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妖怪について医学的に解説してみた。

昔から日本には多くの妖怪の類型が伝わっており、その数だけ共通点や違いを見出され、アーカイブされてきた歴史がある。

その情報源は目撃情報だったり、噂話だったりと様々だったと思うが、仮に今全く同じ噂話を聞いた時に、同じように、ただただ不思議な話となるかというと疑わしい。

もちろん日本古来の八百万のアニミズムに由来している物があったり、偉い人を祭り上げるための誇張表現や、失敗を隠すための方便も多々含まれると思うが、現在まで伝わっている妖怪の類型、特に人型の妖怪の中には、今でいう精神疾患、脳の疾病や発達障害と現在では呼ばれるような物が多数含まれていたのではないかと思う。

目に見える傷があったり、痛みがあったりする「わかりやすい(わかってもらいやすい)」疾患に比べて、精神疾患や脳の基質的損傷による疾患は「見えない」為、 自分のように、そのような人達と近い距離にいるものでも、それが障害特性によるものなのか、ただ社会性が身に付いていないだけなのか分からなかったりする。

脳血管障害のように、今まで出来ていたことが急に出来なくなると、脳画像の障害部分とできなくなった行為の因果関係を想像しやすいが、同じ脳の基質的な障害であっても、発達障害の子どもでは、元々できない上に、別の方法で同じ行為を代償してしまうので、なおさら、どこが本当にできないのかわかりにくい。

メガネを掛けている人からメガネを取り上げる人はいないのに、認知症の人にしっかりしろと怒ったり、鬱の人に元気出せと言ったり、発達障害の子どもにもっと頑張れと言ってしまったり、それと同じような事をしてしまうのはその障害が「見えにくいから」である。

実際、自分もその様な人を見るまで信じられなかったが、実際今まで得意だった料理が急に作れなくなったり、テレビの字幕は読めるのに洗濯機の文字が読めなくて洗濯ができなくなる人がいる。

コレラの蔓延を死神に例えた風刺画や、魔女狩りの対象者の多くが精神障害者だったと言う噂話ように、得体の知れない事柄、理解できないものごとを、我々の祖先はその人のせいではなく、妖怪のせいだと言ったのではないか。
妖怪に取り憑かれてるのだと。決してその人が悪いのではないのだと。
誰にでも起こりうることなのだと。
その考え方は現在の医療に通じるところがある。

ここではそのような疾患を持った人々を妖怪のようだと言いたいのではなく、環境次第でその人たちの不器用な感情表現が、我々と同じ人間の心に由来するものであって、理解可能であると言う事。

そして、周囲の人の関わりによって、恐ろしい存在ではなく、ユニークな人間の多様性の一部となり得ると言う事を知ってもらいたいという意図がある。

厚労省の進める地域包括ケアシステムにより、今後地域や社会でより身近に見られる、認知症の患者さんや多種の障害を持った人達と、驚かずに付き合っていくための助けになればと思っている。

座敷童
「座敷童子は、主に岩手県に伝わる妖怪。座敷または蔵に住む神と言われ、家人に悪戯を働く、見た者には幸運が訪れる、家に富をもたらすなどの伝承がある。」Wikipedia

この手の話は日本各地に存在し、レビー小体型認知症に起因する幻覚症状によるものとの解説もあるが、私宅監置された障害者がモチーフになっているようにも思う。

裕福になるなどの逸話は、私宅監置が裕福な家でないとできないことだった時代に起因するのではないか。
また、障害を持った我が子を捨ててしまわないで、家の中で匿うという選択をできた、元々裕福で、かつ寛容で心の優しい人に富が集まったという結果論のようにも思える。

あずきとぎ
小豆を研いでいる音だけが聞こえるものや実際に小豆を洗っているものなどの伝承が残っているが、統合失調症などに起因する幻聴を原因とするものや、自閉症などの発達障害や前頭側頭型認知症を原因とした常同運動のようにもとれる。

ここでは小豆を研ぐ行動自体に問題があるわけではなく、研ぎ続けることに奇異性を見出し、妖怪という未知なるものに原因求めたのではないか。

天邪鬼
神話に由来する天邪鬼も、老婆や大男、子供の姿で描かれ、口真似をして人をからかうという。
これも自閉症や前頭側頭型認知症でみられる、エコラリア(反響言語)が元になっているように思う。
なぜ意地悪をするかわからないという健常者の意識が、この人の意思ではなく、天邪鬼という妖怪の仕業と納得するために作り出した存在のように見える。

子泣き爺
実在した老人がモデルとWikipediaにもあるように、普通はあまり見られない、老人が子どものように泣く姿を見て、不思議に思い、その理由を妖怪と言う存在に求めた例のように見える。

医療が未発達な時代、平均寿命も短く、認知症はあまり見られない疾患だったのかもしれない為、特にそれまで普通だった人がそれこそ「取り憑かれたように」ある日突然性格が変わってしまう事に驚きを覚えたのではないだろうか?

医学用語で言うと感情失禁といい、脳血管性認知症で特徴的な症状で、特に感情を抑制する脳の部位に損傷が見られる場合に見られる。

また、知的障害を持った老人の可能性も考えられる。
知能的に小学生レベルの成人は現在多数存在しているし、そのような方の中には、一見些細な事で混乱して泣いてしまうような方も存在する。現在、街で偶然出会しても、多くの人は驚くのではないか。

一見きちんとした身なりの彼らが、不意の出来事でパニックになる姿は、それまで見えなかった彼らの純粋さに、社会的に取り繕いコントロールされた自分たちの自我が露呈する様を見るようで驚愕するのかもしれない。


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