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山影匡瑠って、何者?

名前の読み方

山影匡瑠(ヤマカゲマサル)と読みます。
本名も同じですが、マサルは「優」と書きます。

神奈川県川崎市中原区生まれ、宮前区育ち

あの武蔵小杉出身ですよ。青森県出身と勘違いされます。
けれど、両親は秋田出身、バリネイティブ秋田です。

5歳で民謡初舞台、10歳で津軽三味線

どこかの家元の子どもではありません。
左官屋の息子です。
母親が勤めていた営業所の裏に民謡教室があり、そこに通い始めたのがきっかけになります。
津軽三味線は最初、父が始めたのです。去年まで使用していた三味線は父が購入したものです。

12歳で民謡を引退。その後18まで津軽三味線

色々あった民謡会。テレビ出演や、大会出場するもいつも三位止まり。
声変わりを機に唄うことを辞めました。
高校生で聴いた、ゲイリームーアに衝撃を受け、ギターを弾くという行動に(笑)
あっさりと、津軽三味線のキャリアを捨てます。

バンドに夢中になり15年も続けて、大事故を起こしバンド解散

とにかくメジャーに行きたかったのに、自分の思考力の足りなさで、後一歩というところで、バンドを解散させてしまいます。
インディーズでは2枚アルバム出してます。その時の事務所とも大いにもめて、痛い人丸出しで黒歴史を作っています。
その後ソロとして活動していくも、中途半端でした。

とあるパーティーでの三味線演奏依頼がきっかけでした

ギターじゃなくて、三味線弾けたよね?
ということで声をかけてもらい、15年ぶりに三味線を持ち出し、ひたすら練習する毎日。
あれ?こんなにいい音してたっけ?ん?面白いな。というのが最初の感想。
バンド時代にも、津軽三味線ソロを入れたり、箏の音色を使い始めていても、きっちりと向き合ってはいなかったのが、その当時の自分には思い切りハマりました。
その後、プロとして活動をしていくことを決意。
ギターの機材を全て売り払い(ギターは2本残してます)津軽三味線一本でソロ活動を始めました。
その後の経歴は以下です。

〜経歴〜

三味線バンドコンテスト「観客が選ぶNo1賞」
財団法人日本民謡協会和洋楽器コンテスト「審査員奨励賞」
バリ島、ジェゴグ楽団「スアールアグン」とコラボレーション
NTV NEWSZEROにて、平原綾香氏とコラボレーション
ネスカフェCM「違いがわかる男」で大沢たかお氏と共演
吉本芸人とのテレビ共演(テレビ東京やりすぎコージー)
フィンランドのメタルバンドWhiperedと共演
オレゴン州ポートランドにてライブ
台北にてライブ
フィリピンマニラでライブ
ミャンマーにて演奏
各メディア等、音での参加
等、様々な方面で活躍中
2021年ドイツ・アーヘンにて、世界最高峰の馬術大会CHIO AACHENの開会式で初の日本人の演奏を行う。
朗読劇「信長を殺した男2」にて、津軽三味線のみでの劇伴をこなす。

現在の山影の仕事

2020年に津軽三味線、超初心者向け講座を始める。
そして、教室も解説。のちに全ての奏者のための寺子屋
「優ノ塾」を開設。
オンラインサポートをメインとしつつも、丁寧な指導をしてくれるとの声もある。
現在も販売中。

その後、白川軍八郎を耳コピしようという企画を立ち上げ、購読型のマガジンを発行。

上達できないのは、とあることが原因でなることが多いということがわかってきました。
手の大きさ、音楽的素養、経験、一切関係ありません。
それをサポートしていくのが、優ノ塾です。

その他、バンド山影匡瑠+Joseや、津軽三味線デュオNAZNA、ソロ演奏では、各企業のパーティー演奏等、幅広く展開しています。
詳しくはお仕事依頼までどうぞ。

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