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コミュニケーション英語がダメなのか?
気づけば1月も後半ですね、、
大変ご無沙汰してしまいました。m(_ _)m
3PBラボです。
1.コミュニケーション英語は…
さて、これまでの拙稿では、新学習指導要領で大幅に取り入れられるようになった「コミュニケーション英語」を<親のかたき>か何かのように批判してきました。
しかし、議論の前提として、私の基本スタンスを申し上げれば、
1)英語がお好きな方は、英文法でもコミュニケーション英語(英会話、英語ディベート・ディスカッション等)でもドンドンおやりになって下さい。
2)学生時代に旧課程で英文法をガッチリ習った世代の方たちが、社会人になられてから必要に迫られて英会話(等のコミュニケーション英語)をなさる場合も、ぜひ頑張ってください!と申し上げたい。
「コミュニケーション英語だから、英語としてダメだ」と申し上げてきたわけではありません。
2.問題なのは…
これから中学校に入って本格的に(小学校英語のような「おためごかし」にもならない「おママゴト英語」は数に入れずに)学校で英語を習わざるを得ない(さらには家庭の事情で「学校で習う英語しか学べない」)生徒たちに、コミュニケーション英語などという体系の無い英語を教えたらどうなるのか?ということです。
まあ、まず半分以上は中1の2学期の時点でチンプンカンプンです。
中学受験組で、それなりの知的トレーニングを経てせっかく中学校に入った子でも中1の英語ができない。こんなことは従来、ありえなかった事態です。
日本の英語教育のレベルが一気に明治時代に戻ってしまった感があります。
司馬遼太郎の『坂の上の雲』の最初の方に、正岡子規と(日本海海戦の作戦起案を実質的に一人で行った)秋山真之が今の東大受験のための予備校で、のちに首相・蔵相となり二・二六事件で暗殺される(若き日の)高橋是清から英語の授業を受ける、というくだりがあります。
今の学校英語に比べると、高橋是清が正岡子規・秋山真之に教えた、当時の英語の方がはるかに体系立っていたのではないか、とすら思えます。
3.体系の無い授業というものは…
体系のある英語の授業(つまりは学校英文法をガッチリ教える授業)を受けていたならば、その授業中に理解できなくても体系を後追いすれば、いずれ理解できるようになります。
あるいは、学生時代にはイマイチ理解できていなかったとしても、社会人になって英語を学びなおす(リスキリングの)必要が生じたとき、ウッスラでも英文法の記憶があれば「ああ不定詞ってこうだったな」とか「仮定法って、会話ではこう使うんだ!」等のやり直しが可能になります。
しかし、新課程のコミュニケーション英語しか教わらない生徒たちは、決定的にこれができなくなります。
つまり、将来、英語をやり直すための「黄金の架け橋」が今の中高生からは政策的に奪われたのです。新課程の中高生ならびにその親御さんは、そのことにもっと怒りを覚えてしかるべきだと思います。
塾や予備校に通える生徒とそうでない生徒との学力格差(将来の経済格差)が政策的に生み出されているわけですから。
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