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阪神淡路大震災後の三宮一貫楼⑦
木曜は仕事(三宮一貫楼)ネタ
↑の記事のつづきですが、
直結する記事としては↑の記事ですね。
ここからは平成9年入社の私が直接体験したお話しになって行きますので、より生々しいものになっていきます。
今さらですが、私は4人兄弟で末っ子三男。
内訳は長子の姉(取締役)が1人、つづいて双子の兄が2人(現社長、専務)おります。
現在はこの4人で経営してます。
末っ子である私が家業に入る義理は薄いのですが、
そこはやはりお家の一大事。
すでに主戦力として一線でバリバリ働いている姉兄の背中も見ていたし、少しでも重荷をシェア出来たらと思い家業に入ることを決意。
30代の中盤までは止めとけばよかったと軽く1000回は思っていました(笑)
話しを平成10年あたりの神戸に戻します。
私は入社2年目。ポジションは事務所勤務となっておりました。
現場で体を使った労働もしんどかったですが、事務仕事、とくに経理に関しては精神的にしんどかったです。
例えるとすれば、息をいくら吸っても肺にはティースプーン1杯ほどの空気しか入らず、その状態で海の真ん中に突き落とされて藻掻いている。
そんな日常を30代半ばまで過ごしていました。(平成10年時25歳)
では具体的に何がしんどいのか?
①いつ何どきも口座にお金がない
基本うちの商売は現金商売で日銭が入って来ます。
百貨店などに売掛金はあるものの基本サイトが短いので、ほぼ現金とみなしても差支えないものです。
にも関わらず口座にお金が貯まることが皆無と言ってもいいくらい、本当に現金がなかった(苦笑)
月末帳面の〆の数字の頭に△(マイナス)が付くなんてザラで、それが複数の口座に付くことも日常的にありました。
そんな状態でどうやって回していたのか?
もうそれは技術以外何者でもなく(苦笑)
母は資金繰り用のポケットマネー(以下PM)を200万円程度常に持っていて、融通の利く支払い、(主に家族の給料や馴染みの取引先)に少し待ったをかけて支払いを遅延させるのは当たり前。
それ以外で足らずになるところはPMで埋めて、資金的に余裕のできる隙間に会社の口座から現金をおろしてPMに再補填。
このサイクルを延々回し続けるのです。
#ディスイズ自転車操業
②直属の上司である母との言い争い
右も左も解らない入社当初は従順に指示されたことをやっていました。
以下はこの入りで大体ご理解いただけると思います。
同族会社アルアルで、ある程度内情が分かってきたら自分の思うことがやりたくなるのが人の常。
若き私も例に漏れずに自分のやりたいことを進めようとすると、お金に直結しないことは当然のように待ったがかかり、企画自体を潰されることも普通にありました。(利害関係者いたら私の顔も潰れます)
当然、私としては面白くない訳で、母に対する不満が溜まっていきます。
置かれている環境のしんどさも相まって次第に無気力になっていき、その態度をさらに母に叱責されて刃向って大喧嘩!
そんなことを月のうち多い時で4,5回。
それを見せていた当時のスタッフには本当に悪いことをしました。。。
③撤退にともなう人員整理の交渉を任される
中でもこれが一番しんどかったかもしれません。
前回記事の川西店撤退をはじめ不採算店の整理を融資先の銀行さんから迫られたのもこの頃で。
あの当時はなんと無情なと思ってましたが、今となっては銀行サイドの言い分は至極真っ当ですね。
とある取引行の支店長さんから
「100名で沈んでいくのか、50名を救い出すのかを選択するのはあなた方ですよ。」
相当厳しめの叱咤をいただきました。
しかし、つくづく30にも満たない私にようこの仕事させたね(笑)
まぁ、そのおかげで精神はかなり鍛えられたけど。
と、ここまで書いてみて過呼吸になりそうなので、
本日はこのあたりで。
(つづく)