タバコを燻らせる場所と一匹の蜂。
室内でタバコを吸うことに抵抗がなくなって久しい。
タバコを吸い始めたときは両親と一緒にまだ住んでいた。自室からベランダに出て吸う。両親はタバコを吸わないので内緒だ。ベランダは兄の部屋と直結していたので、兄に目撃されない時間を見計らっていた。痕跡を残してはならないので吸い殻を灰皿に入れ部屋に戻る。
いつも通りタバコを燻らせているとき、ふと兄の部屋の窓辺に目をやる。小さな筒状の容器が置いてあり、電子タバコの吸い殻が3、4本束になって刺さっていた。同じようにベランダで吸っているようだった。
自分がタバコを吸う人間でなかった場合、兄がタバコを吸っていると言うことを知った時悲しんだのだろうか。実際は、それに気づいた時、なんだか嬉しく思ってしまった。自分と同じことをしていたからだ。ただ、電子タバコであることと灰皿を部屋に置かないことを除いて。「タバコ吸ってる?」とは兄に聞けなかったし、今だに聞いたことはない。
おそらく兄は僕がタバコを吸っていることを知らない。
それから、空気清浄機を置いて部屋で吸うようになった。ベランダで吸うことが面倒になったと言うこともあるが、部屋で、作業場でタバコを吸うことに憧れを持っていた。映画の中で作家なんかが作業をしながら吸い、そして作業を終えて一服する姿がかっこいいと思った。そもそもタバコを吸い始めたのも憧れからだったから、そこに近づきたいと言う思いがあった。
一回だけ空気清浄機を置かないで吸ったことがあったのだが、部屋に匂いがついてしまい後始末が大変だった。線香や香水などの匂いを上書きするすべを集めて匂いを誤魔化し、教訓とした。
空気清浄機に煙がたちまちに吸収されていく様は好きではなかった。
タバコの先端に生じ空気清浄機に迷いなく向かう煙。この世の決定論的な有様を見せられているようだった。そんなことを思っていた時、僕はタバコを吸う醍醐味をカオティックに揺らぐ煙に見出している、と言うことを実感を持って理解した。
我々にとって予測が困難な、非常に複雑で非規則な振る舞いをする現象をカオスといい、それは決定論と非決定論の間に存在する。決定論的な人生に絶望し、非決定論的な人生に希望を見出していた自分にとって、その間のカオスという立場は安らぎを与えるもので、その心情を理解と重ねた。
そうして一年ほど月日が流れ、一人暮らしを始めた。大学院への進学のタイミングだった。一人暮らしの部屋には最低限の全ての設備が整っており、しっかりとしたキッチンもある。そんなの当たり前だ、という人もいるかもしれないが、住むことにしたのは大学の寮・宿舎なので共同キッチンでないというのは良い方だ。
最初はキッチンの換気扇で吸い始めたが、程なくして作業机で吸い始めた。今回は空気清浄機は使わない。作業机のすぐわきにある窓を開けて吸う。
ある日、地上からある程度高さのある部屋なので虫が入ってこないだろう、と侮り網戸を開けていたら大型の一匹の蜂が入ってきた、ということがある。「うわっ!」と思わず口に出してしまったが、その声を聞き空気を読んでくれたのかすぐにUターンして外に出ていった。その間に網戸を閉めた。
「何がしたいんだよw」と心の中で言ってやったが、蜂からすればタバコなんぞを吸う僕に同じことを思ったかもしれない。
でも、どうせみんな死ぬんだ。地球規模で見れば自分の存在なんてちっぽけだし、宇宙規模で見れば人間も蜂もAIも同じ物質に過ぎない。
好きに生きてもいいだろう。多様性を認め受け入れよう。
だから蜂よ、お前も好きに生きろ。
ただし、部屋には入ってくるなよ。