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日本の歴史の流れを簡単にまとめてみた part33「武力から言論の時代へ、自由民権運動」

江戸幕府が滅び、士族は武士として得ていた収入を仕失いました。

士族の中には屯田兵として収入を得ることが出来た人もいますが、多くの士族が収入を失い生活に困りました。

そのため、政治の進め方に不満を持った士族たちが、各地で反乱を起こしました。

たとえば、鹿児島県では、士族が中心となり、西郷隆盛を指導者として西南戦争が起きました。

しかし、西郷軍は政府の軍隊に抑えられて敗れました。

これ以降は士族の反乱がなくなり、人々は政府への不満を武力ではなく言論で訴えるようになりました。

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これは大きな出来事ですね。人々は武力では何も変わらない、むしろ言論こそが力だ、と認識し始めたのです。

時代が武力から言論へと進化します。

だから現代では、外国との交渉は、戦争という武力ではなく、言論という話し合いが行われます(戦争が無くなったわけではない)。

みんなの言論による話し合いによって日本を動かそうよ、という動きが出てきます。

板垣退助は、政府に意見書を提出して、国会を開き、国民が選んだ議員によって政治を行うべきだと主張しました。

ちなみに、国会とは、国の機関の一つです。

現代国家は、国会・内閣・裁判所で構成されます。

国会とは、国民の代表者である国会議員が日本のいろんな問題を話し合い、法律というルールを作ることでより良い社会を目指す機関です。

その国会を作ろうよ、ということを板垣は主張したのです。アメリカやヨーロッパの国会というものを日本もマネして作ろうよということですね。

板垣退助の主張は、

①国会を開くこと

②憲法を作ること

③地租(税金)を軽くすること

④幕末に結ばれた不平等条約を改正すること


などを政府に要求するものとして全国に広がっていきました。

これを自由民権運動といいます。

ちなみに、③の憲法とは、国民の権利を規定(保障)したものです。

例えば、平等権とか教育を受ける権利だとか、表現の自由だとか。この憲法もヨーロッパを参考にしたものです。

要するに、日本には憲法はおろか、国会すら存在しなかったのです。これでなにが不都合かと言うと、外国(欧米)から、野蛮国家だとみなされるのです。

憲法がない=国民の権利がない

国会がない=国民の意見に基づいた国家ではない

これはまさに野蛮。

こんな野蛮な国では、欧米はまともにとりあってくれない、その結果の不平等条約であるし、今のままでは不平等条約を改正もできない。それではまずい。

そこで憲法や国会を作って、欧米に胸を張れる現代国家になろう、というものです。

また板垣退助の主張は憲法や国会を作ることを主張するもので、これは国自由を追い求める運動ですので、自由民権運動と呼ばれるのです。

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今までは、百姓一揆や打ちこわしなど、実力行使の時代でしたね。

言いたいことがあるときは、殴り合いのけんかをしていたということです。

しかし、これは良くない、殴り合うんじゃなくて話し合いをしようよ、という時代に入ったのです。


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