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【自己紹介】noteはじめてます

noteをはじめて、はや6ヶ月。
だんだんと、記事の作成にも慣れてきました。

そんな中、気付いたのが「自己紹介してない…」ということ。
少し過去に遡ってみたいと思います。




1 「とにかく頑張る」な毎日

生まれは埼玉ですが、父親が転勤族で幼少期は大阪で過ごしました。

サッカーや水泳、そして英会話教室…「とりあえず今やっていることは頑張ろう」と毎日必死でした。
苦しい時もありましたが、我ながらよく頑張ったなと思います。

中学校は都内に転勤。サッカーを続けることに。
その後もなんだかんだ、サッカーだけは高校まで続けました。

2 大学に入って将来を考える

大学は都内の私立学校。
高校からのエスカレーターで進学しました。

大学は国際関係の学部。
周りには英語ができる人がいっぱい。
就職先は英語を武器にできるようなところを志望する傾向がありました。

「自分は何になりたいのか」。紆余曲折ありましたが、進路は「地方公務員」にしました。

※就職先を悩みに悩んだことをまとめた記事があります。⬇︎

ちなみに、この学部で妻と出会いました。
妻はアメリカの大学を卒業してから編入してきたので年上ですが、その妻の存在も、私の進路に大きな影響を与えてくれました。

3 地方公務員になった今

入庁したのは埼玉県内の指定都市。
いま思い返すと、下調べ不足が過ぎました笑。

入庁前の面談で、希望部署を「福祉」と答えた私。
頭の中では「福祉=障害政策」でした。ゼミで研究していた「発達障害者向けのSNS」を、政策にしてみたいと思っていました。

しかし、実際は「福祉=生活保護」だったみたいで、区役所の福祉課になりました。
当然、入庁初日に知った私は「生活保護のケースワーカーってなに?!」っとびっくりでした笑。

その時のことは、こちらの記事でまとめています。⬇︎

そんな1年目に結婚。
仕事に慣れ始め、OJTにもなった3年目に長女が誕生。

初めての子ども。とにかく可愛い!
ただ自分もまだまだ若手。
給与も少ないので、「今はまだ仕事優先」と割り切り、妻とも相談した上で育休などは取得しませんでした。

4年目には本庁勤務。配属先は観光部署でした。
その時の業務は、簡単ですがこちらにまとめています。⬇︎

慣れない本庁業務に四苦八苦しながらも、コロナ禍の6年目に次女が誕生。
この時に、育児休暇を取得しなかったことは今でも悔いています。
気持ちは揺らぎましたが、当時部署内では他に病気休暇が1名に、コロナ給付金対応にほとんどの職員が駆り出されている状態。
「ここで育休を取ると”薄情者”扱いされるのではないか」、「ここで頑張れば評価が高くなるかも」との感情でした。

8年目に大学院へ1年間の派遣。
大学院では、国家・地方公務員だけではなく、医者や民間企業など様々なキャリアの人がいました。
「自分は公務員として何をしたいのか」、そして「自分は今後どんなキャリアを築き、どんな人生を歩みたいのか」。
ライフキャリアを見直す、良いきっかけとなりました。

帰還後に経営企画の部署。
この時には、働くことに明確なビジョンがありました。
「”無理・無駄・ムラ”をなくし、家族ファーストの働き方」をモットーに、残業は必要最小限、在宅勤務や有給休暇等は積極的な活用を心掛けました。
そして10年目のいま、初めての育休取得です。

4 育休中だからこそ「note」を書く価値がある!

noteを始めて、私自身を少し好きになれた気がします。

自分が今までどんな人生を歩み、どんな感情で過ごしてきたのか。
これまで言語化できていなかったことが、noteに書くことで露わになり、そして整理されて消化されていく…そんな実感があります。

SNSは今まで一通り始めていますが、どれも長続きせずROM専な私。
ただnoteは、リアルな友人との繋がりがないから、気負いせず、着飾らずに続けられる気がする。

そして、私と同じ思いの人と繋がって共有したい。
私の経験や学びを発信することで、誰かの役に立ったら嬉しい。

そのために、育休中である今は、どんどんnoteを書くペースも上げたい!
そして、育休から復帰した後も、ここで発信し続けたい!

そんなことを考えている今日この頃です。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。


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ぺいパパ@3人子育て公務員
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