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谷中「倍増山寶城院 金嶺寺」
谷中、三崎坂と言問通りの中間にある倍増山寶城院金嶺寺。本堂までのアプローチの植物と小さな石庭が美しい。1716-1736(享保年間)に西国三十三観音霊場の巡礼に模して江戸三十三観音霊場ができた。如意輪観音様をまつっていたため西国の三十一番札所である「近江長命寺」になぞらえて、第三十一番札所となった。本堂正面の大柱に、「三十一番」の札が今でもひっそりと掲げられている。
縁起
1611(慶長16年)神田北寺町に境内地を拝領
1648(慶安元年)には幕府の命により、他寺院と共にこの地に移転
※『御府内備考』に、「開山は天海僧正にして寛永17年庚辰(1640)の起立といふ、江戸鍛冶の司某の開基なり」と記載されている。
1868-1869(慶応4年/明治元年 - 明治2年)上野戦争で諸堂の貴重な仏像も古記録と共に焼失
1894(明治27年)寛永寺一山の常照院から本尊阿弥陀如来像を迎え、本堂再建
本尊:本尊阿弥陀如来像
髭塚
「散る花の中に一本桜かな 得知」
著書に「幸堂滑けい譚」「黄表紙百撰」がある明治の劇作家、幸堂得知の没後、その髭を埋めて塚を建てた