある。  それでもできたら1日に一つでも、新しいことを知るようにしているのは、少しでも違う視点を持ちたいと思っているからだ。  ただ、知っているつもりで、知らない、というのがもしかしたらいちばん良くないのかも、と思う時もある。  たとえば、「コーダ」という名称と、その意味するところを知っていたはずなのだけど、それは、自分が知っているとは言えないことを、本を

読書感想 『センスの哲学』 千葉雅也  「視界を変える可能性」

 センスという言葉は、それを持たない者にとって、大げさに言えば、呪いの言葉のようにも感じる。  最初に、特に男性は運動のセンスのあるなしを嫌でも自覚させられる。  そこでセンスがない場合でも、小さい頃から絵は描いているから、そうしたアーティスティックなセンスがある人間と、ない人に、知らないうちに分けられている。  それから、しばらく経って、学問の世界でもセンスが問われることを知る。  学校を卒業し、仕事を始めると、そこでも知らないうちにセンスがある人間と、ない人間に振

読書感想 『むらさきのスカートの女』 今村夏子 「多様性のリアル」

 第161回芥川賞受賞作。『むらさきのスカートの女』  そういって、その発表が、西暦何年の何月、といえる人は、相当に文学への関心と知識が深い人なのは間違いない。  自分にはそんな知識はないので、検索すると、2019年で、元号で言えば、平成31年から令和元年に移り変わる特殊な年だった。そして、この161回の芥川賞は、1年に2回のうち上半期で、7月に発表された。  芥川賞を受賞すると、今もまだ話題にはなり、出版界は長く不況といわれているけれど、その作品は注目を浴びるし、図書

読書感想 『神に愛されていた』 木爾チレン  「書くことを、信じ続けられるすごさ」

 ラジオを聴いていて、本に関する話題になるとメモを取ろうという姿勢になる。  その時は、リスナーからの日常的な出来事の中で、ある作品と出会ったというような言い方で、小説の題名が出てきていた。リスナーは女性のようで、その上、その作品は若い人に評価されていて、ということを知り、自分は若くないけれど読んでみたら、とても素晴らしかった、という内容だった。  若い女性が支持する作品は、若くなくて男性の私からは、たぶん、最も遠く、通常モードで暮らしていると、読む機会はないのだと思った

読書感想 『いなくなくならなくならないで』 向坂くじら  「あいまいな日常の緊張感と混乱」

 芥川賞の候補作。   誰が選んでいるのか、といえば、すごく単純化していえば、出版関係者のはずだ。  だけど、考えたら、出版社に入社する人間が、必ず小説好きとは限らない。もしくは、読むプロとして働き始めているわけでもない。そんなことを考えると、小説家が時折書いている、編集者と(どこまで本当かわからないとしても)もめている、という描写もなんとなくわかるような気もする。  だけど、芥川賞は、文藝春秋という出版社主催の賞にすぎないのに、今もまだ小説界の権威になり続けているのは

読書感想  『アイスネルワイゼン』  「小さい棘と、薄い悪意の日々」

 誰かがすすめていた文章を読んで、読みたくなった。  ただ、失礼な話だけど、その誰かのことを忘れてしまっても、その本のタイトルを、なんとなく記憶していたのは、覚えたくなるようなタイトルだったせいもある。  これが、この著者のプロフィールだけど、だから、まだ小説家を始めたばかりで、芥川賞の候補になっていることになる。ただ、芥川賞自体が、本来は新人賞に近い役割をしていたらしいことも、恥ずかしながら最近になって知った。 (※ここから先は、内容の引用もしています。未読の方で、情

読書感想  『掏摸』 中村文則  「人間の多様性」

 本来ならば失礼なことかもしれないけれど、小説家なのに、小説の前にその言動が気になっていた。  テレビやラジオなどマスメディアでの発言を聞くたびに、とても真っ当なことを伝えてくれているように思えたし、本人も意識して社会的なことも伝えようとしているように思えた。 社会的な言葉 音楽に政治を持ち込むな。  そんな言い方がいつの間にか多く聞かれるようになって、それは、音楽だけではなくエンターテイメント一般にも言われるようになった。  もしかしたら普段の生活が辛くて、少しでも

読書感想 『東京都同情塔』 九段理江  「とても強い小説」

 どんな本を読むのか。  自分がそれほど早く本を読めるわけでもなく、若い時から古典と言われる作品をたくさん読んできたわけでもない。読書の習慣がついたのは、中年と言われる年齢になってからだった。 本を選ぶこと だから、どの本を読むのかについて、ただ自分の感覚に従って、例えば昔のレコードの「ジャケ買い」のように、本の表紙や作品名だけで選んで、それが自分にとっての名作であるような鋭い選択をできるような自信は全くない。  ただ、それでも色々な本を読むようになって、ラジオやテレビ

読書感想 『ジャクソンひとり』 安堂ホセ 「知らない視点。気がついていなかった世界」。

   タイトルでは、何が書かれているか想像ができなかった。    著書の名前も、失礼ながら、知らなかった。   読み始めても、そこには、ただ知らない世界が展開されていて、さらに読み進むと、どれだけ、自分が無知なのかを知らされるような視点が広がっていく。   そこには、エッジの効いたストーリーと、読者として動揺してしまうような描写も続いた。情報の密度が濃く、2度読んで、やっとわかったことも少なくなかった。 (※ここから先は、小説の内容にも触れます。未読の方で、何も情報に触

読書感想 『君のクイズ』 小川哲 「面白さの純粋度」

 刑事ドラマを見ていると、最初に人が死んでいることが多い。  そこから、話は始まり、進んでいき、その謎を解くか。もしくは犯人の動機や犯罪方法を見せていくストーリーは随分と見てきた。  そんなに読んでないので、それほど明確に語れないのだけど、ミステリーと言われる分野も、かなり人が多く死んでいるように思う。  そこから始める方が、興味を引っ張る力が強そうなのはわかる気がするけれど、物語のために、そんなに人を殺さなくてもいいのに、とはずっと思っていた。  だから、クイズ、そ

読書感想 『雌伏30年』 マキタスポーツ  「自意識との格闘の歴史」

   テレビドラマを見ていると、気がついたら、姿を目にしている。それだけ、いわゆる脇役として、かなりの頻度で出演しているのだろう。   出てくるたびに「マキタスポーツだ」と、心の中で思ってしまうのは、ポッドキャストから始めてラジオ番組にまでなった放送の中で、その話す声を聞いていて、勝手に微妙ななじみ感を持ってしまっていたからだと思う。   ただ、実は、そのマキタスポーツ(本名・槙田雄司)という人のことを、本当に知らないのを、この本を読んで分からされた。というより、当たり前

読書感想 『くるまの娘』 宇佐見りん   「家族という地獄で生き続けること」

 若いうちに才能が認められた人は、若い、という形容詞を、おそらく数限りなく言われて、本人にとってはうんざりすることだろうし、そして、今を生きている本人にとっては「まだ若い」と余裕を持って感じることは、おそらくないのではないか。  そんなことを薄々思いながらも、でも、若くて作品が優れていると、やっぱり「若いのにすごい」と失礼な表現をしてしまうこともある。  宇佐見りんという作家は、21歳で2作目で、すでに芥川賞を受賞している。その作品も読んだけれど、圧倒的な作品という印象が