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かつて歌集を買ってたぽい
硝子の鏡餅をクロゼット内の棚へ仕舞うと、隣の段に青年期の初めに熱中した若合春侑や川上未映子の単行本があって、これ大好きだったなぁと『先端で、さすわさされるわそらええわ』を手に取って冒頭1頁半程を体へ入れて棚へ戻すと、隣に石川美南『砂の降る教室』があって、奥付をみると初版で、ISBNは10桁だった。
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買った記憶がまっったくなくて、短歌に親しむようになった今こうして昔の自分の本棚で出くわして、本当にびっくりした。
歌集をひらくと、かつてこれら歌群が自分のやわらかな場所に刺さった感触が思い出されてきて、ますますびっくりした。
具体性はなくとも、こんなふうに感覚で記憶に刻まれていることもあるのだと知った。
来年、鏡餅を飾るときに、きっとまた触れるのだろう。楽しみである。