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整理回収機構と三宮一貫楼④

木曜日は仕事(三宮一貫楼)ネタ

↑からのつづきです。

改めまして平成13年3月より整理回収機構(以下RCC)への返済が毎月10日を期日にして始まりました。

じつは当時の三宮一貫楼はなみはや銀行だけでなく、幸福銀行(平成10年10月破綻)とも取引があったためRCC案件を二つ抱えているという、なんとも破綻銀行に縁のあるありがたくない状況でございました。

前々記事で取り決めたのはなみはや銀行分がひと月の返済額560万円でした。(幸福銀行分は26万円)


この当時の三宮一貫楼の状況を一度整理すると、
運営店舗数は6店舗
・本店
・ビバタウン店
・山陽明石グルメファクトリー店
・神戸阪急B1店
・神戸阪急6Fレストラン街店
・ダイエー甲子園店


一時に比べれば随分とスリムな組織にはなってきておりました。

本店に関してはなみはや銀行が建て替え融資手前で破綻したこともあり、引き続き仮設店舗(36席)での営業を余儀なくされてました。

本店仮設店舗時代

すでに阪神淡路大震災より6年が経過しており、躯体のあちこちにガタが来ていたり、店舗が商店街の入り口に位置するために街の美観としてどやねん?という心無い言葉も聞こえて来たりで、内からも外からもこの店なんとかせいよ。という空気満載な本店を取り巻く状況でした。

ゆえに当時、われわれのミッションとしては大きく二つ。

莫大な借金返済
と並行して、この本店を本建築に建て替えることでした。

希望としては多階層の建物にすることが出来れば、売り上げも2倍3倍を見込めるようになり、返済ピッチも早まる。

そんな一石二鳥な夢を描いていました。

しかし、当時のうちは止まれば即死確定の状況で、その実現はミッションインポッシブルなように私の目には映っていました。

まず、そんな状況を頭に入れた上で今後のお話しは読み進めていただければ幸いです。

私個人としては、なんと!?このめちゃくちゃ苦しい状況で結婚してます(苦笑)

その時は妻と結婚する選択しか考えられなかったのでしょうが、今に俯瞰して見ると、自分のことながらよくこんな時に出来たなと。

そして妻もよく決断したな!と嘆息交じりに苦笑するしかありません。
#ありがとう妻よ

記憶を辿るとRCCに債権譲渡される前に、いろいろ画策していた一端で別法人を作っていました。

そこの法人代表に本体の役員ではなかった私が就任して、その法人が出す店(荒田一貫楼)を任されたのが転機だったように思います。

両親との仲もあまりしっくり行ってなかった時期で、家を出たいと考えていたことも後押し要因ですね。

さてさて、生涯の伴侶もこのタイミングで得た私でしたが、次回からはRCCの他、直属の上司である先代や母親との関係に苦しむお話も交えながら綴っていきたいと思います。

(つづく)

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