変わらないもの。【短編小説】
今回も青ブラ文学部さんのお題【春めく(活用形も可)】とシロクマ文芸部さんのお題【閏年】を合わせて短編小説を書いてみました。
三羽さんの『イチオシ』企画にも参加させていただきました。
#itioshi
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閏年の2月29日、その閏日がミサキの命日だ。
たったの4年に1度しか訪れない大切な命日。
ケンとミサキの出会いも春だった。あの頃は季節が巡る度に2人でいろんな思い出を作りに出かけた。
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「今年の春も楽しみだね。」
そう言って楽しそうにミサキは花見の予定を立てている。そんなミサキにケンは何気なく尋ねる。
「また花見の日は何か作って持っていくの?」
「そうだね、今年はどんなお弁当にしようか。」
「ミサキの卵焼きは絶対外せないね。」
「ケンくん卵焼き大好きだもんね。」
微笑むミサキはリビングの机で紙におかずの内容を書いては悩み、手に持ったペンを軽く揺らした。
そんなミサキをソファーから見つめる。学生の頃から付き合って3年ともなれば結婚を考えてもおかしくはない。それでもミサキは、焦らなくても大丈夫と言って、気にしない素振りで笑っていた。
ケンは今年、職場で役職がつき収入の基盤が整ったことを機に2人が出会った春の季節にミサキへプロポーズする気でいた。
しかし、ケンにその春が訪れることはなかった。
2月29日、それは4年に1度の珍しい日。
ミサキはケンに少し豪華な夕飯を振舞おうと買い物へ出かけていた。その帰り道、ミサキはひき逃げ事故に巻き込まれた。その後も犯人が捕まることはなく、ケンは唇を噛むような日々を過ごした。
あの閏年以来、ミサキのことを忘れられないケンは、2月29日という命日のない年が憎ましいものでしかなかった。ケンにとって、その年はまるで世界からミサキの存在が消されたような、忘れられたような感覚だった。
そして、そんな年でもミサキの命月には周りが素知らぬ顔で春めきだす。そんな春をいつの間にかケンは嫌いになっていった。
ケンの心にぽっかりと空いた穴が埋まることはなく、まだどこかにミサキを探しているようだった。あの笑顔にもう一度会いたくて、休みの日は2人で行った場所を巡っては悲しみに浸った。
どれだけ時が経ってもミサキを好きな気持ちはあの時のままで、思いを伝えられなかった後悔や無念が募っていく。
「ミサキ…ごめんな…」そう言ってケンは2人で買ったネックレスを強く握った。
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家に着き真っ暗な部屋の電気を付ける。手付かずで散らかったままの部屋を進みソファーに座り込んだ。ケンはミサキを失ってからというもの、ボーッと遠くを見つめて過ごす事が増えていた。それはミサキと付き合う前の1人で過ごしていた頃のケンに戻ったようだった。
生きる意味を見いだせなかったケンにその意味を与えてくれたのがミサキだった。
「ケンくん、せっかくだから行かないともったいないよ。」
そう言って、なんの希望もなく死んだように生きていたケンの手をミサキは何度も無邪気に引っ張ってくれた。
「ほら、凄くいい所でしょ?」なんて少し得意げに風を感じて夕焼けの海を見渡すミサキは何だか輝いていた。そんなミサキに恋をしてケンの世界は変わった。色んな景色とそこに居るミサキを見ることが生きる希望に変わっていった。
それが今となってはまたあの時のケンへと戻ってしまった。不健康な生活と無意味な時間、囚われた思い出。そんな日々を過ごすケンの目に光が差すことはなかった。
命日のない2月。月の最後の日、ケンはミサキの実家を訪れていた。ミサキの母から、ケンの家にあるミサキの物を渡してほしいと連絡があったからだ。ケンはダンボールに詰め込んだミサキの荷物を渡す。
「これで最後です。」
