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読書感想(おちまこと)

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読んだ本の感想を書いています。
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#小説家

読書感想 『コロナの時代の僕ら』 パオロ・ジョルダーノ  「不安の中での知性のあり方」

  2020年に入ってすぐの頃、1月くらいを思い出そうとしても、とても遠くに感じる。そして、今とはまったく違う社会だったのだけど、それも含めて、すでに記憶があやふやになっている。  それは、私だけが特殊というのではなく、今の日本に生きている人たちとは、かなりの部分で共有できるように思っている。 海外の人たちへの関心の薄さ  最初は、そんなに大ごとではなかった。  新しい病気がやってきそうだけど、そんなに危険ではない。あまり致死率が高くなく、いってみれば、毎年、流行を繰り返す

読書感想  『最愛の子ども』 松浦理英子「複雑なフィクションで描かれる擬似家族」

 松浦理英子という小説家の名前と、その作品のタイトルのいくつかは知っていた。  とても先鋭的だということ、さらには寡作だということ。  その内容を漏れ伝え聞いているだけだから、おそらく何かを語る資格はないのはわかっているのだけど、1978年にデビューしてから、最新作が2022年。9作の小説。ほぼ5年に1作というペースで、小説家としてやっていけること自体が、それだけ一作の完成度が高い、ということを証明しているように思う。  今回、別の人がすすめていることを知って、それまで

読書感想 『それは誠』 乗代雄介    「超純粋な青春小説」

 作品を読んだだけで、読者としては何が分かるわけもないのだけど、その小説から、小説家のイメージを勝手につくり上げてしまうことがある。  特にメディアで、インタビューなどにほとんど登場しないと、その傾向が強くなる場合がある。 乗代雄介 乗代雄介がそうだった。  最初は、他の小説家が、この時代でも本当に書くことに集中している人として紹介しているのに興味を持って、『本物の読書家』を読んで、それだけで全部がわかるわけでもないけれど、本当に紹介された通りの純度の高さを感じた。

読書感想 『神に愛されていた』 木爾チレン  「書くことを、信じ続けられるすごさ」

 ラジオを聴いていて、本に関する話題になるとメモを取ろうという姿勢になる。  その時は、リスナーからの日常的な出来事の中で、ある作品と出会ったというような言い方で、小説の題名が出てきていた。リスナーは女性のようで、その上、その作品は若い人に評価されていて、ということを知り、自分は若くないけれど読んでみたら、とても素晴らしかった、という内容だった。  若い女性が支持する作品は、若くなくて男性の私からは、たぶん、最も遠く、通常モードで暮らしていると、読む機会はないのだと思った

読書感想  『掏摸』 中村文則  「人間の多様性」

 本来ならば失礼なことかもしれないけれど、小説家なのに、小説の前にその言動が気になっていた。  テレビやラジオなどマスメディアでの発言を聞くたびに、とても真っ当なことを伝えてくれているように思えたし、本人も意識して社会的なことも伝えようとしているように思えた。 社会的な言葉 音楽に政治を持ち込むな。  そんな言い方がいつの間にか多く聞かれるようになって、それは、音楽だけではなくエンターテイメント一般にも言われるようになった。  もしかしたら普段の生活が辛くて、少しでも

読書感想 『東京都同情塔』 九段理江  「とても強い小説」

 どんな本を読むのか。  自分がそれほど早く本を読めるわけでもなく、若い時から古典と言われる作品をたくさん読んできたわけでもない。読書の習慣がついたのは、中年と言われる年齢になってからだった。 本を選ぶこと だから、どの本を読むのかについて、ただ自分の感覚に従って、例えば昔のレコードの「ジャケ買い」のように、本の表紙や作品名だけで選んで、それが自分にとっての名作であるような鋭い選択をできるような自信は全くない。  ただ、それでも色々な本を読むようになって、ラジオやテレビ

読書感想 『ハンチバック』  「受け止めきれない怒り」

 2023年の芥川賞受賞作は、ニュースなどで知っていた。重度障害者では初めての受賞だと報道された。  そう指摘されて、普段、本当に考えていないことに気がついた。  そして、そうした受賞時の言葉にまで、これだけの力をこめられることはすごいのだと思ったのだけど、それは、自分も含めた社会の環境を考えると、やはり「2023年になって初めて」なのは、とても遅くて、問題なのだろうと思った。  読む前に、多少、心が構えてしまった。  それ自体が、いろいろな意味で問題があることなのは

読書感想 『小説のストラテジー』 佐藤亜紀 「背筋が伸びるような言葉」

 小説家の中でも敬意を強く持たれ、場合によっては畏怖されていて、だから、批評家や評論家も、それほど簡単に触れられない作家がいる、ということを、佐藤亜紀の存在で、少し分かった気がする。  それは、読者としても同様で、わかったようなことを言えるような作家ではなく、どうやらすごいらしい、ということは、佐藤亜紀を、他の書き手がどのように表現しているかで、伝わってきた。  しかも、これまで読んだことはなく、でも、その評価のされ方が、あまりにも独特なので、読んだ。それもまだ1冊しかま

読書感想  『こちらあみ子』 今村夏子  「人間のすべて」

 個人的な気持ちに過ぎないけれど、気になりながら、読むのを微妙に避けていたと思う。  誰かが、元気な女の子が出てきたけれど、なんだか分からない、といった感想を述べていたのを目にしたこともある。  別の場所で、他の誰かが、控えめに、だけど強めにすすめている文章を見た。  そうした誰かの思いは目にしながら、それが誰かを覚えていないのに、自分が気になっていたから、そんな評価だけは自分の中に蓄積してきて、やっぱり読もうと思った。  気がついたら、映画化もされていた。 『こちら

読書感想  『燕は戻ってこない』 桐野夏生 「今のこと。先の見えない揺れを書くこと」

 どんな経緯で、読もうと思ったのかは、よく覚えていないが、図書館で予約したら4ヶ月待った。本当は購入した方がいいのは分かっているのだけど、申し訳ないが、今の経済状況では厳しい。それでも読みたい。  次の予約も入っている状況だから、読み終わるまでに2週間の制限があって、家に持ち帰った時は、かなり厚いから、1日にこのくらいは読まないと間に合わない、などと思っていたが、読み始めると、時間の進み方が変わったと思えるくらい、スムーズに読み進めていて、読み終わっていた。  長く、多く

読書感想 『スター』 朝井リョウ 「素直な才能」

 自然に「才能」がある人が、特に若い層に増えてきた気がする。  それは、もちろん、工夫や努力は怠らないのは前提としても、無駄な力みや深刻ぶることもなく力を発揮するが、その能力は「与えられたもの」という感覚があるせいか、いい気になっているような感じもしない。  実は、これまでにないような凄い存在のように思う。  小説家も、そんなタイプが増えてきたように思えるのだけど、朝井リョウは、そういう流れの中で、もっとも早く登場した存在かもしれない。  最初に注目されたのは「桐島、