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一夜明けて、黒猫は病気なんだと実感が湧いてくる

我が家で飼っている3匹の猫たちのうち、一番大きくてパワーもある黒猫は病気であることが分かった。

2日前に嘔吐を繰り返し、いつもと違って元気が無いので、病院に連れて行き、血液検査の結果、腎臓が悪いと指摘された。(恐らく腎不全)

一時的な症状なのか、それとも腎臓に問題があるのかは、検査できなかったため分からず、とりあえずは薬と食事療法で様子を見る事になった。

血液検査の結果を告げられた時

病院に行って来たのは昨日なのに、ものすごく前の出来事の様に思える。



腎臓が悪い事を告げられた夜は、家に戻って薬をあげた後、いつも通り眠った。

朝が来て、黒猫がベッドの上にいたので、思わず触って、息をしているか心臓が動いているか確認してしまう。心なしか体温も低く、鼓動も弱い様な気がした。

調べてみて分かったが、腎不全で末期の場合は、あまり多くは望めない。暴れまわるので詳しい検査ができず、腎臓に問題があるのは分かったが、どんな状態で、後どのくらい生きられそうなのかが分からない。

状態の悪い子だと、症状に気づいた時は、かなり悪くなっており、極端な場合はその後、数日で亡くなってしまう事もあるらしい。

自分達の立ち位置が分からないと不安になるが、同時に知りたくないと言う気持ちもあった。

腎不全の末期で、後数日しかありません、って言われてしまったらどうしたらいいんだろうか。



薬は朝と晩にあげる事になっているので、朝起きてしばらくしてから飲ませた。もちろん嫌がって抵抗するが、後ろからがっちり押さえて、注射器でピュッと口に入れる。

黒猫は飛び上がって逃げ、私を恨めしそうに見ながら、「まっず~」とでも言いたそうにペッペッと薬を吐き出す。注射器で喉の奥まで入れているので、全ては出ないだろう。

その後水を飲みたそうにしているので、お水を取り替えてあげたのだが、何かを躊躇しているのか飲まない。

お水を再び新しくしたり、別の器にしてみたり、口元に持って行ったりしたのだが、飲まない。

そのうち、来客用のトイレに行き、トイレ(便器)を開けろと言う仕草をするので、なんだろう?と不思議に思いながら開けてみると、その上に飛び乗り、便器めがけて真っ逆さまに飛び込もうとする。

慌てて抱きかかえて止めたけれども、トイレの水を少し飲んでしまった。(溺れたのではなく、黒猫が自ら飲んだ)

なんで?どうして??

飲み水は用意してあるし、新しくしているのに、それらには見向きもせず、トイレの便器に行きたがる。どんな事態になるのかが分かったので、便器の蓋はもう絶対に開けない。

そのうち、諦めたらしく、黒猫はベッドに戻ってうとうとし始めた。



黒猫は大丈夫だと思いたい気持ちはあったが、念のために、アメリカにいる元夫と娘、カナダにいる息子に、黒猫の体調は良くない事は伝えておいた。

元夫とは連絡取りたくなかったが、猫達は私達にとって子供のみたいなものなので、知らせる義務があると思っている。

元夫は、意外にも私を責めたりはせず、病気の時にどうすればいいかをあれこれ調べて送ってきた。あまりに長文なので全部は読まなかったが、その気持ちはありがたく受け取っておくことにした。



今日は平日だったが、黒猫の様子が気になってしまったので、仕事はお休みした。幸い重大な会議なども無い。

以前の私なら後ろ髪引かれながらも仕事に行ったと思うが、今は黒猫の様子を見たい。毎日家にいるのは無理だけど、今日だけでも様子を確認しておきたい。

そうしないと後悔すると思うから。

自分の気持ちを正直に受け止める事ができる様になってきたな、と思う。



今日は2回ほど吐いて、それ以外は大人しくベッドやベッド脇のサイドテーブルの下でウトウトしていた。

体温が下がると聞いたので、毛布を掛けてあげるのだが、嫌なのかすぐに出てしまい、また私が毛布を掛けてあげる→またしても出る、を繰り返し、ベッドの上にミノムシみたいな毛布が残った状態になった笑

触ってみてゴロゴロと弱々しく喉を鳴らす時、
薬をあげようと抱っこするとあまり抵抗しない事に気づいた時、
規則正しくお腹が上下しているのを見た時、

ああ、まだ生きているんだなあ、と嬉しくも思うし、
あれ、こんなに弱くなってたっけ?と悲しくもなって、

ふとした時に何度も涙が出て仕方がなかった。

まだ生きてて嬉しい。
でも確実に死が近づいているようで怖い。

死ぬのはもっと先の事かもしれない。
私が勝手に諦めて泣いてたらダメじゃないか、と思う。

そして、たとえ死が近づいていても、
今生きている事が大事なんだ、と思うのに、
先の事ばかり考えてしまうのをやめられない。

黒猫にしてみれば、これからも一日一日を淡々と生きるだけの事で、
ああしてあげよう、こうしてあげようとか考えているのは、
所詮飼い主のエゴなのだろうと思うけど。

胸がぎゅっと苦しくて、涙が出る度に、
そうだ、もう少しで生理だから、これはPMSなんだ、ホルモンのせいなんだ、と思い込む様にした。



黒猫は夜の20時頃になって起きてきて、お水のところに行ったりと何か食べたそうだったので、そう言えばと思い、ちゅ~るとウエットフードをあげてみる事にした。

胃腸に負担のかからない、水分が多くて、やわらかい食べ物のほうが良いと書いていたはずだ。

すると、「あれ、お腹空いてたわそう言えば」とまるでその時になって思い出したかの様に、バクバクとちゅ~るを食べ始めた。

ちゅ~るだけでは足りなそうな様子だったので、ウエットフードもあげたが、上澄みを舐めて、固形部分はちょっと食べにくそうにしていた。

一生懸命に食べているのを見ていると、生きる気力を感じられて嬉しかった。

その後、薬をあげて、トイレでおしっこしたのも確認できたので、何やらほっとした。今はベッドの定位置で丸くなっている。

今日も一日を過ごせたな、と感謝したい気持ちになる。



ペットでも人間でも、毎日死に近づいている。

それなのに私たちはついそれを忘れて永遠にこの時が続く様に思ってしまう事がある。

今回の事で、私たち全員がたまたま地球上で一時的に出会っただけで、出会った瞬間からお別れへのカウントダウンが始まっているのだと思い知らされた。

黒猫とのお別れの足音はひたひたと、しかもスピードをあげて近づいている。

それを止める事は誰にもできないから、その時が来るまで一日一日を大事に過ごそうと思うのだった。

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