そういうと彼女の母は、疲れただろうからお茶でもどうぞとケンを家へあげた。
ケンはミサキの写真が飾られた仏壇に静かに手を合わせた。
「ごめんなさいね、突然こんなこと言って。」と、彼女の母は俯いている。
「いえ…とんでもないです。」そう返すとお茶を差し出しながら彼女の母はこう言った。
「ケンくん、ミサキのこと、いつまでも忘れられないだろうから。」
その言葉にケンは何も答えることが出来なかった。
「これ…ミサキの部屋にあったの。」そう言うと、彼女の母は引き出しから出したノートを見せてくれた。
そこにはケンと過ごした日々や訪れた場所の事が楽しげに書かれていた。ケンはそのノートを静かに、そして一つ一つ確かに読み進めていく。読み終わった頃には、落ちた涙でノートの文字が滲んでいた。
「ありがとうございました。」そう言ってノートをそっと返した。彼女の母はそんなケンを見て優しく微笑んだ。
「お礼を言いたいのは私の方。今までミサキのことをありがとう。それとね、ケンくんには伝えておこうと思って…ミサキが亡くなる前に言ってたの。今度は2人で行った丘の先にある教会に行ってみたいって。」
「はい…僕もその事はミサキから聞いたことがあります…」ケンは小さく答えた。
「ミサキはケンくんと新しい所へ行くことをいつも楽しみにしてた…あの子はいつも進む事を恐れない子だったから…だから…」そう言うと彼女の母は少し唾を飲むようにこう言った。
「ケンくんにも、前に進んでほしいの。」
その言葉を聞いてケンは少し俯いた。まだ心のどこかに引っかかった骨を取り切れず、ケンは心無く返事をする事しかできなかった。そうして彼女の家を後にした。
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ケンは彼女の母に言われた言葉と、生前ミサキが話していた教会のことを忘れることができずにいた。
程なくしてケンは教会を訪れた。中に入ると陽の光に輝くステンドグラスに目を奪われた。見とれていると何処からともなく鐘の音が聞こえてきた。春の日差しは空間を暖かに包んでいた。
ケンはミサキを失い自分の心が壊れた音にも気付かず、ただあの頃の思い出を胸に抱えたまま進めずにいた。ミサキとの思い出の場所を巡っても動くことのなかった心が、何も知らない初めて来たこの教会で動いたのをケンは感じていた。そして、進む事を恐れないミサキが見ていた景色と、立ち止まったままの自分の今に気づいた。
このままじゃダメだ…。ケンはそう思った。だけど、今まではミサキがいたから前に進めていた。ケンはまだ1人で進む感覚が掴めずにいた。
教会の帰り道、ミサキと2人でたわいもない会話をしながら通っていた道を歩く。歩きながら教会のことを思い返した。いつもはミサキがケンの少し前を歩き、振り返って笑顔で楽しげに訪れた場所のことを話していた。なんだか今もそんなミサキが自分の前にいる気がして、ふと顔を上げる。そこにはミサキが居なくなってから見ることのなかった空があった。夕日が差しほんのり赤く染まった空と少し暖かな空気に心が綻ぶ。ケンは何故だか少しだけ前に進めた気がした。
そして、ケンは最後に1度だけ、今すぐにでもミサキに会いたくなった。彼女に直接この気持ちを伝えたくて。
ED:奥 華子『変わらないもの』
了.
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メインの小説はどうでしたか。
この後にデザートでもいかがですか。
ということで、私がこれを書くに至った経緯や意図、その時の思いや感情などを知りたいと思った方はぜひ以下リンク先の『閏年と奥華子さん。【デザート】』を読んでみてください。
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2024/3/16 投稿作品。
今回の小説の続編を書きました。
あの日、少し前に進めた気がしたケン。その後もケンは前に進むため日々向き合う。そんなケンに思いもよらない出来事が訪れる。ケンの心に生じた葛藤の行方は…。