毒を跳ね返す「心のバリア」は存在するのか?
自粛生活が世界的に推奨されるようになって1年以上が過ぎた。
コロナがもたらしたのはライフスタイルの変化だけではなくて、「気兼ねなく連絡を取り合える関係性」や「自然と互いを思い合える相手」も顕在化したと最近の私は常々実感している。
コロナによってフェードアウトしていった人たち、近くなった人たち。
離れ離れになるからこそ、私と恋人は一緒に暮らすことを決めた。会わないからこそ、毎日のようにゲームの話を気楽にメッセージし合う友人もいる。
私生活にも介入しようとしてきた仕事先を断腸の思いで昨年は切り捨てた。生活の変化で遠ざかった友人関係もあるし、突然に横から殴りつけてくるような言動や出来事とも度々遭遇したりもした。
社会との距離。人との距離。
その近さや遠さに順応できない間は、ビール片手にnoteに向かって私の闇を注いでいた私ように、変化に追いつけない、あるいは変化を拒みたい人たちの中には、その苦痛や苛立ちを他者にぶつけて以前の状態を取り戻そうとする人たちも当然、現れる。
私にとって、その最大の毒質人間こそ、私の両親だ。
1.距離がもたらす安寧と攻撃
私の母は、毒をもって毒を制して生き抜いてきた人なので、毒をもって他者を支配することで己のアイデンティティを保っているように見える。
ひと言で表すならば「毒親」だ。
支配的な母は、アンビバレントな心情を私に向け、私に”自立した強い娘”であることを望みながら「自立できない弱い娘」であることをほぼ毎日、私に言って聞かせた。私の自立ムーブメントを感知しようものなら、すぐにアラームが発動。罵詈雑言と物をぶつけて「自立できない弱い娘」として私の膝を折り、身動きできないようにして服従させてきた。
理想的な両親のもとで育った私の恋人は、こうした関係性の成立を未だに信じられていない様子だ。毒質的な人間がいることを知ってはいても、その支配に甘んじて被害者でい続けることが理解できないのだ。「生存本能的に無理でしょ」と思考がフリーズする。
彼は、母の私に向けられた罵詈雑言を目撃するとフリーズする。
それはまるで、身を守る生存本能から、己自身が凍りつくことで他者からの毒が心や脳に入り込む余地を与えないための防御手段のようだ。
そんな技はRPGゲームにもない。けど強い。
心と脳の完全バリア!
私が引っ越す際にも連日、電話で罵詈雑言と甘言、泣き言を繰り返し続けていた母とついに別れて、母の言う「自立」を達成してからしばらく経った。心と脳の完全バリアを持つ彼との暮らしは、私に対して一種の解毒作用がある。彼の言葉、彼の行動が、私の心や脳を時に自由へと解放し、時に悩ませながらも「私が私でいること」への道標になってくれている。
コロナを理由に実家帰省もほぼ免れ、心置きなく兄夫婦と孫に会えることから両親もさほど私に連絡することもなく、私は自分の人生に向き合う時間を送ることができていた。
半年が過ぎたところで、突如、母の毒牙が私を襲う!
正確に言えば、少ダメージを与えるメッセージが定期BOTのように毎週送られてきていた。
「給料の高い会社で働くほうがお前には合っている」
「年収の高い男と結婚すべき」
「勇気のない弱虫だから今のような生活(女の生活費を払わない男との暮らし、収入の低いフリーランス業)に甘んじているんだ」
「勇気を出して頑張れば、良い男と結婚できて子どもを産んで幸せになれる」
以前なら徹底的に論破を試みた私だが、安寧のなかで暮らしている私は反論することもなく既読スルーで対応することで定期BOTの回数を減らすことに成功していた。
「どうして、私の親は今の私の幸せを認められないのだろう」
「自分の理想を手放してくれれば、きっと私たちはもう少し仲の良い親子になれるだろうに」
そんな思いがじわじわと水が染みるように私の心を侵食していく。彼の家族とのビデオ通話で、彼の両親が笑顔で彼や私の全てを認めてくれる度に、私はその侵食した染みが広がるのを感じる。
悲しみ。
”攻撃を交わす”ことは、一見すると彼がフリーズで発動するように私の大部分を守ってくれている。心と脳は苦しみや怒りに苛まれることはないし、物理的なダメージもない。
それでも、私は素直に傷ついてしまう。
攻撃をかわすだけでは「へっちゃら〜♪」とまではいかないようだ。
やがて母の攻撃は形と温度を変えていった。母の中での私は「自立できない弱い女」から「男運もお金もない哀れな女」へと変わり、やがて私への効果がないと知ると、今度は「一時の夢(男)に溺れている愚かで浅はかな女」「”家族”の存在や有り難さを忘れた冷たい女」と変化していっていることが攻撃メッセージから読み取れるようになった。
悲しみはちょちょぎれ、「一体どうしたんだ?」と恐怖心が滲み出てきた。
結婚や出産を焦らせるためにわざと娘を「ババア」と呼ぶような母が、まるで十代で出奔した娘を責めるような言い様をすることに、総毛立つようなゾワゾワ感を覚えた。
寂しくて攻撃しちゃうのね。
と、頭では理解したところで身体は「逃げて!」と叫んでいる。
私は確かに母の子であっても、独立した一人の人間だ。幸いにして全体主義よりも個人主義が優位なこの時代に、親の未熟さによって肉体的な暴力・家庭内性暴力から自分で自分を救い出すしかなかった私が、寂しいと殴りつけてくる親の手を取って頬擦りするだろうか?
