誰も幸せにならない善意のつもり、善意。
先日、故あってドローンか望遠レンズが欲しくなって、どっちかだけでも買おうかと電気屋をうろうろしてたんですけど、実際に現物を目の前にすると、急速に物欲が無くなって、「まぁ今すぐじゃなくても良くない?」とひよってしまい、代わりに(?)本谷有希子の文庫を買ってバスを待つ。
まだ次のバスまで時間はあるけども俺には本谷有希子の文庫があるので先頭のベンチに座って読みながら待つ。
「なんだか久しぶりに小説読むなぁ。これが数百円で読めるってヤバいなぁ」などと別に本谷有希子でなくとも覚える感想を抱いていてふと顔をあげると俺の横にまぁまぁの列。時刻は夕刻。
学生さんやOLさんっぽい人が多い。みなさん仕事帰りですかね。俺の横のベンチは空いているけど誰も座ろうとはしていない。まったくもって一日ぶらぶらしてた俺と仕事or学校帰りの疲れきったみなさん。なんとなくの罪悪感はあるけれども。座りたければ座ればいいじゃない?3minitの横、空いてますよ。ソーシャルディスタンスってやつですかね?でもバスに乗れば距離もクソもありませんよっと。
まぁ見た感じ年寄りも病気持ちの方もいなそうだし、俺が立って空のベンチを作る必要も感じないしね。とか思ってたらバスが来て、俺は先頭にいたのでバスに乗り込んでからも悠々とイスに腰掛けたわけです。
まぁまぁな人数が並んでいたので全員は座れずに立っている人もいました。俺は入り口からすぐのイスに座っていて、ここから見える範疇ではみんな元気そうだから大丈夫かなと思ってまた本を読み始めました。
2、3バス停を過ぎた頃、母親らしき人と小さい女の子が乗ってきました。
女の子は多分、1〜2歳、明確な単語は発せず「うー、うー」とか言いながらうろちょろしようとしてました。お母さんは「ほら」とか「だめ」とか短く言いながら、娘を諫めていました。
「これは…。どうしようかな。まだ新生児で抱っこしているような状態なら譲るんだけどな。まぁ元気そうといえば元気だしな。ありがた迷惑かな」とか思ってたら女の子は活発な子みたいでお母さんの手を振りほどくように動き始めました。お母さんは片手では抑えきれなくなり「ちょっと」と言って両手で女の子を抑えました。
必然、どこにも掴まれなくなったお母さんはよろめいて、バランスをとるのが大変そうに見えました。これは座った方が楽だろう。と思い、
「座りますか?」
声は掛けたものの、返事は待たずに、スッと立って席を譲りました。俺の中では「すみません」とか「ありがとうございます」とか無意識に期待していたのだけど、お母さん無言。入れ替わるようにイスに座りました。
「人見知りの人なのかな。おっさんにいきなり声かけられてびっくりしたのが先にきたのかな。もっと明るい声で言った方が良かったのかな」とか思いつつ、まぁいずれにしろ座った方が楽だろう。良き良き。と思いつつなんとなく二人には背を向けて立っていました。
そして次のバス停に着いた時、親子は立っている人の間を抜けて、バスを降りていきました。
「早くない?バス停ひとつ分?あれ?俺、気を使わせた?」
本当にバス停ひとつ分だけ乗った可能性は無くは無いとは思いますが、個人的にはお母さんが「迷惑をかけてしまった。いたたまれない」と思って降りてしまったのでは無いかと思いました。どうすれば正解だったのか。無視した方が良かったのか。とにかく「あぁ、やっちまったな」という気分だけが心に残りました。
バス停ひとつ分だけ親子が座っていた席に、また腰掛けて。
まぁ、そんなこともあるよね。という話でした。