サラリーマンだった私が、「文春」や「Number」で記事を書き、やがて本を書くまで。♯2捨てる神あれば拾う神あり
会社を辞めてから、書く習慣を身につけようと始めた日記はもう20年以上になる。
ためしに昨年の今ごろを読み返すと、ちょうど思案に暮れていた時期だった。
書籍の企画書を書き上げ、文藝春秋さんに持ち込んだものの、あえなく撃沈。他社さんの意向も伺ってみては、と勧められたものの、知り合いは皆無……。さて、どうしよう、というのが前回の話である。
残された道は2つだ。諦めるか、否か。
当然、諦めたくない私は後者を選んだ。
普段、ネット上でスポーツものが読みたくなったときはNumberWebをよく開くが、お気に入り登録しているサイトがもう一つある。それがWebスポルティーバだ。
集英社さんが運営するスポーツ情報サイトで、幅広いジャンルを網羅する。もしかしてこちらなら話を聞いていただけるかもしれない。そんな考えで、初めて目にした番号に電話をかけた。
おそらく、つながったのは総合窓口だったのだろう。説明するも、なかなか話が通じない。ただスポルティーバさんの編集部につないでほしいだけなのに、不審に思われたのか、あえなく電話は切られてしまった。ガチャ。
アッ…アイヤー……。
うーん、厳しい。そもそも電話すらつないでいただけないのなら、説明のしようがないではないか。
その時のことはちょっとしたトラウマなのか、日記を読み返しても1行も触れていない。ただ、別のサイトから編集部の電話番号を調べ、なんとかダイレクトで電話をつなげることができた。
受話器の向こうの編集者の方に事情を説明し、そういうことであればまずメールで企画書を送って欲しい、という流れになった。
もちろんすぐに送り、その返事を1週間ほど待っただろうか。
淡い期待をしていたが、やはり返事は厳しいものだった。
「いきなりの書籍化は難しいですね……」
よく言われるように、今は本が売れない時代だ。出版社としてもリスクは負いにくい。さらにいえば、箱根駅伝の本がどれほど世間に受け入れられるか(売れるか)という不安要素があるようだった。
これまで駅伝の魅力をトリビア風に紹介する本や、指導者が自身の哲学を語った本はあるが、物語としての箱根本は数が少ない。箱根を題材にした小説はあっても、ノンフィクションとしての作品はなかった。
いや、あるにはあるのだ。日本テレビがいかにして不可能と言われた生中継を可能にしたか、戦中に開かれた幻の大会に迫った本などは、私も読んだことがある。
だが、レースを正面から描き、監督や選手、ならびに審判や大会関係者など、多くの証言からモザイクのように駅伝の面白さをあぶり出していくような本はなかったように思う。
ないということは、すなわちリスクだ。テレビ中継の視聴率は高く、箱根の記事はWeb上でもよく読まれるというデータはあるが、それがそのまま本が売れるという証明にはならないのである。
なにより(辛いけれど認めないといけないのは)、ライターとしての私の力量が、企画の説得力に欠けていたのだろう。
いくら文春やNumberに記事を書いていても、署名入りの本や他誌への寄稿がほぼなければ、その二誌を読まない方にとっては実体がないのに等しい。
ましてや、このnoteを始めるまで、ツイッターを含めたSNSなどはまったくしてこなかった。この辺りをもう少し改めるべきではないか、というのがこれを書いている理由でもある。
結論を言えば、この企画書は今も宙に浮いた状態にある。どうすればいいのか、一年が経った現在も思案に暮れている。
では、お前はいったい何の本を書いたのか。この話にはまだ続きがあるのだ。
捨てる神あれば拾う神ありで、スポルティーバの編集者さんから、「せっかくなので、うちでも一つ箱根の記事を書いて下さい」と依頼を受けた。(ありがたい)
それが、青学大の原晋監督のインタビュー記事で、Webスポルティーバに初めて掲載いただいた原稿になる。
最強世代と呼ばれた4年生が抜け、危機感を持って指導に当たっているという監督の率直な心情をつづった記事で、身も蓋もない言い方をすれば、よくある形式のインタビューなのだが、それがまた別の編集者の目に止まるのだから、縁というのは不思議である。
この記事が公開されて数日が経った頃、見知らぬ方からメールが届く。
一つ目の本の依頼だった。(つづく)