しないでしょ、心と思考が健全なら!
私は、両親から距離が離れることで心の安寧を見出した。
一方、母は私からの距離が離れるほどに攻撃的になる。
悲しみが消えた次に私の心に訪れたのは「不安感」だ。
つまり、母と物理的な距離をおいてもなお、私の心にはまだ母の支配圏が存在しているということになる。
2.傷つくものは傷つく。大事なのは「回復」と「終止符」
そんな最中で私個人の祝い事があり、事件は起きた。
連絡なしに両親が我が家に凸り、不在であったことに激怒した母は罵詈雑言のメッセージを数時間連打。それが数日にわたって繰り返された。彼や彼の家族、友人たちからの祝福を受けるなか、自分の両親からは罵詈雑言を受け続ける数日間は、私の人生の象徴にも思えたし、同時に「これからの人生も、私はこの恐怖心や不安感、悲しみと付き合い続けなくちゃいけないのか?」と真剣に考えるようになった。
傷つけ服従させることでつながりを感じたい。支離滅裂な罵りワードの並びを、文章として読み上げることなく一瞥して淡々と削除する日々。
恋人のお父さんが病気の診断を受け、さらにお父さんの病気のきっかけにもなった、お父さん自身が介護してきたおじいさんが突然亡くなった。大変なときだからお祝いは不要と彼に事前に伝えていたけれど、その疲れと悲しみに沈んでいる恋人の両親が、私たちの都合を聞いてからビデオ通話をかけ、笑顔で私を祝福してくれた。
私は笑顔で感謝の思いで頷いていたとき。
ブワッと涙が溢れてドバッと泣き出す私がそこにいた。
驚かしてしまうと思いつつ、一番に驚いたのは自分自身だ。他人を心から祝福するのが難しいなかで真摯な言葉をかけてくれる私の実母・実父ではない、言語も異なる彼の両親。
罵詈雑言で些細なことで私を罰して反省させたい私の両親からはない祝福の言葉。
他人だから。身内だから。
それだけが違いの理由になるだろうか?
私の涙の理由はずいぶん身勝手なものだ、と拭いながら思い、涙を止めようとした。彼のお父さんは画面越しに一緒に泣いていた。きっと彼のお母さんは心配していたかもしれない。
ビデオ通話を終えて、事情を知らない彼は私を心配し、抱き寄せてしばらく包み込むようにハグして背中を撫でてくれた。自分でも自分に混乱していたけれど、短く事情を話すと「それを聞いて僕も悲しい」と彼は短く言って私の顔を覗いてからもう一度私を抱きしめた。
強がろうと理屈を練ろうと、何歳年を重ねて傷つきの経験を積もうが、親から傷つけられれば素直に傷つく。
心のバリア?
傷つかないようにこっちが努力する?
うるせえ、傷つけるほうが明らかに間違ってるだろ。
いつだって、何をされても、結局は心のどこかで親に淡い期待を持ってしまっていたのだ。
もしかしたら。
もしかしたら、やっぱり親は私の「安心できる相手」なんじゃないかと。
答えはNOだ。
いつだって、親は私に不安感で萎縮させ支配する。
それはきっともう、変わることはない。
涙が止まった後、彼は私の手を握ってくれた。
深呼吸しながら私はこの先の5年後、10年後、20年後を思った。
両親の機嫌に振り回される人生に終止符を打とう。仮にそのせいで散々に悪口を言われ、親戚中に吹聴されようが、私の人生には全く影響しないのだ。
いつだって言い聞かせられてきた。
最後に頼れるのは「血のつながった親だけ」なんだと。夫はしょせんあかの他人。助けてくれるのは親だけ。信用できるのは親だけ。
でも、いつだって私に暴力をふるい、私に罵詈雑言を浴びせてくるのは親だけだった。私を暴力や言葉で支配しようとしてきたのは親だけだった。
もう、私を縛るものなんてないのだ。
私が生きる場所も、どう生きるかも、私自身で決められる。
決めなくちゃいけない。
3.「あなたの批判は要らない」が捨てる覚悟を後押しする
余震のように、時差をもって親の攻撃は続いた。
その都度、私は罵りを眼球に映してはスマホ画面上と私の認識から削除していった。その度に上記の思考回路が一瞬で過ぎ去って「親の存在は私には不要」という結論に幾度となく到達しながらも、感情的な迷いは残っていた。
私の既読スルーによって母の中の私物語はまた姿を変え、「親がいないと弱い娘」「親が手助けしないと大人になれない子」に立ち戻っていた。
子供を産めば大人になれるから、子供をつくれ
どんな罵詈雑言も目を潰れたけれど、そのひと言で私の感情的な迷いは消失した。
妊娠出産にはいろんな理由があるし、産む人や家族それぞれの事情や考え、思いはあるだろう。
結婚して2年後にようやく待望の妊娠で生まれた兄と違い、勝手に受精して胎盤にひっついていた私を母は中絶しようと考え、父が地べたに頭をこすりつけてようやく私はこの世に生を受けた。
