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英語資格の勉強法⑶  結局、資格試験に合格する「実力」とは何なのか?③

こんにちは。

「英語資格の勉強法」というタイトルで5回目の投稿となりますので、そろそろまとめに入ります。

3.「その分野に関する(自前の)体系」

(1)「知識」+「お作法」=「実力」なのか?

ここまで触れてきました①知識と②お作法というのは、もちろん「英語の実力」にも関係はありますが、どちらかというと「試験対策」の素養に大きく関わる話です。

もちろん、結果を出すのも「実力」のうちという意味では試験対策も必要な要素に含まれるかもしれませんし、「英語の実力がある」と人から認めてもらうためには「その英語資格試験が受験者に要求する①知識と②お作法を身につけている」ことを示せなければ説得力がありません。

それでは、①知識と②お作法さえ身についていれば、その人は「実力がある」と評価されるのでしょうか?

たしかに、大学受験に合格するだけなら「知識」だけで乗り切れる場合もあるでしょうし、過去問を研究してその大学の入試が要求する「お作法」まで身につければ、その受験生は通常は合格レベルに達しているでしょう。

しかし、多くの大学合格者は(筆者自身もそうでしたが)目標とする大学に合格した時点でも英語の体系を自分のものとするには至っていない。だから、大学に入ってしばらくすると、あれだけ覚えたはずの単語・英文法知識でさえあっという間に引き出せなくなり、読めたはずの英文も読めなくなり、バイト家庭教師先の生徒からの基本的な質問にも立ち往生してしまう。

こういう状況にある人のことを、世の人はふつう、「英語の実力がある」とは呼びません。

(2)「実力がある」=「〈自前の体系〉を持っている」

結局、その学問分野について「実力がある」と言えるためには、①知識(英語資格であれば受験時点の「手持ちの英語知識」)と②客観的に要求されるお作法のほかに、③当該学問分野の「自前の体系」(英語であれば、自前の英語語彙・英文法体系を身につけていることが必要なのではないでしょうか。

自前の体系が身についているから、知識の欠ける分野の問題が出されても「当たらずとも遠からず」な解答・応答ができるのです。

自前の体系が身についているから、2ヶ月の受験対策でも、必要な①知識をアップデートしつつ試験で要求される②お作法を身につけて何とか試験に合格できるのです。

何より自前の体系があるから、今問われていることが、既存の知識・主観的技能で解決できることなのか、調べたり確認したりしなければ回答できない事項なのか(また専門的資格試験の合格者であれば、専門家として「確認すればわかりますよ」と答えて良い事項なのか、そうでないのか)が瞬時に分かるのです。

自前の体系が身についていない人は、たとえ個々の知識・技能があってもこれができないこれができない人のことを、世間ではやはり「実力がある」とは呼ばないはずなのです。

(3)「学問的体系」と「学習用体系(=自前の体系)」


さて、ここまで「自前の体系」などという造語を突然何の定義もせず持ち出し、それこそ論述の「お作法」を無視した乱暴な議論を展開していることに怒りを覚えておられる方もいるかもしれません。以下に詳述しますので、その点はお許しください。

まず、筆者は別稿において、「体系」を「個々の知識一定の原理にしたがって相互に関連づけた全体像」と定義しました(この定義自体は辞書的なありふれたものと理解しております)。

その上で「体系」には学問的体系学習用体系があると私は考えています。

学問的体系」とは、ひとりの学者・研究者がその学問分野に自分の研究者人生を賭けて刻苦勉励を重ねた末に「あたう限り例外の無い完璧な体系」の構築を目指して作り上げらるものです。こうした作業は、その学問分野を専門とする研究者の領域であり、たかだか資格試験に四苦八苦するような凡人にはとうてい手が出せるものではありません

一方の「学習用体系」というのは、上記の「学問的体系よりも、はるかにユルく、フレキシブルなものであり、またフレキシブルであるべきものです。すべての学習者が「学習のゴールとして身につけ、かつ、学習を続ける限りアップデートし続けるべき自分のための体系」というものが、学問的体系とは別にあり得ると筆者は考えます。そしてこの「学習用体系」こそが上記の〈自前の体系〉の中身です。

学問的体系」が学者の、アカデミズムの世界で主として使用されるものであるのに対し、「学習用体系」というものは、学習者が当該学問分野を学び、自らの学びをアップデートしていくために、自ら形成し自分のために使用する体系という点で大きな違いがあります。

また、「学問的体系」はひとたび公表・開示してしまったら、おいそれと取り下げたり修正したりできるものでも、すべきものでもありません。(そんな研究者のことは誰も相手にしなくなるでしょう。)一方で、「学習用体系」は、(本質的知識・事実に対するリスペクト(敬譲)と「学問的体系」に対するリスペクトがある限り)自分の学習進度に応じて、どんどんバージョンアップさせることができるものだと思います。何せ、〈自前の体系〉ですから。

この使い勝手の良い〈自前の体系〉を持っていること、それが資格試験における「本当の実力」であると考えます。

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