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遊び込む大切さ

子どもの頃、日が暮れるまで遊んだ。

小川にザリガニ釣りに行って、虫かごいっぱいにザリガニを入れどうなるのかを観察したり、桑のみ畑で桑の実を食べて。夏は近所の森に早起きしてクワガタをとりに行った。

ヘビに出会ってびびって、瀕死の子猫を発見して仲間と秘密基地でこっそり飼って。でも死んでしまって。

近くにあった小川の源流があまりにも神秘的で冒険家になったつもりで夢中で探検した。

でも近所の人に勝手に入るなと怒られて。

三輪車が乗り物だけじゃなく、焼き芋屋さんになって、工場になって。

お砂場は山になり、海になり、トンネルができて

いつの間にか国と国を繋ぐようなことになっていて。

 

子どもの頃の遊びは、自分の世界をいくらでも広げていけたし、大人から与えられるものではなく、自分で見つけるものだった。見るもの触れるものみんなキラキラしてたな。自分でいくらでも創れるものだった。

そして生きることそのものに直結していたように思う。

自分のアイディアに仲間のアイディアが加わって

世界がどんどん面白くなるから時間を忘れて遊びこんだ。

世界は楽しい!と思っていた。

子どもの時のあの遊び込んだ感覚が今の私の土台になっている。

子どもたちには、そんな環境を整えてあげたい。

そう願っていたことをふと思い出した。




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