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おまえみたいなヤツは星でも食ってろ

世の中が窮屈になってきた。

余裕がない、遊びがない。

そういうときの癒しになるはずの「エンタメ」ですらガチガチになってきている。

決められた通りに遊ばなきゃいけないアミューズメントパーク。

チュートリアル通りに操作するだけのゲーム。

「ここで泣いてください」と言わんばかりのドラマ演出。


しかし、これは提供する側の問題かというとそうではない。

ドラマや映画をみてみると「この部分はこういう意味です」と丁寧な説明が作中にあり、解釈の余地を与えないようなものが人気のように思われる。

これは、余地があると「あのラストなに?意味わからん」と、クソ認定する風潮が強くなってきたのではないかと感じている。提供を受ける側の問題だ。

「あなたのご想像にお任せします」を許さない。行間を許さない。

自分が「理解できない」ことに対して「けしからん」と言い放つ。

前提とする知識がないことや、自分自身の無思慮を棚に上げ、駄作の烙印を押す。それが物語の根幹で理解できないとストーリーが成り立たないようなものならその評価も仕方ないかもしれないが、製作側も「わかる人にわかればいい」「気付く人もいるかもしれない」くらいの遊びでやっていることでも、「ボクが理解できてないのに説明してくれない」のを許さない。

「わかりやすい」「ストレスがない」ということが高評価(レビュー)を得るには大きな要素となってきている。なんだそれ。


とは言え、まだ「自分でちゃんと見ている」ならマシな方で、レビューを見ただけでクソ認定をするヤツがいる。

観てもいないのに「あぁ、あの作品評判悪いでしょ?ツマラナイよ」…と。

そして飲食店にとってはレビューサイトが脅威的なポジションに君臨している。

「この前行ったお店、美味しかったから今度行きましょう」と提案しても、

「えー、星の数少ないのに?」と言ってくる。

はっきりそう言わなくても、陰でコソコソ調べて「ん~、そこかぁ…」というリアクションを返してくる。

あなたが1人で勝手に見る映画やレストランをレビューで判断して決めるのは構わない。だが、こちらが下調べし、実際に行ったこともあるのに、レビューサイトの星の数だけで断じるな。

あなたの嗜好も考慮して提案しているのに、あなたはどこぞの誰かの評価の方を優先するのか。それなら初めから私に提案をさせないで欲しい。

そんなに星が好きなら星でも食ってろ。

それとせめて口コミの内容くらいは読め。


そんなことがたまにある。

そんなことがなくても、「コレ良かったよ」と言ってもネットでの評価が低いと(え?そんなのがいいの?)みたいな空気になることがある。

娯楽や食事ですら、自分が好きなものを好きなように楽しむことが難しくなってきているように感じる。


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三橋 渉
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