そうして生まれた私は、純心に育ち、何度でも傷ついては前を見上げて生きてきた。生まれたことを後悔はせずとも「生まれてしまったから仕方ない。私なりに精一杯楽しんでみようじゃないか」精神で生きてきた。
未熟な親のもとに生まれ、未熟なままの親の子どもでいることの不幸と苦痛を知っているからこそ、私は子どもを産む側の「道具」として作ることに嫌悪感を抱く。
私のために子どもをつくる。
私の意のままにならないから殴る。蹴る。食事を与えず閉じ込める。
私の望んでる子になっていないから認めない。不満をぶつける。罵る。
そんなの、親も子どもも幸せになれない。
父も母も子も、その子どもも幸せになるのは難しい。
私は私だ。
私の期待は私へのもので、他人を操作するためにあってはならない。
結婚を約束した彼への期待も、強制にならないよう、いつだって慎重なつもりだ。
子どもを育てる覚悟は、私自身への憧れから発生するものでもない(私の場合は)。私が成長するために子を産むのではなくて、自分の人間性が成熟したとわかれば子を育てようと思えるだろう。
持病を治療し、不妊治療を受けなければ私は妊娠できないことを親は知らない。それでも、エスカレートしてついには「子供をつくれ」とまで言う母の本心に、「この人の意見や望みを聞き入れる必要は一切ない」と決心しなければ、今後も私は母の機嫌に振り回されて恐怖心と不安で人生に水を差されながら生きていくことになることに気がついた。
4.”私の安寧”を守れる私になる
10年後、20年後を思い描いたとき、私はどうしているだろう?
どこで、誰と、どんなふうに暮らしているのだろう。
彼とはよくそんな話をしている。
自然が綺麗なところで暮らしていたいね。だから、自然の中で活躍する車に乗ろう。もちろん愛犬と愛用のカメラも一緒に。
話をするとき。相談をするとき。
10年後や20年後ならきっと年の離れた彼のお姉さんにするだろう。
子どもの姿は描いていないけれど、仮に妊娠出産したら、そばにいてほしいのは彼の家族だ。子どもに手をあげたこともなく、子どもたちが真っ直ぐに育った人たちのところで。私のなかの毒をきっと消し去ってくれる人たちのもとなら、もしかすると妊娠出産に対する思いも柔らかくなるのかもしれない。
あるいは、彼と離別していたら?
彼の手を握りながら時々心に思うことがある。
どうか私より長生きしてほしいと。
彼なしでもきっと生きていけるだろうけれど、随分とタフな生き方になるだろうから。ひとりかもしれないし、彼以上に聡明で優しい人と一緒に生きているかもしれない。
どちらにしても、彼を傷つけない私がそこにいてほしいのだ。
私を傷つけない彼がいてほしい。
仮に別々の道をゆくとしても、どちらも健康で個人の幸せを確信している道の上に立っていてほしい。
私の安寧を守れるのは、私の強い意志だ。
親の支配でも、親の顔色を伺うことでもなく、私自身の「独りきりでも楽しく生きていくぞ」「他者を傷つけない、他者と幸せに暮らせる人間になるぞ」という意志。
そう鼓舞した私が、安堵して笑顔で前を向けたとき。
私の心を覆う透明のバリアを感じる。
結局のところ、私は気丈に振舞っても無意識に傷つくし、どうしようもない。泣くこともあるし、困惑して立ち尽くすこともある。自分の弱さをなくすことなんてできないだろう。
だから、自分の心をリカバーするため、本を読んだり映画を見たりしながら、自分と向き合い、思考しながら剥き出しになった心を保湿して修繕する。自分に必要なもの、大事なもの、それぞれを点検して安全・安心を確認する。今後必要なものを想定し、将来を考えながら可能性に秘めている未来にワクワクしながら心が潤っていくのをゆっくりじっくり気長に眺める。
「私は大丈夫」
そう思えた瞬間、心のバリアは完璧だ。
毒質的な攻撃のダメージを弱めることはできる。物理的な距離を置く。論理的に考えて自分に誤りがないことを確認して納得する。必要なら怒ってもいい。戦わないのが一番で相手から消えてくれるのが一番良いのかもしれない。
相手が「どうでもいい」人なら毒を跳ね返すこともできるだろう。
でも、どうでもいい人と思うには時間がかかる相手はいる。
だから辛くて苦しいのだ。
傷つくことと諦めを繰り返しながら前に進んでいくしかない。
そんな私には、攻撃を跳ね返すバリアはない。
けれど、自分の毒にしない、毒を浄化する心のバリアは確かに育ってきている。
私は私だ。
好きな私になろう。
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