2024年障害者週間(3日目):「生活保護しかない」を逆手に取ってきた障害者たち、明日はどっちだ?
国の障害者週間3日目の今日は、生活保護以外の選択肢がないという状況を逆手に取ってきた障害者たちと、「その生活保護は、今?」について述べます。
「小学校も卒業していない障害者が就労できるのか」という問題
現在、「障害児なので教育を受けられない」という状況は、概ね「その子や親の望む教育が受けられない」という場面に限定されています。しかし、それが当たり前になったのは、1979年のことでした。
1978年まで、障害児は義務教育を受けられるとは限りませんでした。親の教育の義務は、「就学免除」「就学猶予」という形で事実上免除されることが多く、小学校や中学校でさえ「行ける」とは限りませんでした。1970年代前半までのドラマやドキュメンタリーや小説などには、小学校や中学校に行くことのできない障害児の姿があったりします。もちろん、「家庭が極めて裕福なので、家庭教師を雇用」「親の知り合いに資産家がいて支援してくれた」といった、まるでヘレン・ケラーのような実例はあります。しかしながら、障害児を含むすべての子どもの権利として義務教育が保障されていたわけではなかったのです。
高校進学率は1970年に80%を超え、障害がなくても、中卒での就職の可能性は狭まりつつありました(なので、1970年に生活保護世帯での高校在学が認められるようになりました)。小学校も中学校も卒業していない障害児にとって、自らの就労収入によって経済的自立を果たすことは、多くの場合に「無理ゲー」でした。
「障害児だったので、制度上、義務教育を受けられなかった」という経験がある障害者は、1972年より前の生まれ、現在52歳以上になります。当事者にとっては現在進行中の痛みであっても、世の中的には「50年前の子どもの経験」という昔話になりました。
現在52歳以上の障害者の中には、障害ゆえに義務教育からも排除されていた人々がいる一方で、健常者として大学教育を受けて就職した後で中途障害者になった人々もいて、まことに複雑な社会となっています。
「親の家でも施設でもなく地域で普通の暮らし」を支えてきた生活保護
就労の可能性のない障害児たちにとって、最もありがちだったパターンは、
「親が健在のうちは親の家に同居、その後は施設入所」
というものでした。そこに家族による美しい支えあいの風景を妄想するのは、皆さんの自由です。実際によくあったパターンは、「親や他のきょうだいに虐待され、『生かしてやっているだけありがたいと思え』などと言われ続ける」というものでした。障害者虐待が家庭の中にあったわけです。施設入所すれば、施設の中で虐待される可能性が生まれるだけではなく、施設の決めたスケジュールでしか生活できず、外出を含めて自由を奪われる生活です。家でも施設でも虐待され自由を奪われるしかない生活を、誰が望むというのでしょうか?
施設入所していた障害者たちの一部は、1970年前後から、公営住宅に入居して生活保護を使って暮らしはじめました。就労できず、他の現金給付制度も極めて貧弱となると、生活保護しかなかったわけです。
生活保護を、生きるための基盤として充実させていった障害者たち
1970年代は、1960年代の60年安保や学生運動の名残があった時期でした。障害者たちと学生運動家たちの間には、学生運動家が「デモに車椅子の重度障害者が参加していると逮捕されにくい」と考え、障害者にとっては社会とのつながりやちょっとしたケアを得る手段ともなるという共生関係が生まれました。
しかし、生存や生活をボランティアに頼る暮らしは、「そのボランティアが来なかったら死ぬ」という事態と隣り合わせです。生活保護を利用する障害者たちは、ケア労働が職業として成立するよう、生活保護に新たなメニュー「他人介護料加算」を創設させました。これが、日本で初めて制度化された公的ケア保障です。なお、家族だからといってケアは無償でよいわけはないので、家族によるケアに対しても「家族介護料加算」を創設させました。
「他人介護料加算」「家族介護料加算」は、現在も生活保護のメニューに残っており、利用されています。しかしながら、特に「家族介護料加算」はケースワーカーにも忘れられやすい状況にあります。本年10月、堺市で約3000万円の家族介護料給付漏れが発覚しましたが、おそらく全国的な「氷山の一角」です。
障害者の「自立生活」、明日はどっちだ?
しかしながら、生活保護を使いこなして生の基盤にしてきた障害者たちに、明日という日があるかどうかは微妙です。
障害者も義務教育は受けられるようになり(養護学校や特別支援学校での分離教育の問題はありますが)、2014年以後は大学等への進学の可能性も広がっています。十分な教育は、「障害者だから就労できないし稼げない」という状況を遠ざけつつあります。それ自体は非常に好ましいことです。さらに2000年以後の社会保障削減路線で、「生活保護利用の障害者でもお金を稼ぐべき」という方向性が強まっています。
これらが重ね合わせられたところに、「障害と生活保護を逆手に取って」という可能性は、どれだけ残るでしょうか?
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これらの史実は、拙著『生活保護制度の政策決定 「自立支援」に翻弄されるセーフティネット』第5章で、暑苦しく詳細に論じております。
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