SNSを経由して「今日の幸せ」が将来の自分を殺しにくる
「今年もこの日を一緒に過ごせたね」
「プレゼントにバッグとポーチ、2つも!幸せ ^^ 」と
SNSにあがったツーショット写真、そこには誕生日プレゼントと思しき包み紙。
私には聞きなれないブランドだが、それなりにするものだろう。
去年は何をもらったんだろう、来年は何をもらうんだろう。
好意的に考えれば……もらった物自体の価値よりも、相手が自分のことを想ってプレゼントしてくれたことが嬉しいのだろう。とはいえ、大切な相手からもらった素敵なプレゼントは大事にしたいとはず。
しかし、毎年のように高価なものを受け取って、それらを大事に使っていくことはできるのだろうか。
「ちゃんとしたブランドは長く使える」「このブランドは一生ものだよ」
いわゆる“ブランド物”に対し、こういったことが言われるが、もらった数々のプレゼントをちゃんと長く使ってあげられるのだろうか。数が数だけにモノすごくミッション難易度は上がっていく。好みの変化や流行もある。結局1年、2年もてばいい方かもしれない。「最高に幸せ」という投稿に対し、瞬間風速は高いにしても長い目で見れば、まあ、そんなものになるのだろう、と思ってしまう。
それはそれとして、
あげる男と、もらう女。
大事なのは…
何をあげたか・もらったか…そのモノ自体の価値なのか。
プレゼントしてくれたという行為そのものなのか。
しかし、
ブランドものを選ぶ理由のひとつは、安心感や信頼感だったり、(無意識下の場合もあるが)それを身に着けることで得られる自己肯定感が目的だったりする。
ブランドものをあげる側にしても、それによって相手の価値を高め、そんな“素敵な相手”と付き合っている自分の価値も高める。
嘘偽りない相手を想っての行為と、打算的な行動、全てが10 - 0 に分かれるものではなく、まぜこぜなの方がむしろ普通だと思うが、「こんな嬉しいプレゼントくれて幸せ」という言葉を聞くと、なんだかその先に不安しか感じない。
将来、プレゼントの値段があからさまに下がったとき
仲がこじれたとき
この日の写真と言葉が「思い出」機能で振り返させられた時にどう感じるんだろう。
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