「”悔しい"恐怖症」にかかった最後の夏
最近、悔しいと奥歯を嚙み締めたことがあるだろうか。
最近、悔しいと涙を流したことがあるだろうか。
悔しさが、自分の理性を超えて何かの形で外に出てしまったのはいつが最後だろうか。
僕は「悔しい」の中にある、よく言えば反骨心、悪く言えば臆病な自尊心みたいなものに大きく影響を受けて人格が形成されている。自分の中の自信とプライドがあるからこそ、可能性を否定されることが納得行かない。
小さいころなんて悔しくて泣き虫けんちゃんって言われてたくらいだ。小学6年の時、担任の先生の怒る理由が納得いかなくて歯向かい続けた結果、1日で7回泣かされた。
そのくらい悔しがりで、自分の中で押し殺すことはできないくらいすぐ膨れ上がる。
そんな僕の中の「悔しい」は、あの三塁線を踏み越えて以来、封印されている。年月で言うと4年が経つ。あの瞬間以来、涙を一度も流していない。悔しさがあふれることに初めて蓋をした瞬間から自分の中の何かが大きく変わってしまった。
僕にとって初めてで、ほんとはもう2度と向き合いたくはなくて、でも絶対に忘れてはならないあの日の話をしながら思いを伝えたいと思う。
2016年07月18日。高校3年生の夏だ。僕は、野球と本気で向き合う最後の大会、静岡県大会の2回戦を戦っていた。
思えば10年間も野球をしている。小、中と県大会3位まで上り詰め、高校も推薦で入学している。それぐらい野球にのめりこんでいた。自分の一つのプレーや結果が勝負を左右し、周りが一喜一憂する。どのスポーツにもない、一球ごとの長い間にある、駆け引きや緊張を背負って最前線で闘えるのが大好きだった。
プレーボール。
審判の声とともに、いつもだったら感じるはずのグローブの重さを感じることもなく3塁側ベンチに戻る。
今までだったら、自分のポジションに向かって走っていくはずなのに。
僕の背中には”10”が縫い付けられていた。
自分たちの代で2ケタを付けたのは、野球人生でこの大会が最初で最後だ。
春の大会までは当然のように、"8"をつけて全員を見渡せるセンターを守っていた。打順も2番。一番多く打席が回ってくるうちの一人だ。別に特別上手いわけではないけれど、誰よりも、頭と足と声で貢献していたちょっとしたプライドがあった。
ただ、その大会に負けた次の練習試合から、1度もスタメンで出ることはなかった。
最初は冗談だと笑えていたのも、1か月経てば現実だ。
どうやら僕は、スタメンから落とされたらしい。
でも、原因がいまいちわからない。
特別打ててなかったわけじゃない。特別守れなかったわけじゃない。代わりに入ったやつと何が違うか分からない。
納得できない。悔しい。
結果で見返すしかない。
でも出したとて変わらない立場。
なんでだよ。
そう言って大スランプにはまり、気づいたら軽く投げたボールすらバットに当たらなくなっていた。
それならば、守備と走塁ならだれにも負けない。ここぞの勝負は俺に任せろくらいに思っていた。僕の闘志は、悔しさと反骨心のおかげで、たとえスタメンで出なかったとしても消えることはなかった。
まだ、自分が主役になるイメージが
はっきりとできていたんだ。
試合が始まる。いつもはみんなの背中を見る景色も、今日は横顔ばっかりだ。何を話してるんだろう。グランドの中でしていた会話が今日は全く聞こえないや。こんなにもベンチと距離があったのか。なんで、そこに俺がいないんだよ。
悔しい。
試合に勝つことが目的とは分かっていながらも、今まで近くで感じられていたあの空気が遠いことに悔しさが止まらない。
そんな感情を指示や声援に変えて枯れるまで出した声も虚しく、試合は劣勢のまま回が重なっていく。気づいたら、目の前は試合が崩壊しかける大ピンチだ。
なぜ、僕を出さない。流れを変えられるのは僕しかいないだろう!
そんな思いを込めて監督に目で訴える。
すると、こっちを振り向き、目が合う。審判にタイムを取り、僕を呼び寄せてこういった。
「みんな集めて、励ましてきてやってくれないか?」
野球には、伝令という変わったルールがある。
基本試合に出ていない人は、フェアゾーンに立ち入ることができないのだが
監督の伝言を伝えるという役目の時にのみ、試合に出ている9人をマウンドに集めて数十秒間会話することができる。
そんな、役目を言い渡されたのだ。
こんな形でフェアゾーンに入り、いつもは近くにいたメンバーと顔を合わせなければいけないなんて。
お前ら、何やってんだよ。しゃきっとしろよ!
自分の中に溜まっていた悔しさを、最大限の叱咤激励に変えてぶつけてやろう。
そんなことを頭で描きながら、ベンチを出て、陽炎を潜り抜けて、三塁線を越える。
知らない。なんだここは。
10年間のうち、たった4か月いなかったその場所は、僕の力ではどうしたらいいかも分からない別世界だった。
自分が主役でないことも、ミラクルを起こせる脇役でもないことも悟った。
マウンドで何を話したかは覚えていないが、何も話せなかったんだと思う。
何もできなかった。
悔しいさえ、おこがましいほどに。
程なくして試合は終わった。惨敗だ。
周りが悔し涙を流す中、淡々と片づけをしている自分。
こみあげるものはあったにせよ、ここであふれるものを認めるわけにはいかなかった。
俺ならできるのに。なんでだよ。なんて微塵も思えなかった。
自分でさえ信じられなくなったのに、泣いていいわけがないのだ。
この今の自分がいることが、間違いなく一番悔しい。
あれから四年。腹の底から悔しいとは未だ思えていない。
むしろ悔しいと思うことを怖がっている気がしてる。
まだプライドもないのに、
まだ自信もないのに、
悔しいなんて気安く思うなよ。
そうやって、あの時の自分に言われている気がする。
できるのなら、向き合いたくはない感情。
でも、今のままの甘い自分がとてつもなく嫌いだから、
自分の中にある微かな「誇りの灯」を信じて、
僕は、大好きな「企画」と向き合う人生を歩むことを決めた。
あの怖さを知っていても、「悔しさの三塁線」を越えられるだろうか。
もし、あの蓋をしたときの感情に、
”今”少しだけ未来の自分に期待を込めて、名前を付けていいのなら
「悔しさのタイムカプセル」
とでも呼んでおきたい。
そしたらなんか、いつかバカだったと笑える気がするし、認めてあげられる日が来るかもしれないから。